なぜ私たちは「違和感」をスルーしてしまうのか?
仕事において、時折「違和感」を感じることがある。
例えば上司や顧客から「やっぱりこういう問題が根底にあるよね」「こういう施策がいいよね」みたいなことをサラッと言われた時。「あれ?何か違う」と小さな違和感を感じても、相手が上役だったり、声が大きくて主張が強い人だったりすると「ま、いいっか」と、その違和感をスルーしてしまうことがあったりする。
そしてスルーした先に待っているのは、何もなかったかのように問題なく進む場合もあれば、大きな「手戻り」をくらったり、取返しのつかない事件に進展することもある。
「違和感を無視してはいけない」というのは当たり前。そんなこと百も承知だけど、でもその場になると「あっ今回もスルーしちゃった」と後悔することがある。それってなぜだろう。もうこれ以上違和感をスルーする人間になりたくないから、その辺りを明確にしたいと思い、noteに纏めてみた。
違和感をスルーするのは「自分が可愛いし、楽をしたい」から
私が過去にスルーした例を元に、「違和感を無視してしまった時の気持ち」を挙げてみた。
恐怖心
・口達者な相手に結局論破されそう。
・大企業役員だったり業界内の伝説的人物。そんな人が相手だと畏れ多くてイエスマンになってしまう。
・関係者が乱立した15人以上の会議は、発言自体が億劫。
とりあえず現状維持
・ここで言ったら会議の進行を止めた自分を、変な目で見るだろう。
・下手に立てついて自分の評価を下げられたくない。
・自分の思い違い。相手の話が普通だろうから放置しておこう。
過度な謙遜
・途中からPJTに参加した身分だから言いにくい。
・入社したてだから大人しくしておこう。
・正直、PJTに真剣に取り組んでない自分がそこまで言うのは筋違い。
仕事を軽んじている
・戦略ではなく戦術レベルだから異論を唱えるほどでもないか。
・ぶっちゃけ、自分の担当領域ではない。
・方向転換するにしても、修正作業するのは別の人だし関係ない。
(20代の広告会社時代の経験ばかりになってしまった… 懐かしく苦しい思い出だ)
こう並べると、どれだけ自分勝手で思い込みが激しい人間なんだろう、と嫌気がさす…。
「誰かに嫌われたくない。」
「謙虚で忠実な自分と見られたい。」
「中途半端に仕事している自分を見透かされたくない。」
結局のところ「自分が可愛いい」からで、しかも「無駄な労力を費やさず楽したい」から。でも、その違和感に真正面から向き合い、「それってどうなんでしょうか?」「こういう見方もできませんか?」と投げかけることで、当たり前と思われてたことを疑い始めるきっかけになることもある。
だから違和感をスルーしないスキルを持ちたい。自分に向いている目線を問題解決の先に向け直す。そのためにはどうすればいいのか?
スルーさせない方法 ~感性を理性に直ちに変換~
スルーさせないためには、
①「違和感」という自分の感性に向き合う(感性)
②そして、とりあえず声に出してみる (変換)
③その間、一気にロジカルに整理する(理性)
違和感は自分の感性そのもの。感性を無視するのは自分を裏切るのと同じ。放置せずにちゃんと受け止めよう。そして、その違和感を声に出してみる。会議中の会話なんて流れるように進んでいくのだから、後から異論を言っても手遅れ。だから「あの」でもいいし「ちょっといいですか?」でもいい。この一言を発する間に、出来る限り論理的に「違和感」を整理してみる。どこにどう違和感を感じ、どうしたほうがいいのか自分なりの見解を伝える。キレイにまとめる必要なんてない。少しくらい失敗してもいいと思う。伝える訓練だと捉えよう。
同じゴールを目指すプロジェクトメンバーで、心理的安全性が担保された組織体なら、当然許容されるはず。トンチンカンなことだったとしても何かを投げかけることに無駄はないのだから。
違和感は放置しない。
「違和感」という自分の感性は手放さず、一方で「可愛く、楽したい自分」はどんどん手放していこう。
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