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「聞ける相手がいるのに聞かない」のは上司も同じということが多い

その通りだと思います。

まさしくコミュ障。
個人能力がどんなに高くても、ごくわずかな間柄の中でしか成果を出せないような人は

 「人を束ねる」
 「人を率いる」
 「集団をマネジメントする」

という役割には向いていません。

考えてもみてください。
たとえば次のようなシーン。

部下やメンバーに与えた仕事で何かに躓き、思うように業務が進まず悩んでいるとしましょう。このようなときに

 「わからないことは自ら進んで聞きにくるべきだ」

と言い放つ上司や先輩たちはとても多いと思います。
なかには、酒の席などで

 「俺の若いころは…」

なんて本当にあったのかどうかもわからない武勇伝が始まるシーンが待ち構えている…なんてこともあるかもしれません。

確かに「わからないこと」をわからないままにしても前に進めるわけではありませんし、無理に前に進もうとするのは自殺行為です。いわば五里霧中な状況でガンガン前に進もうとしているのですから当然です。

だから部下やメンバーがわからないまま悩んでいたり、立ち止まっていたり、盲目的に進もうとしていたりするのを見れば「オイ、なにやってんだ」と言いたくなるのもわかります。

ですが、じゃあまったく逆の視点から見てみるとどうなんでしょう。

本当に「わからないことは聞く」べきだというのであれば、上司や先輩の立場の方たちは部下やメンバーが何か問題を起こしてしまって管理責任を追及されたときに

 「部下や後輩が何を考えているかわからない」
 「部下や後輩の報告にはそんな話はなかった」

なんて言い訳は絶対にしないと言い切れるのでしょうか。

そもそも管理やマネジメントを行う立場である以上、報告してもらうまで口開けてただ待っているだけ…なんて姿勢は許されません。自分から情報を収集に行くべきで、わからないことをわからないまま放置しておいていいはずがありません。

部下やメンバーには自ら進んで聞きに行くことを推奨しておきながら、自分自身は率先躬行することもできないなんて恥ずかしい行為をしたりはしていないでしょうか。

 「何を考えているのか」
 「何で悩んでいるのか」
 「何がわからないのか」

つぶさに聞き出す努力をしているのか?確認する努力をしているのか?というとどうなんでしょう。

問題が起きてから部下やメンバーが悪い、みたいな言い方しかできない上司というのはおそらく自らも聞いたりはしていませんよね。

もしリアルタイムに部下やメンバー、あるいは取引先の疑問点・不明点を正確に把握していれば、結果として『問題』が生じる確率なんて嫌でも激減するはずです。生じるとしたら、管理/マネジメントの力量では対処しきれないほどの大きな問題だった場合のみです。もしも管理/マネジメント力量が高ければ、高いほどに問題は顕在化しないことでしょう。

勝手にわかった気になるだけなら誰でもできます。
もちろん新人にもできることでしょう。

問題が生じる…顕在化するということは、結局のところ

 ・問題が生じるまで、その要因に気づかなかった
 ・問題が生じるまで、その要因を取り除こうとしなかった
 ・問題を生じさせる力量が不足していた

のいずれかにしかなりません。

それだけに新人もベテランも、部下も上司も、立場に関係なくみな平等に「わからないことは率先して聞く」という行為はとても大事な仕事の一環ということになります。


とはいえ、聞かずともあるいは聞いたとしても本当の意味で細やかにわかってあげられる人というのはなかなか若年層には難しいことでしょう。そこそこベテランにしかできない領域であるのも確かですし、仮にベテランであっても全部をわかってあげることは決してできません。

 「自分はできている(すべてわかっている)」

なんて考えてしまった時点でそれはすでに驕りが生まれている証拠です。

そうした不文律ともとれる前提に立って上司や先輩などの役割を担うなら、日頃から「わかろうとする」努力はどれだけあっても十分となることはないし、そのことで誰かを一方的に攻めるようなことをするものではありません。また、どれだけあっても十分とは言えないから努力し続ける必要があるのだと思います。

だからこそ「わからないことを聞く」という行為においては、

 今できる最大限

を費やし続けるしかないのだと常々思っているわけです

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