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企業経営だけが経営ではないという考え方

みなさんは「人を束ねる」立場になったことはありますか?

社長?役員?

いえ、それだけではありませんよね。

部長だって部を束ねていますし、課長は課を束ねています。プロジェクトマネージャーはプロジェクトチームを束ねていることでしょう。束ねるというのはなにも権限や裁量の話だけではありません。その役割に見合った責任を日ごろからどのように負っているかという問いでもあります。

むしろ、その責任を負った活動ができていないのであれば、言い換えるなら

 「責任を取らざるを得ない結果をもたらすような無責任を晒すのであれば」

そんなものは経営と呼びませんし、経営者とは呼びません。

たとえば部長の仕事は、事業経営の観点から「部」という単位組織のマネジメントをすることです。プロジェクトマネージャーの仕事は、プロジェクト運営という観点から「プロジェクトチーム」という単位組織のマネジメントをすることになります。当然、それ以外の肩書きの人にはさせられませんし、できません。


ここで絶対に勘違いしていただきたくないのは

 マネジメント ≠ 管理

という点です。マネジメントというとついつい「管理」と意訳してしまいがちなのは日本の悪いところです。実に多くの人が「管理」をいう日本語を当てます。つまり、マネージャーとは状況や状態の『管理者』であってそれ以上でもそれ以下でもないという認識もってしまうのです。

しかし、そうは言いつつもP.F.ドラッカーのマネジメントなどが日本でも広く認知されたことから徐々に違和感を感じている人も増えています。「管理」という言葉に人を束縛するイメージがあるからかもしれません。

もしもマネジメントが「管理」でしかなく、部下等を束縛するだけのやり方だとしたら、その組織と人は間違いなく疲弊し、次第に保守的な人ばかりが残って待っているのは

 停滞退化

に向かっていくことでしょう。

組織の雰囲気として

・いつも同じ人ばかりで会話している
・異なる立場の人との会話が激減している
・前例踏襲主義に陥り、新しい方法や価値観を受け入れなくなる
・問題があるとわかっていても誰も指摘しなくなる
・当たり障りのない会話が増える
・現状に対する問題意識が減って、改善意識が芽生えなくなる

といった傾向が顕著になってきたら組織が保守的に進行しており、徐々に組織の停滞が進行していることを示しています。

マネジメントとは

マネジメントとは、本来ビジネス上における様々な資源や資産・リスクなどを管理し、経営上の効果を最適化しようとする手法のことです。

一般に“管理”と意訳されてはいますしそれも間違いではないのですが、”管理”という意味合いの他にも”評価・分析・選択・改善・回避・統合・計画・調整・指揮・統制・組織化”など様々な経営的要素を含むということをわすれてはなりません。

要するに

 経営

するためのすべての要素をまとめて「マネジメント」と呼んでいるのです。

その証拠にQC(Quality Control)は日本語で「品質管理」といいますよね。品質評価のもととなる基準を設定し、基準通りに進行しているかその状況を監視・把握し、その基準通りとなるよう調整します。

 コントロール = 管理

ということに違和感を持つ人はいないでしょう。多くの人のイメージする「管理」とは本当はこちらのことを指しています。これはマネジメントとは似て非なるものです。

 マネジメント = 経営

と解釈するとすべての違和感が払しょくされます。マネジメント(経営)の下位の概念がコントロール(管理)ということを覚えておきましょう。もちろんマネジメントの一要素ですから否定されるものではありませんし、間違いなく必要なものではありますが、必要条件ではあっても十分条件にはならないということも同時に理解しておきたいところです。

その意味でも、マネジメントを実施するものは企業経営者だけでなく、すべて経営者と呼んでいいのだと思っていますし、少なくとも私はその責任意識をもって組織を束ねてきました。

そして先ほども説明したように、コントロール(管理)とは

評価のもととなる基準を設定し、基準通りに進行しているかその状況を監視・把握し、比較し、ギャップがある場合は基準通りとなるよう調整する

ものであるにもかかわらず、

 ・行き過ぎた管理を行おうとする
 ・細かいところばかり管理して、本質を見失う
 ・「プロセス」ではなく「人」を管理対象としてしまう

ようなことをするためにコントロールもままならず、マネジメントも十分に行えない経営が世の中にはびこってしまうのではないかと思うのです。


マネジメントの対象は「仕組み」

肩書きを持つと、あわせて人事権も有することが多いと思います。

そのため、どうしても「人」をコントロールするのが管理者の仕事だと勘違いしてしまいがちです。

しかし、コントロールの対象は「仕組み」であって人ではありません。

人をコントロールしようとするから人に責任を押し付ける風土が醸成されてしまいますし、その風土が醸成されればされるほどみな保身に走らざるを得なくなって、組織全体が保守的・保身的になってしまうのです。

「何度言ってもやらない」
「何度言ってもできない」

からと「人」に口を酸っぱくして言い続けていても当然ながらできないものはできないし、やらないものはやらないに決まっています。そして「人」をコントロールすることでしか管理ができない管理者のもとでは、たまたま「できる」人を見つけると、できる人にばかり仕事を集めます。

できない人、やらない人に仕事を回しません。

そして「人」それぞれの仕事のバランスが大きく崩れていきます。

それすらも管理者の命令で許されているわけですから、できる人はどんどん擦り減っていき、できない人/やらない人はできなくても(やらなくても)その場にいるというだけで報酬は変わらずもらえるわけで、そのようななかであえて「自分もやろう」とはしなくなっていきます。

そしていつしかできる人は去っていき、できない人/やらない人は「それは自分の仕事じゃない」と本心で思い込んでしまうようになり、保守的な組織ができあがっていきます。

問題の本質は、「人」の意欲や能力を育む「仕組み」がないことにあります。
管理者にそれが構築できるだけの能力がないことに問題があるのです。

組織には様々な仕組みが必要です。

・組織の細分化
・役割の付与
・責任と権限の明確化
・予算の配分
・メンバー個々に対する職務の割り当て
・目的ベル会議の開催
・問題が発生した場合の情報の流れ etc.…

こうした仕組みと適切なコントロールがあって、組織が回るのは間違いありません。

逆にこうした仕組みを排除するのであれば、それはもうただの主人と奴隷の関係でしかないのですから組織である必要はありません。


マネジメントとリーダーシップ

人によっては、マネジメントとリーダーシップを大局的な概念で捉えることがあります。しかしそれは「マネジメント=管理」と勘違いしているがゆえの誤解であり、本来はマネジメントの一部でしかありません。

よく、

 マネジメント = 監督
 リーダーシップ = 主将(キャプテン)

なんて揶揄されることがありますが、監督と主将が対極にないことはこれを見てもわかるかと思います。監督が環境を整え、準備し、戦略を練るのが仕事であるのに対し、主将はそれを目標達成に向けてメンバーに働きかける影響力を発揮することが仕事となります。

それぞれまったく役割は異なりますが、主従は「監督>主将」という関係になりますので、この関係性からも対極と考えるのは誤解であることがわかります。


リーダーシップの発揮対象は「人」

マネジメントやコントロールの対象が「仕組み」であるのに対し、リーダーシップを発揮する対象は「人」となります。ゆえに

・コミュニケーション
・コーチング
・ファシリテーション etc.…

といったスキルを発揮するのはマネジメントやコントロールの領域ではなく、実はリーダーシップの領域だということがわかります。

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