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きは黄色のき、狂気のき

ピカソが秘密裏で経営しているというカフェに行ったことがある。
そのカフェは二階建てで、ダークブラウンの屋根に黄色い壁の、どっしりしつつもファンシーな外観で立派だった(ピカソというよりロートレックっぽい趣)。

せっかく知らない土地の、誰もが知っている画家のカフェでこれからお茶をするというのに、なぜか自販機でぬるい水を買うわたしと姉。
(この国の硬貨の外形は桜だった。)

姉は水を飲んだら満足したようで、カフェの通り沿いから見えている遠くの山を登ってくると言いのこして行ってしまった。

わたしはカフェに入って紅茶とマフィンとキッシュを頼んでニ階に上がった。意外と空いている。

焦茶の木製の長机に座った。
あとからやって来た、白地にネイビーの太いボーダーのロンTを着た老人がわたしの向かいの席に座った。
浅黒い肌に目の大きい、ハンプティダンプティを連想させる容貌の男性。

わたしを見てにこにこと笑っている。


あ、ピカソだ。

この人、ピカソだわ。



と、わたしは閃く。

彼の人はおもむろに手を伸ばし、わたしのマフィンをゆっくりと奪った。(あっ。)

あんぐと口を開け、もしゃと頬張るピカソ。

ひとくちで半分になってしまったマフィンを、またおもむろにわたしの皿に戻す。


(えっ、、戻したよこの人。)

と少々引くわたしをよそにピカソは、こんな悪さをしている間も目だけで微笑みずっと無言でいる。
真性の人たらしのみが放つことができる、無垢で邪な微笑み。

ピカソの歯形が刻まれたマフィンを見つめながら、(子どもみたいで、しょうがない人だなぁ)と思った。
すでに人たらしぶりに陥落している。


という夢を見たのは2019年の11月21日のことである。

わたしは夢日記をつけている。
目覚めたときに夢の余韻が残っていて、印象的なものはできるだけ書き残すようにしている。

それから夢の内容を解読するためにキーワードをいくつか拾って夢占いをしてみる。

このとき調べたのは印象的だったカフェの壁色の黄色の意味。
黄色は「何が狂気じみたものを示す場合がある」らしい。

わたしは自分の夢に出てきた黄色いものを、目覚めても覚えていることがわりとある。

現実の世界での黄色は、例えばレモンやひよこ、幼児の帽子など、健康的で溌剌としたイメージを与えるものが多くて『狂気じみた何か』を示唆するなんてとても意外だった。

加えて、好きな色ではあるけれどわたしに似合う色ではないため黄色の服やインテリアは持っていない。
わたしの生活圏内にはあまりない色だからか、夢の中に出てくると印象に残りやすいのではないかと予想している。
(ちなみに2022/3/26日は黄色いサテンシャツを着た沢尻エリカが運転する助手席に座っているし、詳細を書き留めてはいなかったが、何かのオーディションのように審査員が揃っている状況の中で、黄色い光を放つ巨大ホールのなかに飛び込むか否か逡巡する夢を見た。)


他人の夢の話ほどつまらないものはないというけれど、わたしはひとの夢の話をきくことが好きである。
デヴィット・リンチの支離滅裂な作品は、他人の夢を見ているような感覚になれて面白い(『マルホランド・ドライブ』は話も理解できる範疇だったから映画としても楽しめた)。

リンチの映画を観ていると、夢で見た事柄でも案外現実に即していて、奇妙な形で繋がってしまうこともあり得るのかもしれないと思えてくる。

実際に繋がってしまったかもと思った話をひとつ。

会社の同期で、プライベートでも一緒に遊んでいたKちゃんの住むお宅の前を通る夢を見た。

Kちゃんの住む家は外階段のある二階建ての木造アパートで、庭にはパンジーなどの小さい花が咲いている花壇がアパート全体の幅に合わせて広がっている。
白髪混じりのおじさんが花壇に水をやっている。

良いところだなぁ。Kちゃんがこの家を気に入っている理由がよくわかるわぁ。と思った。

この話をKちゃんにしたら、
「え、なんか合ってる。私の家に来たことあったっけ…?ちなみにおじさんのシャツのディテールは?」
「地がクリーム色のネルシャツ」
「こわいよーー(合ってるの意味)」

Kちゃんは目を閉じて笑った。
曰く、建物は外階段のある二階建て、物件のオーナー(あるいは管理人)は白髪混じりの男性で、花壇の花によく水をやっているらしい。クリーム色のネルシャツに近い服を着ているときがあると言った。

Kちゃんがまだ引っ越していなかったら、折を見て答え合わせをしにお宅訪問(外観のみでも良いから)に伺ってみたい。夢の解像度がどれくらい高いものなのか確かめてみたい。

ちなみに夢日記をつけていると夢と現実の境がつきにくくなって生活に支障をきたすようになるからやめたほうがいいという話を聞くけども、いまのところは全然大丈夫。
多分、覚えている夢のすべてを記録していないからだと思う。

読み返したとき、普通の日記とはまた違う面白さがあるし、まったく忘れていたけれど読み返すと夢のシーンを思い出す感触もまた一興である。


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