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責任を持たせるための4つの処方

「仕事で責任をもたせるための処方は4つある。
 人の正しい配置、仕事の高い基準、自己管理に必要な情報、
 そしてマネジメント的視点をもたせる機会である。
 これらのすべてが必要である」

P.F.ドラッカー『現代の経営〔下〕』

もーね。
ホント至言だと思うんです。

多くの人は「個人の努力」依存で組織としては何もしないのが当たり前だと思っている人もいるかも知れません。適材適所という言葉を妄言程度にしかとらえてない人もいるかも知れません。

でも、実際「責任感のない人」を見る度にいつもこの言葉を思い出しますし、これらを実現しようと思ったら経営層なり上司なりが主体的に動くしないんですよ。

どうあがいたってボトムアップでどうにかなるレベルの課題ではありません。

そもそも組織体というヤツは、そこで労働に従事する人が、それぞれの役割に対して最高のパフォーマンスを出すことを望んでいます。そしてその実現のためには、個々人にその役割を全うするだけの責任を持ってもらわなければなりません。責任意識も無いのにパフォーマンスだけが最高になる…なんて発想はよほど頭の中がお花畑(性善説一色)にでもなってない限り、まず不可能です。

では、どうやって責任意識を根付かせるのか。
どうすれば失敗しないための慎重さを身につけるのか。
どうすれば高いパフォーマンスを出そうという姿勢になってくれるのか。

その意識を根付かせるための処方が4つある…とドラッカーは言っているわけです。

人を正しく配置する

第1が、人を正しく配置することです。

まぁ当り前と言えば当り前ですよね。
組織において「個人」とは、機能を有した製品に対する「部品」のようなものです。では一般的に部品というのは適当に組み上げて、期待通りの機能を有することができるのでしょうか。正しく組み立てないとまともに機能しなかったり、期待するパフォーマンスは出ませんよね。

18Vのバッテリーがいるって言ってんのに、10Vのバッテリーをつなげて必要な馬力が出るか?というと出ませんよね。

これとまったく同じです。

「人は、精神的心理的に働くことが必要だから働くだけではない。
 人は何かを、しかもかなり多くの何かを成し遂げたがる。
 自らの得意なことにおいて何かを成し遂げたがる」

P.F.ドラッカー

しかも人は千差万別です。当然、何を成し遂げたがるかは人それぞれですし、得意とするものも人によって違います。

つまり、人の出力パフォーマンスは適切な配置によって左右されます。ドラッカー流にいうなら「強み」をどれだけ活かせる配置にするかで決まると言っても過言ではないでしょう。そして組織はその個々人の強みを正しく把握し、適切に配置する責務があると言っているのです。


高い基準を設定する

第2が、仕事に高い基準を設定することです。

高い基準ほど、仕事に挑戦させるうえで効果的なものはありません。人を成長させるのは常に「現在の実力以上の何か」を要求した時だけです。

たとえば腕立て伏せを思い起こしてください。

負荷になるほど実施しなければ筋肉は育ちません。たとえば軽々100回できる人に「毎日1回実施する」よう指示したとしても、それはその人にとって限界を大きく下回る範囲内なので負荷とは呼べず、そこから成長につながることはありません。

  • 限界よりちょっとだけ負荷をかける

  • 失敗することで今の限界に無い新しい学びを得る

ことをしなければ決して成長はないのです。成長しなければパフォーマンスの上限が向上しません。もし新人の内からそんな状態で過ごせば、新人の時の実力から何一つ向上しないままです。

できることをやらせても何も高揚しません。
できるイメージがわかないことをやらせてもやはり高揚しません。

できそうなことだけど、ほんとちょっと高いハードルを設けてあげることでチャレンジしようという気概が生まれ、前向きに取り組もうとするからこそ「成功させたい」意識も芽生え、そこに「自分の仕事である」という認識が定着するから責任感が生まれてくるのです。

「絶えざる努力と能力によってのみ
 実現される水準の仕事に挑戦するとき、
 本当の動機付けが行われる」

P.F.ドラッカー

しかし、仕事に高い基準を設定するには、その設定を行う権限を持つマネジメント自身が自らの仕事に高い基準を設定していなければなりません。設定される人にとって、自らよりも低能な、あるいは無能なマネジメントほどやる気を失わせるものはないのですから。

私自身も心掛けていることですが、当然ながら口先だけの人間になるつもりは毛頭ありません。かれこれ20年以上ものあいだソフトウェア開発、プログラミング、プロジェクトマネジメントから新人教育向けの社会人基礎力まで様々な分野でなにかしらの社内教育に携わってきましたが、今まで教育・指導してきた内容の一つひとつに対して、私自身が実践できないものは何一つありません。すべてが経験則や実績に基づいたものですし、それもまた過去の栄光にすがっているわけではなく、今すぐ実践することも可能な状態に常に準備しています(そうしておかなければ、トラブルプロジェクト発生時に急に呼び出されて対応することなんてできませんし)。

「いつ徹夜が続くかもわからないから」という理由で、いまだに毎月休日に徹夜をする日を数日設けるようにしています。身体に慣れさせておかないといざという時に困るからです。

まぁ本当なら「関係のない赤の他人にそんなことを要求しなければならないようなトラブルを起こすなよ」…とも言いたくなるのですが、それくらいの現役意識を常に忘れないようにしているわけです。できるだけ早期解決しないとお客さまも困りますし、なにより現場のエンジニアの疲弊状況も早急に解決しないと可哀想ですしね。

だからこそ私は、私より立場が上の人たちには高いハードルを要求することが多いかもしれません。逆に私より立場が下の人たちには常に背中を見せ続ける(追い越されないようにする)気概を失わないようにしています。というか教育するたびに「どんなに成長しても絶対追い越させない!」「君が成長した分、俺も成長するけどね?距離は縮まるかな…?」とかいつも考えています。


効果測定の結果を共有する

第3が、自らの仕事ぶりを評価するための情報です。

わたしはこれを「効果測定を可視化する」と呼んでいますが、要するになんとなく、漫然と仕事に従事するだけで終わらせるのではなく、その活動がどれほどの効果を生み出しているのか、その結果がどれだけの人にとって役立っているのか、それを当人に実感させることが重要だということです。

どんなに些細なことであっても「それが無いと困る人がいる」「その小さな活動が企業に〇〇だけ貢献している」と実感すれば、やったらやっただけ効果が上がるとわかればやる気も出てきますし、なにより強い責任感も生まれます。

「問題は、働く者がどれだけの情報を欲しているかではない。
 企業がどこまで働く者を巻き込まなければならないかである」

P.F.ドラッカー

責任を持つには、自らが企業に対して、また企業を通じて社会に対して、いかなる貢献をしているかを知らなければどうしようもありません。最悪の場合、「…なんのためにこんなことしてるんだろう」なんて考えさせるようなことになれば、モチベーションの低下からひいてはパフォーマンスの低下を誘発することになります。

 「いいから俺の言うとおりにやれ!」

みたいな権力ばかり振りかざして自らの説明責任を果たすこともできない、無能な準パワハラ上司なんて巷にゴロゴロしているのかもしれませんが、そういう組織では全社的に労働生産性が低下していることでしょう。その割にノルマ等を設けていたりすると、徐々にパフォーマンスの悪い分を残業等で補填することになり、どんどんブラック化が進んでしまうという悪循環を生み出します。

まぁそもそもそんな上司を昇格させるような人事制度となっている時点で、もう色々と取り返しのつかない状況なのかもしれませんが。


マネジメント的な視点を持つ

第4が、マネジメント的な視点を持つ機会です。

これは私もプロジェクトマネジメント系の教育を行う際に必ずと言っていいほど伝える観点の1つです。ソフトウェア開発の現場でも、プロジェクトメンバーとして従事するエンジニアの方々は誤解しているのですが、そもそもプロジェクトマネジメントは

 プロジェクトマネージャーだけの仕事ではありません

プロジェクトに従事する人たちが協力し合って初めて成立するものです。このことが誤解されているからプロジェクトマネジメントに関するお話をするとエンジニアの方々は「眠そうにしていたり」「自分には関係ないと思っていたり」という風潮が多く見られます。

たしかにプロジェクトマネージャーに色々な権限や責任をついて回ります。

考えること、検討すること、決定すること、指示することなど色々と役割も多いでしょう。しかし、プロジェクトはそこに従事する一人ひとりが計画通り、指示通りに実現する努力を行い、プロジェクトマネージャーが期待する通りの活動を行わなければ成功しません。プロジェクトマネージャーが頭だとしたら、メンバーは手足です。

 「手足が言うことを聞かない」
 「手足に何かがあっても信号が送られてこない」

という状態では頭も適切な思考、適切な判断はできないのです。プロジェクトマネジメントは全員で成立させるものです。であれば、末端のエンジニアであっても、集団活動を円滑に進めるためにはプロジェクトマネジメントを体現する立場として、「どのようなことを心掛けなければならないか」「どのように準備しておけばスムーズにマネジメントできるか」は知っておかなければなりません。多少プロジェクトマネージャーの能力水準が低かったとしても、それをボトムアップで支えてあげられる予備知識が必要なのです。

たとえば、進捗報告をイメージしてみてください。

プロジェクトマネージャーはこの進捗報告で本当に知りたいことは何なのでしょうか。「進捗」と一言でいうと「進み具合」「捗り具合」のことを言いますよね。だから、実績として

 「どこまで進んだか」

を報告する人が多いのではないでしょうか。
でも、プロジェクトマネージャーはほんっっっっっっっっとうにその情報を知りたいのでしょうか。プロジェクトマネジメントを滞りなく進めるためにプロジェクトマネージャーが気にしているは、一つひとつのタスクが

 「計画通りに完了するか」

のはずです。10日かかるタスクがあって、今どこまで進んだかは問題ではありません。10日後にちゃんと終われるのかが知りたいんです。その本質を無視して7日経った時に

 「現在、7割まで進みました」

と報告したとします。報告する側は実績として作成が70%進んだのだから嘘ではないし、その通りに愚直に報告しただけかもしれません。でもプロジェクトマネージャーはその言葉から

 (よしよし順調だな…じゃああと3日後には完了するな…)

と解釈してしまうでしょう。

でもフタを空けてみると難易度の低いところから着手していて、前半は順調な数字に見えたものの残った3割は非常に難易度の高い箇所ばかりだった…なんてことはよくある話です。このままではおそらく3日後に完了することは非常に困難でしょう。しかし、こんな報告では決して気づけないままです。

みなで協力し合うべきプロジェクトマネジメントに欠陥がある証拠です。

このように、プロジェクトマネジメントに何らかの形で関わる人たちは、関わり方の本質的なポイントを押さえておく必要があります。


これは経営という意味でのマネジメントでも同様のことが言えます。

自らの活動がどのようなROI(投資対効果)となっているのか、そうした考え方は非常に重要です。

私たちは一人ひとり従業員として会社から報酬をもらっています。

では、みなさんはその報酬(額面)のおよそ3倍を月単位の原価と考えた時、その金額に待ったパフォーマンスを常に提供し続けているでしょうか。

仮に原価90万だとした場合、1日あたり45000円のパフォーマンスが求められます。

  • 雑談ばかりでした

  • タバコ休憩ばかりしてました

  • 居眠りしてました

  • 会議にとりあえず参加したけど、一言も発しませんでした

  • 議事録1つ作成するのに3時間も4時間もかけてました

これは本当に45000円の価値に見合った仕事と言えるのでしょうか。もし20000円のパフォーマンスしか出していないのであれば、その人は原価40万…額面報酬にして16~17万円の価値しかないということになります。

もちろん毎日そんなことを考えながら仕事に従事するのは息苦しいという方もいると思いますし、実際そこまでシビアに考える必要はありませんが、マネジメントの観点を持つとそう言うことも理解できるし、理解していればほんの少しだけ責任感が高まってくるというのはお分かりになるかと思います。

そしてそうした積み重ねがビジネス意識の非常に高い人材を生み出し、パフォーマンスの向上につながるというのもご理解いただけるかと思います。

「われわれは、正しい配置、高い基準、自己管理のための情報、
 マネジメント的な視点をもつ機会など
 能動的な動機付けを必要としている。

 すでにかなりのことが明らかである。
 何を行わなければならないかも明らかである。

 少なくとも、今日行っていることよりも、
 はるかに多くのことが行えるはずであることも明らかである。

 すでにわれわれは、今日目標としていることが実現され、
 今日宣言としていることが歴史となることを期待してよいだけの、
 十分な理由をもっている」

P.F.ドラッカー『現代の経営』

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