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キリンジ/エイリアンズの豊穣な余白①

今更?って思われるのは承知の上で、『エイリアンズ』という名曲について語りたいと思います。

もはや説明不要かも知れませんが、これは2000年にキリンジというバンドが発表した名曲中の名曲。数々のアーティストがカバーしまくっており、2017年にはLINEモバイルのCMでのんが歌ったことにより再び注目されました。(あれからもう3年も経つのか…)

なぜ今、改めてこの『エイリアンズ』を語りたいかと言うと、つい最近みた映画『愛がなんだ』に通じるものがあるなぁと思ったからです。(理由は後述します)

この曲の魅力は何と言っても歌詞。キリンジの堀込泰行さんは作詞家としても大変評価されている方で、キリンジを脱退した後に立ち上げたソロプロジェクト“馬の骨”名義の『愛の燃え殻』など他にも沢山の名作を生み出している人物です。

なにはともあれ、まずはご一聴。

めちゃくちゃシンプルなPVですね。ギター片手に歌う2人の姿以外、何の情報もありません。では次に、歌詞を読んでみましょう。

遥か空に旅客機(ボーイング) 音もなく
公団の屋根の上 どこへ行く
誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ
バイパスの澄んだ空気と 僕の街

泣かないでくれダーリン
ほら月明かりが
長い夜に寝付けない 二人の額を撫でて

まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実頬張っては 月の裏を夢みて
キミが好きだよエイリアン
この星のこの僻地で
魔法をかけてみせるさ いいかい

どこかで不揃いな遠吠え
仮面のようなスポーツカーが火を吐いた

笑っておくれダーリン
ほら素晴らしい夜に
僕の短所をジョークにしても 眉をひそめないで

そうさ僕らはエイリアンズ
街灯に沿って歩けば
ごらん新世界のようさ
キミが好きだよエイリアン
無い物ねだりもキスで
魔法のように解けるさ いつか

踊ろうよ さぁ ダーリン
ラストダンスを
暗いニュースが日の出と共に 町に降る前に

まるで僕らはエイリアンズ
禁断の実頬張っては 月の裏を夢みて
キミを愛してるエイリアン
この星の僻地の僕らに
魔法をかけてみせるさ
大好きさエイリアン わかるかい

どんな印象を受けましたか?

旅客機、公団、寝静まる夜、バイパス、月明かり、街灯などなど、具体的な単語が結構出てくるので情景は何となく浮ぶと思います。

でもキミとボクがどんな関係性なのかや、ボクがどういう心情なのかに関しては、なんとも朧げで曖昧です。泣きそうな“キミ”を“ボク”があやすように励ましてる優しい歌だと解釈する人もいれば、いやいやこれは浮気性の“ボク”が“キミ”に開き直っている歌だよと言う人もいます。禁断の実というワードに引っ張られてか、これは同性愛について歌った曲だと解釈する人もいれば、快楽殺人犯の歌だと主張する人もいます。

ただ分かるのは“ボク”が“キミ”に対してエイリアンと呼びかけているということ。そして“ボクら”はエイリアンズだということだけです。

“不揃いな遠吠え”“仮面のようなスポーツカー”など捻った表現も多く、一聴しただけでは全貌が見えないミステリアスさ。“暗いニュースが日の出と共に町に降る”この“新世界”は、伊坂幸太郎が『終末のフール』で描いたような穏やかで気怠げな終末的近未来の雰囲気を醸し出しているようにも思えます。

と同時に、“月明かりが額を撫でて”くれるこの“素晴らしい夜”に、“月の裏を夢み”ながら“キミが好きだよ”とキザな言葉を並べ、“魔法をかけてみせるさ”と宣言するロマンチックさ。

分かるようで分からない、冷たいようで暖かい不思議な歌詞世界…

「なんじゃこれ!訳わかんないよ」とならない程度に手がかりを与えつつ、想像する余白を持たせた絶妙な塩梅の情報量。…素晴らしくないですか!?

showmoreの『リンスインシャンプー』という楽曲も想像の余地を持たせてくれる素晴らしい歌詞なのですが、こちらは渋谷で撮影されたPVという強力なヒントがありました。

でも『エイリアンズ』のPVは全く情報が無い。ヒントが無い。だから聴き手が自分で想像するしかないのです。『エイリアンズ』には聴いた人の数と等しく数多の解釈があり、同じ人でも数年後に聴くと全く違う解釈を見出すこともある。可能性に富んだ楽曲なのです。

さて、ここからは私の解釈を述べたいと思います。先入観無しで独自の解釈を楽しみたい方は、一通り『エイリアンズ』を咀嚼し味わい尽くしてから読んでください。


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私にはこの曲が、【他者はどこまでも他者で、分かり合うことは不可能だ。それを悟った上で、それでもキミを愛する。成熟した大人による、愛に満ちた優しい歌】だと聴こえました。

顔も性格もそっくりだなぁと思う家族でさえ、時に「ダメだ…こりゃ話が通じないわ」と匙を投げたくなることってありませんか?だいぶ価値観が近い人間ではあるけれど、全く同じでは無い。仮に私が地球人だとしたら、母は月の住民で父は火星の住民です。ましてや他人なら言わずもがな。まるで異なる価値観を持っています。とは言え学生時代はまだそう遠く無かった。同じくらいの学力・同年代・同地域に住む我々は、辛うじて同じ銀河系の住民でした。

社会に出るともう、大変です。何億光年も離れた銀河系の、見ず知らずの惑星に住むエイリアン達と出会うことになります。いくら言葉を尽くしても分かり合えそうにないエイリアン達を前に、自分の星に引きこもってしまいたくなることもあるでしょう。が、しかし、気づくのです。彼ら彼女らにとっては、自分もまたエイリアンなのだと。

エイリアンズである“ボクら”は“この星の僻地”で言い知れぬ疎外感を抱いています。だけど、“キミ”と“ボク”が同じ星のムジナかと言うとそうではなく、キミにはキミの星があり、ボクにはボクの星があるのです。そうと分かった上で“キミが好きだよエイリアン”と連呼するのです。

なんて成熟した愛でしょう。いい、すごくいい。「キミが好きだよエイリアン」って言われたい。(注:似た解釈をしてる人からに限る)

先日観た映画「愛がなんだ」に通じるものがあるなと感じたのは、以上の理由からでした。愛の意味は人の数だけあり、エイリアンズの解釈もまた人の数だけあり、我々は皆それぞれエイリアンなのです。

ああっ!!この曲に関して述べたいことが多すぎて、気づけばもう2600字になってしまいました。続きは②に書こうと思います。

次回の内容は【作詞家・堀込泰行さんの意図】と【数々のカバーを比較してみた】です。


#歌詞 #邦楽 #キリンジ #エイリアンズ #愛がなんだ #堀込泰行









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