Yamada Asao

染色作家/博士(美術) 某バレエ用品メーカーで衣裳製作漬けの日々を送る→作家活動再開…

Yamada Asao

染色作家/博士(美術) 某バレエ用品メーカーで衣裳製作漬けの日々を送る→作家活動再開。 作品に関すること関しないこと、思い出などの私的な事柄をここに残します。

最近の記事

ピル生活1ヶ月目

28日周期の低容量ピルを服用してから最初の生理がきた。 まったく痛くない。 廃人にもなってない。 安楽死について調べたりはしていない(若干メンタルはヘラり気味ではある)。 少々の下半身のだるさや脱力、眠気はあれど、とにかくあの痛みからは解放された。 いままでの苦痛はなんだったんだろうね。 身体の痛みが緩和されたと実感する一方で、肌の感度が少し平坦なものに変わっていくようにも思う。 でも仕方ない。 アメリカンドリーム UFOキャッチャー 海岸の私有地にある生垣の小さい

    • 久野久の孤独に沿う

      この人のこと、描きたくないなと思っている。 でも同時に描けるようになるほど知りたいとも思っている。 名前以外はほとんどなんにも情報がない。 ネットが普及していなかった小学生の頃のように焦ったい無力感を抱く。 この人に関しては、あるのかないのかさえもわからないピースをひとつひとつ集めて肉付けしていくしかないんでしょうな。 とりあえず、日本に西洋音楽が導入された当時からかなりの間違いがあることを指摘した森本恭正 の『日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察』を読む。

      • 【シェイプ・オブ・ウォーター】異種愛って良い

        アマプラで「シェイプオブウォーター」を観た。 大変にいい映画だった。 研究所に掃除婦として働くイライザが、研究所に捕らえられている人魚に音楽を聴かせながら一緒に食事をするシーンで理由もなく涙した。 なんだかとても美しいものを見たような気がした。 グロテスクと紙一重の造形美の人魚を見て、わたしはなぜか飼い猫に似ていると思った。表情に愛嬌があるのだ(瞬きするときに瞬膜が見えるところ、喉を鳴らすような声も猫っぽい)。 イライザが人魚をごく自然に恋人として愛するようになることにも

        • 4/10はきょうだいの日-セルフネグレクトについて思うこと-

          4/10は「きょうだいの日」らしい。 昨日まで知らなかった。 なぜ平仮名表記なのか。 きょうだい児のことを指すのかと思っていたら、どうやらそうではなく、障害の有無や性別の組み合わせや順序に関係なく兄弟姉妹を表すための平仮名表記らしい。 きょうだい。 きょうだい児の人は、たまに平仮名で検索をかけるのではないだろうか。 自分を何かにカテゴライズすることは好きじゃないけれど、わたしもいわゆるきょうだい児である。 精神障害と発達障害を併せ持つ姉がいる。 noteでも、きょうだい児

        ピル生活1ヶ月目

          架空のリアルな女性譚「わたしたちは無痛恋愛がしたい」を読む- だからわたしはピルに頼ることにした-

          彫刻家の友人Yちゃんが薦めてくれた瀧波ユカリの漫画「わたしたちは無痛恋愛がしたい」を読んだ。月に一度、わたしは生理が来ると同時に廃人と化して布団の中でiPhoneの画面を見ることしかできなくなる。この期間に、なんとなく読むなら今だと思った。 世の女性達はみんな、どこまで己の身体を管理している(或いはしていない)のだろうか。同じ世界を並走している女性間でも、自分自身のケアにどこまで心を砕いているのかは見えづらい。 この漫画は、VIO脱毛や生理への対策といった身体にまつわる物理

          架空のリアルな女性譚「わたしたちは無痛恋愛がしたい」を読む- だからわたしはピルに頼ることにした-

          非現実の王国で(寝起き)

          額から、茹でた素麺のような白い糸が放射状に広がって伸びている。 その糸はわたしが通っていた小学校の教室の黒板を貫通して、4つの教室を渡るほど長い。 曇天か雨の日のときのような、暗さと静けさとつめたさで充満する教室。 でも嫌な感じはせず、清らかな空気で、わたしが記憶している教室よりもずっと静謐な場所だった。 ずっと前から知ってるような気がする。 ずっと前から当たり前にあるような感覚。 だから動じない。 眼前に見える何も書かれていない黒板。 それを貫通するわたしの揖保乃糸に似た

          非現実の王国で(寝起き)

          本当はとても嫌いだった親友の話

          本当はとても嫌いだったよ。 そう言ってしまいたい。 かつては親友と呼び合っていた友人がいた。 でも、いつの間にかわたし達はお互いのことを「親友」とは言わなくなった。 代わりに「友人」と表現するようになった。 きっかけはわたしのほうだった。 彼女のことをテキストで表現するとき、誰かと差別化する「親友」という言葉は不特定多数が読むものには相応しくないと考え、フラットに「友人」と表記したことが始まりだった。 それがいつしか便宜上の表現としてではなく、認識としても「友人」に変わっ

          本当はとても嫌いだった親友の話

          きは黄色のき、狂気のき

          ピカソが秘密裏で経営しているというカフェに行ったことがある。 そのカフェは二階建てで、ダークブラウンの屋根に黄色い壁の、どっしりしつつもファンシーな外観で立派だった(ピカソというよりロートレックっぽい趣)。 せっかく知らない土地の、誰もが知っている画家のカフェでこれからお茶をするというのに、なぜか自販機でぬるい水を買うわたしと姉。 (この国の硬貨の外形は桜だった。) 姉は水を飲んだら満足したようで、カフェの通り沿いから見えている遠くの山を登ってくると言いのこして行ってしま

          きは黄色のき、狂気のき

          夏と秋の間。探しものはハイスミスの日記。

           夏のような日差しの日々が続いている。 暦の上では秋だけど、緑が目に眩しくて、夏とも秋とも言えない季節になると観返したくなる映画がある。 『リプリー』(原題『The Talented Mr.Ripley 』)という1999年のアメリカ映画である。 これは1960年にアランドロン主演で有名な『太陽がいっぱい』のリメイク作品で、孤独で貧しい青年トム・リプリーが、富豪の息子に近づいて殺し、彼になりすますお話である。 両作ともすごく面白かった。 けれどわたしは、アランドロンが演じ

          夏と秋の間。探しものはハイスミスの日記。

          先生に会いたい

          よく迷子になる。 思考とかひいては人生の。 ばらばらで散らかったままで、収拾策がわからなくなるときが多い。 そういうときの整理のためにこうして日記なりnoteなり、とりとめのないものを書き起こしながら可視化して自分で確認している。 思考の混沌の結び目を解いて、正しい位置に戻してくれるような先生がいた。 心の深い領域まで潜るようなコミュニケーションをとれたその先生に出会えたのは、わたしが博士課程在籍中のときだった。 先生は海外で博士号を取得して、長い間外の世界(大学など

          先生に会いたい

          酔って候

          伯母に呼ばれてお酒を飲んだ。 酒に弱いわたしはレモンサワー二杯でもうへべれけである。 なんとか家までかえってきたけれどもうシャワーを浴びる気力もござんせん。 明日は舞踏のお稽古であるのに、お酒が抜けないと大変なことになるからいまから紅茶をしこたま飲んで排出しなければならない。 でも塩ラーメンが食べたいの。 どうして、どうしてお酒を飲んだら謎に食欲が湧くのだろうか。 こんな時間に、たいして食べたくないのに食べたい矛盾。 しかも、ラーメンのお汁全部飲めばその分アルコールも

          生まれなおす -善百合子を抱きしめる-

          この記事は今年の夏に書いてひととき公開していたものの身内の生き死にに触れる内容のためにSNSに固定して置くことに躊躇いがあったので一度取り下げた。 3ヶ月程経過して客観視すると、書かれている内容はありふれた生と死であり、そもそもわたしの親族はnoteというプラットフォームを知らないだろう。 軋轢は生まれそうにないと判断したので再掲することにした。 以下本文。 生まれること、生まれないこと。 今夏に読んだ、川上未映子著「夏物語」。 自分の子供が欲しい40間近の小説家・夏目

          生まれなおす -善百合子を抱きしめる-

          後日談

          8月末、学生時代から7年借りていた都内の物件を退去した。 愛着のある部屋と寺町に、隣に祀られている美人のお稲荷さんにお礼とお別れのご挨拶をした。 お賽銭は500円にした。 (7年間守ってやったのにこの額はないだろうとお思いでしょうが、わたしがお金持ちになる日まで少々お待ちくださいませ、と心の中でお詫びしつつ) すべてが終わった後に、久野久に縁のある場所を巡ることを決めていた。 それは同時にわたしの学生時代からの思い出の道を歩くことでもある。 JR日暮里駅から朝倉彫塑館、谷

          100年前の死者と視線が合う瞬間④-King Gnuの音楽の鎮魂の作用-

           2023年6月4日、この日私は勤めていた会社の年上の友人(以下、婦人)からのお誘いで、日産スタジアムで行われたKing Gnuのライブに出向いた。 当日は晴天だったものの前夜の嵐の影響で交通に支障が出て、到着が遅れる観客が目立った。残念ながら婦人が使う線の電車は動かず、現地に来ることが出来なかった。私は彼女が手配してくれたアリーナ席にひとりで座る。場内を囲う夥しい人の波に感動し、強い日差しを浴びながら開演の時を待つ。 婦人と私はKing Gnuの音楽は勿論のこと、常田大希

          100年前の死者と視線が合う瞬間④-King Gnuの音楽の鎮魂の作用-

          100年前の死者と視線が合う瞬間③-久野久の視線-

           引き続き久野久について。 日本の西洋音楽の黎明期を生きたこの苛烈なピアニストのことをもっとよく知りたいと思うと同時に、描いてみたいけれど描きたくない人でもある。恐ろしいけれど近づいてみたいという両価感情を私に芽生えさせるこの人に肉薄するには資料も勇気も足りていない。そう言い訳をしたまま、私の脳裏に浮上してから1年半近くの月日が経とうとしている。  本当のことを言うと、私は小学校低学年の頃からすでに久野久のことを知っていた。「100年前の死者と視線が合う瞬間①-泡沫のように

          100年前の死者と視線が合う瞬間③-久野久の視線-

          日曜の午後、舞踏のお稽古に行ってみた

          今日、わたくし、近所の会館で催されていると噂の暗黒舞踏のお稽古に初参加して参りました。 いまは亡き舞踏家・大野一雄の爆裂お洒落な作品を見て以来、少なからずこの世界に興味を持っており、いつかその考え方や動き方を知りたいと思っていたので今回思いがけず夢が叶って嬉しい。 身体の声をきいて、揺らしたり歩いたり。 生まれてこのかた意識してこなかった身体の使い方ばかりで面白かったぁ。そしてくたびれた。 上手い人やお手本を探さなくて良いし、誰かの動きの真似をしなくていい、先生に動き方

          日曜の午後、舞踏のお稽古に行ってみた