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世界の矛盾と付き合っていく

最近、27歳になるのを目前に控え、キャリアのことをよく考える。「違国日記」という漫画の中で、中学生の女の子が大人に向かって言うのだ。

「なりたい自分になりたいのっ!!」

そんな感情、ついぞ思い出せていなかったのでちょっと目がぱちっとしたのだった。漫画の良いところってそういうところ。絵とセリフの強さで、文字だけの本よりもパチっとチカっと印象に残って、ずっと忘れない。

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わたしが途上国支援を仕事にしたいと考えだしたきっかけは、考え出すと幼少期にまでさかのぼる。
父親が貧乏で育ったため、そもそもご飯のお残しなど許されない家だった。トマトが嫌いで、ご飯で出てくると演技でなく吐きそうになっているのに残すことは許されず、涙を浮かべながら食べた。またどんなにお腹が空いていなくても朝ごはんは残さないで食べきるまで家から出られなかった。
父はひもじい経験をしたことがある人なのだと思う。小さい時はなんでこんなにしんどい思いをしないといけないのかとずいぶん親を恨んだものだが、お陰で好き嫌いなくご飯が食べられるようになり、健康に育った。そっちの方が圧倒的に幸せなので今は感謝している。

父の口癖は「どんなに食べたくても食べられない子もいるんだから食べなさい」だった。それはわたしの深層意識にこびりつく言葉になった。

また中学生くらいのとき、ゆとり世代の産物とされる「総合」という授業があった。そこでシエラレオネという世界最貧国、世界で一番平均寿命が短い国のドキュメンタリーか何かを見たときも衝撃だった。

生まれた場所が違うだけでこんなにも世界が違う。

同じ時代に生きているのに、子どもたちは劣悪な環境でゴミを拾って拾い集めて、それでもお腹いっぱいは食べられない。学校にもいけない。だだっ広いゴミ山の景色が頭に張り付いている。海外に関心があったわたしでさえ衝撃的なビデオだった。今も当時の友人に聞くと、ビデオを見たことは覚えている人もいるくらいなので、相当ショッキングな内容だったと思う。
総合の授業をしている先生方も、新しい取り組みすぎて内容に迷っていたと後から聞いた。今もあるかはわからないが、そのまま続けていただきたいものだ。あの自由さに意味はある。

とにかく、わたしは大学を決めるときにも、なんとなく途上国の人を助ける仕事をしたいと思って、なんとなくそういった方面に繋がりそうな筑波大学の国際総合学類に進学した。

そこでわたしは広く浅く勉強を重ね、国際関係を学んでどうして貧しい国とリッチな国の違いが生まれたのかをなんとなく知り、国際政治を学んで各国の目的と外交の方法をなんとなく知り、開発経済学という学問でどうしたら貧しい国が貧困のスパイラルから抜け出せるかを一生懸命考えたのだった。

そこで一度絶望してしまったのだ。

「私にはこれは変えられん」

貧困国になっているのは歴史からみた根深い理由があり、また彼らが貧困のままでいてほしい強い勢力もあった。SDGsとかなんとか言っているが、学べば学ぶほど、結局強い国のエゴで世界は動いているような気がしてしまったのだった。結局世界は弱肉強食。弱いものは淘汰されてしまう。

だからといって開発の方向からすぐに脱することもできず、就活は全く上手くいかなかった。今から考えると話していることに一貫性がなかったのかもしれない。当時の私としては筋は通っていたつもりだったが、今聞いたら「??」となる内容を話していたのだろう。当時から矛盾していたのだ。

JICAや総合商社を受けたがなかなかうまく行かず、JICAの委託先の開発コンサルなども見たが、彼らは文系の新卒を取れるほど余裕がない商売だということがわかっただけだった。

開発の仕事がしたいからといって、最初から薄給でNPOやNGOで働いたり、ボランティアをするのはなにか違う気がした。その前に、自分が幸せだと感じられるくらい、自分に自信が持てるくらいの基準値の給料が欲しかった。
また、業界的な話をすると、途上国開発の世界には常にお金がなさそうだった。当たり前である。お金がないから困っているのだ。それなのに自分がお金が、ひいては時間が欲しいなんて言っていられない世界に見えた。

「人を助けたい」と「自分を助けたい」の矛盾。結局自分が一番大事なのだ。

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先にお金をどうにかすることにした。
ビジネスを利用した途上国開発というところに最終的に行き着けばいいなと思いつつ、IT業界に来てみたのだ。たしかに割と簡単にお金は手に入っている気がする。私は文系で、知識もまったくなかったが、1年くらいの勉強でプログラミング初歩の一通りの知識は得られて、3年目にしては給料は悪くなさそうだ。コロナでも業績は大して変わらない。

なんだけれども、どうにもこうにも、今の仕事である日本のエンジニアたちの課題解決を考えていると、「なんでわたしがこれをやっているんだろう」という気持ちが生まれてしまうのだった。わたしでないとできない仕事がやりたいという話をしたいわけではない。わたしが時間と労力を賭けて解決したいことは他にある気がするのに、なぜ今、この人達の課題解決を手伝っているのだろうかと、疑問に思ってしまうのである。

「世界の不平等に対する怒り」が根底にいる。だっておかしいじゃん!という話なのである。なぜ、生まれた場所で、生まれた親で、ここまで差がついてしまうのか。日本国内も然り。子どもの貧困が叫ばれているし、都市部と地方の様々な格差があるのは百も承知。それを世界で見ると、もっともっとおかしなことがありすぎる。

わたしは東京の共働きの家に生まれた一人っ子で、経済的にも教育的にも非常に恵まれている。こんな自分が貧しい人の気持ちなどわからないのではないかというある種 恐怖もある。

貧困国と呼ばれる国でも、日本より幸せ度数が高い国も多い。なにがその人にとって幸せなのかなんて、外部の人間にはわからない。こんな状態で途上国支援という言葉にすら疑問を覚えるときもある。日本人であるわたしが勝手に介入して支援だなんておこがましい話かもしれない。何が「支援」だ、支援されないといけないのは自殺者が一向に減らない日本の方かもしれないのに。


それでも、不平等への怒りは消えはしないのだった。

わたしは食べすぎてしまって痩せたくて悩んでいるのに、餓死する人がいる。
「死にたい」と思う人がいる中で経済的困窮により病院にかかれず「生きたいのに生きられない」人がいる。
わたしはこの矛盾した世界を、やっぱりちょっとでも直したいと思う。それをやっていると実感できたとき、どんなに忙しくてどんなに辛くても、自分を好きでいられる気がしている。

世界が矛盾や不平等だらけなのは変わらないが、歴史的に見ると頑張ってきてくれた沢山の素晴らしい功労者のおかげで少しずつ改善しているのも事実だ。世界の進みのなかで、矛盾とはうまく付き合いながら、小さな小さな一歩の前進を後押しできればいいんじゃないだろうか?

わたしはコロナの様子も伺いつつ、来年、青年海外協力隊への応募を視野に入れ始めた。
これはあらゆる矛盾と付き合いながら、なりたい自分になるための挑戦である。

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「なりたい自分になりたいのっ!!」

「…そりゃ 永遠の命題だねぇ!」

(ヤマシタトモコ『違国日記』第6巻より抜粋)

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