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凡人をして非凡をなさしめる存在でありたい

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です。

これは私も常々そう思っています。

15年以上、継続して新人教育を行ってきたせいでしょうか。つい先日まで学生でしかなかった新人たちが、いきなり他のエンジニアたちと肩を並べられるほど優秀な実績を納められるわけもありません。

しかし、かといって「採算度外視でとにかく育成させなければ」というのも経営の視点から考えれば悪手です。

たとえばマクドナルドがアルバイト専用のマニュアルを作成して、どの店舗でも即日店員として応対できるようにした…という話は有名ですが、コレと同じで凡人をして非凡をなさしめるように仕組みで対応することは可能です。

そもそも自らが抱えている組織において、一人ひとりが行っている業務を『言語化』できる人はいったいどれほどいるでしょうか。

この『言語化』がすべての出発点です。

イメージや感覚、経験則といったアナログな能力に頼るのは、その実力が身についている人たちにとって楽かもしれません。ですが、人はいずれ死ぬものですし、そうでなくても異動や離職だってあるかもしれません。病欠で戦線を離脱することもあるでしょう。アナログな能力に頼る組織では、そうした状況に耐えられません。一切のリスクヘッジを考えていないからです。

とにかく稚拙でも、整理されていなくてもいいので、第三者が聞いてなんとなくでもイメージを共有できる程度に言語化してみてください。何度も繰り返していれば、いずれ洗練されていき整理されたものになってきます。

そうなれば次は『アルゴリズム化』です。

たとえば何気ない判断1つとっても、何を条件に判断したか自分自身に問いかけるのです。最初は感覚的なものであってもかまいません。感情的なものでもいいでしょう。複数条件があっても構いません。それらを図にしていけば否応なく下図のようなチャートが描けるようになっているはずです。

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たとえば、部下が新しいプロジェクトを始めるにあたって、顧客へ提案資料を提出しているとします。上司としてその見積内容を確認し、提案活動を承認する立場だったとしましょう。

この時、責任者として承認行為が必要なわけですが、そもそも上司の承認って必要なのでしょうか?

ざっくりと条件を洗い出してみましょう。

・見積り根拠が明確なこと
・利益率が〇%以上となること
・条件を備えた要員のアサイン確度が高いこと
・リスクおよびその対策が検討されていること
・マイルストンが設けられていること
・計画見直しの条件が設定されていること
・計画実現性が高い理由が説明できること
・顧客と契約時に合意すべきポイントが明確であること etc.…

色々あるでしょうが、一つひとつをYes/Noゲームのように確認していき、必要十分な条件を満たしていれば問題はないはずです。

もちろん実践で活用するのであればもっと具体的な条件にする必要がありますが、抽象的なもので良ければだれでも6~7割は洗い出せるはずです。一度洗い出すことができれば、あとはそこからブラッシュアップしていけばいいだけです。

もしこうした上司が承認するロジックをアルゴリズム化できていれば、別にそのアルゴリズムに則って条件さえ満たしていれば誰が承認しても、いや誰も承認しなくても問題はないはずです。

それを実際に実現しているのがRPA(Robotic Process Automation)なわけです。

複雑そうに見えても、いえ実際に複雑だったとしても、それらを解きほぐして1度アルゴリズムの図にしてしまえば、あとは新人でも上司と同じ判断ができるようになります。

このように『仕組み』にすることで、凡人をして非凡をなさしめるように仕向けることが組織を束ねるものの責務(役割)であり、責任です。

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「人の有能、無能という評価は、そのものの立場を基準に測るべき」

まったくその通りだと思います。新人に新人以上の能力を求め、その通りにできなかったからと言って「無能」と呼ぶのは、そう呼んでいる者こそが本当の無能です。評価の仕方がわかっていない証拠で、評価の仕方がわからないと言うことは、真の良し悪しを判断できる知力・能力を持っていないということを意味します。

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自らの立場、相手の立場を鑑みた時に、上司が部下や新人に勝手に期待するのは構いません。ですが、期待外れだからと言って過剰に評価を落とすのはやはり無能な上司と言わざるを得ません。

相手の立場を十分に理解したうえで、その立場にみあった成果が出せているか、出せる能力を有しているかで評するべきなのです。新人には新人の。若年層には若年層の。ベテランにはベテランの基準というものがあります。それを無視して自分の期待を押し付けたり、周囲の天才と相対比較して凡人を蔑むような評価をする人は上司になる資格はありません。


そうした相手の立場を理解したうえで、その個人の立場、個人の能力だけでは到底為しえないような大きな成果をあげさせるために…つまりは非凡な成果をあげさせるために、「組織」「集団」ならではの力の発揮のさせ方を構築しましょう。

上司とは、そのために在ると言っても過言ではありません。
それは中間管理職でも、経営陣でも同じです。

たとえば、100億規模のシステム構築プロジェクトがあったとして、みなさんがどんなに優秀だったとしても「1人でやれ」と言われたらどうですか?

 「できる時間さえくれたら全部やる」

って人はどの程度いるでしょう。プログラミングだけしていればいいわけではありません。契約、交渉、調達、検討、作成、検証、証明、etc.…すべて1人で実施するわけです。さすがにゼロということはないかもしれませんが、それらの能力がすべて標準以上に備わっていて、適切な時間さえあればたった1人でできる…というのはそうそうないことでしょう。

まぁ実際そんなことさせてる企業があったら、そんな企業はつぶれてしまえばいいと思いますけどね。だってそんなの企業の力でもなんでもないし。というかその優秀な人だけで事業が成立しちゃうんですから、さっさと独立すればいいんです。誰が助けてくれるわけでもなく自分1人であげてきた利益を他人に分け与える必要なんてありません。

実際には多くの人が関与することになります。直接的に開発するエンジニアもそうですし、顧客と交渉する営業担当、日程や進行を管理・コントロールするマネージャーやそのマネージャーを支援するPMO。企業に属しているならそれらの業務が円滑に進めるように諸手続きなどを進めてくれているバックオフィスだっています。

そう、一人ひとりがステークホルダーなわけです。

誰が欠けても歪みは必ず生じます。そりゃー1人程度なら欠けても他の人がカバーできるかもしれませんが、「それくらいカバーできるわ!」という発想までで止まってしまう人はいわゆるブラック体質ですよね。

そのカバーした分が残業等のしわ寄せになっているのでは意味がありません。大多数が凡人で構成された適切な人数の組織であれば、それらを非凡になさしめる仕組み(マネジメント)を構築できさえすれば、超天才に頼らなくてもきちんと仕事を全うすることは可能です。

「組織は天才に頼ることはできない。天才は稀である。当てにはできない。凡人から強みを引き出し、それを他の者の助けとすることができるか否かが、組織の良否を決める。同時に、組織の役割は、人の弱みを無意味にすることである。要するに、組織の良否は、そこに成果中心の精神があるか否かによって決まる。」
----- P.F.ドラッカー『マネジメント–-課題、責任、実践』

要するに新人や若年層に無理難題を吹っかけて、期待以上の成果が出なかったら「無能」呼ばわりするような人というのは、自分が楽したいだけなんですよ。

育成するでもなく、仕組みを構築するでもなく、ただ既存の組織環境下のなかに放り投げて惰性で勝手に成長することを期待するだけの無能。ちょっとそのことで責められるとやれ「忙しい」と言い訳をする。

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別に相手がどんなに凡人であったとしても、どんな新人であったとしても、つきっきりでフォローする必要はありません。

一人ひとり差はあるのでしょうけど、相手の力量にあわせて監視・コントロールするサイクルを決めればいいんです。1週間に1回で十分な相手であれば、週1でいいでしょう。毎日チェックした方がいいなら毎日、半日がいいなら半日に1回監視・コントロールすればいいんです。元々「監視・コントロール」というのは、リカバリー可能なサイクルでチェック(監視)し、問題(予定や期待と異なること)があれば問題を解決して予定や期待に沿うようにフォローすることですから、一人ひとりの「リカバリー可能なサイクル」にあわせてあげればいいんです。

小さな成功、失敗の経験から徐々に成長しますから、短サイクルな子が延々と短サイクルのままということもありません。いや、徐々にサイクルを長くしても大丈夫な、これも仕組みにしてしまえばいいだけです。

案外、誰でもすんなり受け入れてくれる「仕組み」というのはそう難しく考える必要はありません。

・あらかじめ目的や意義、仕組みの詳細を説明する(何も隠さない)
・役割に見合った業務を託す
・ゴールを設定する
・評価軸を決める
・本人たちの疑問に答える

たったこれだけのことをしっかりと手順を踏んで実践することで多くの人を納得させることができるでしょう。

本人たちに自意識を芽生えさせ「自分の仕事」と考えてもらうためには、色々と段取りが必要で、その結果として"納得"が生まれる必要があります。

どんなに重要な仕事であっても"納得"が生まれていない場合は、パフォーマンスも落ちますし、当人のエンゲージメントも低下しているものです。

たとえば、営業やバックオフィスの人に

 「開発の手が足りてないからそっち手伝ってきて!
  結果出さなければ当然評価は下がるけど」

と言われて、営業やバックオフィスの方たちは納得して主体的な仕事が進められるでしょうか。

これは極端な例ですが、同じことがそれぞれの部門内部の些細な業務や作業でもよく起こります。たとえば「誰もやりたがらない作業」とか。明らかに指示する人自身がやりたくないと思っている作業を部下やメンバーに割り振ったりすると、意外にも部下やメンバーにもその空気は伝わるものです。

こういうものは、どんなにあの手この手を使って説得しようとしても無意味です。まぁ"説得"しようとしている時点で間違えているんですけど。

「会社のために」とか
「個のプロジェクトを成功させるためには」とか

体のいいことを言っても、要するに自分のためでしかありません。説得というのは自分の想い通りにコントロールしようとするものですから基本的に「主観的」となります。逆に相手から"納得"を引き出すことが困難になります。

"納得"を引き出すためには、相手自身が望みやすい方向へ誘導してあげる必要があります。そのためにはとことん「客観的」でなくてはなりません。

とはいえ、うわっつらだけ

 「君のためにもやってほしい」

と言われても胡散臭いだけですよね。というか、このセリフも要するに

 「君のために(という建前でとにかく俺の言うとおりに)やってほしい」

と言っているだけで「主観的」以外のなにものでもありません。客観的であればまず自分の想いや考えとはかけ離れることを優先します。だから、事実であったり、仮説であったりを駆使したうえで、かつ相手が考え、相手が答えを出せるように話します。

 「たとえば〇〇になったとしたらどう?」
 「今のうちに〇〇しておけば、後々××にならない?」

考え、イメージし「確かに」「なるほど」と一つひとつ咀嚼できるように話を進めていくと、時間は多少かかるかも知れませんが、相手は納得しやすくなります。

そしてそうするためには、相手目線に立ったうえで相手が納得するまでのストーリー(シナリオ)が必要になりますし、そのストーリーが仕組みとして確立されていれば、"納得"のうえに"安心"までしてくれることでしょう。

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