飲みニケーションに依存しない
よく耳にするようになって久しい「アルハラ」という言葉。
「アルハラ」という言葉をご存知でしょうか?
新人のみなさんであればそろそろ被害にあい始めている人も出ているかもしれません。
アルハラとは、アルコールハラスメントの略で「飲酒に関連した嫌がらせ・迷惑行為」のことを指します。アルコールの力を借りることの恩恵や価値に一定の効果があるのは誰もが認めるところではあるのですが、しかし同時に必ずしも万人共通とはなりえないことも誰もが知るところです。
にもかかわらず、飲みニケーションを推奨する人は飲みニケーション以外のコミュニケーション方法を模索しようともせず、酒の席が苦手な人に強制したり、あるいは参加しないことが人事や評価などに直結するという事態を生み出すことがあります。
これは、自分の価値基準を周囲に押し付けているがゆえに生じる歪みです。放置し続けていると、結果的に組織の文化や風土を大きく破壊しかねません。そもそもアルコールは人の思考力を著しく低下させますし、感情のコントロールすらも危うくなる人が存在します。「○○上戸」といって、何らかの形で周囲に迷惑をかけてしまう人だっています。そんなアルコールにビジネスコミュニケーションの延長線上で頼ろうとすること自体がギャンブル過ぎるのです。
仕事における「飲みニケーション」の必要性についても、いい加減見直す時代がやってきていているのではないでしょうか。それしか方法を知らないというのであれば、あまりにもその人の世界が狭すぎます。
さらに、アルコールが入ることで
一気飲みを強要する。
酒を飲むこと自体を強要する。
酒の席に参加することを強要する。
仕事の席ではなくなったはずなのに、上司の命令執行を強制する。
芸などを強要する。
仕事に関係ない、プライベートな話題について話したくもないことを話させる。
等、飲酒に起因する嫌がらせ行為をも助長、あるいは助長する可能性が上がることはあれど、下がることは決してありません。中でも悪質なのは酒の席だけの話ではなく、酒の席外からハラスメントが始まると言う点です。
たとえば、酒の席に参加していない人を電話で呼びつけ
「おい、今から来い!」
と言い、呼ばれた人が喜んでいなかったらこれは立派なハラスメントになります。
実際、前職では出張にかこつけて別の拠点の新人の女の子を無理やり酒の席に電話1つで呼び出した管理職がいた…なんて逸話も聞いたことがあります。アルハラ+セクハラですね、完全に。
元々ハラスメントの1種ではあったものの、働き方の変化に伴ってこれまでまかり通っていたお酒の飲み方や飲み会での交流のあり方にも変化が生じています。内閣府からも認められている特定非営利活動法人ASK(アルコール薬物問題全国市民協会)によれば、アルハラの具体的行動は以下の5つに定義されています。
今では禁止しているお店も増えたため昔ながらの②はずいぶん減ったかもしれませんが、相変わらず酩酊した人の①や⑤はなくなりません。20歳未満への飲酒強要はもちろん、20歳以上のお酒が弱い方への強要も死亡事故や事件につながる危険性があり、立派な社会問題として取り上げられています。
程度の差こそあれ、基本的にこれらのいずれかに該当する行為を行った上司および会社は民事裁判などにかけられた場合、ほぼ確実にハラスメントと認められることになります。
また、最初から悪質な狙いがある人や自制心のない幼稚な精神の人は③などを行なってくるのでしょう。婦女暴行などを目的とするのもこの一種です。
そして、ビジネスの世界でなによりも怖いのは酒の席だけでなく多種多様なシーンで起こりうる④です。必ずしも酒の席だけの話にとどまりません。「酒の席に来なかった」「面白いことを言わなかった」「空気を読まなかった」そんな程度の低い理由で、翌日以降のビジネスや組織内の人間関係にわざわざ溝を作ろうとする人が出てくることがあります。
本来、そういう姿勢をとった時点でその人を速やかに処罰すべきなのですが、いろいろと公になって騒がれるまでまず間違いなく問題視しない企業のほうがおそらく多いのではないでしょうか。少なくともそんな自浄作用が機能している組織を私は見たことがありません。
今まで飲みニケーションといえば
「仕事で上司にお酒をつぐ」
「誘われたら2次会まで付き合う」
「飲み会では無礼講ができる」
「お互い腹を割って話し合える」
そういう場として利用されていました。決して悪いことばかりではありませんでしたし、そういったことにつき合わせる際には細心の注意をもって部下に接している上司も多かったように思います。
ただ、若い世代はそもそもお酒を飲まない人が多く、忘年会や仕事の後の打ち上げに参加しないという人も増えているそうです。そもそも仕事の延長線上として、残業代が出るわけでもないのに、上司等の顔色をうかがってご機嫌を取らなければならないような場に付き合いたいと思わなくなっているのかもしれませんね。
厚生労働省の「国民健康・栄養調査」によれば、飲酒率はピークの1996年と比べると年代全体で低下しています。
特に20〜29歳の飲酒率の低下が顕著で、1996年と比較すると約35%から10%程度に下落しているのです。
お酒離れが進んでいる背景には国民全体の健康意識の増進があげられますし、ここ数年はコロナ禍も影響していることでしょう。女性フィットネスブームや禁煙化推進など、健康がある種のトレンドになってきつつあります。さらには若者や中堅層を中心に終身雇用意識が薄くなったことで、苦痛を感じながら上司に媚びを売り続けなければならない道理がないことに気づき始めたということもあるのでしょう。
ハラスメントに苦しめられたり、粗雑に扱われるくらいなら、もっと環境がよく、パフォーマンスが出しやすく、さらに人間性を尊重してくれる企業で貢献すればいいだけですしね。
今までも一気飲みによるアルコール中毒で死亡した事件、飲酒運転など、お酒にまつわるトラブル・事件もその痛ましさが大きくなるほどにたびたびメディアでも取り上げられていましたが、日常的な会社の飲み会内で行われる「一気飲み」「飲み会の強制参加」「お酒の弱い人への嫌味・悪口」「ビジネス上の嫌がらせ」など、こういったことはあまり表面化してきませんでした。
しかし、働き方が変わっていくなかで「年功序列」「終身雇用」という社会から
「成果主義」
「個人主義」
「多様化」
という社会に変遷をとげる中で、こういった問題が浮き彫りになっています。
このアルハラですが、実は被害者と加害者の考え方に大きなギャップがあることが対策の難しいポイントとなってきます。
良かれと思ってオススメのお酒を薦めたことが嗜好のゴリ押しとなり、「アルハラっぽい」と受け取られることがあります。また「乾杯はとりあえずビールが常識」という考え方がもう同調圧力となっていてアルハラっぽいなど、知らず知らずアルハラに加担してしまっている可能性もあるのです。
なにせハラスメントはそう感じる被害者の解釈の仕方によるところが大きいわけですから、ハラスメントといわれる加害者側がどのように「良かれと思った」としても関係はありません。とかく強要やそう思わせるような誘導をした時点でアウトです。
本当に無礼講にしたいなら、自分ルールの押し付けはみっともないと言うことも理解しておかなくてはなりません。
元々、飲みニケーションの目的は
アルコールという力を借り、お互いの素を引き出して仲良くなる
というのが本質です。そういう相乗効果を狙って企業も時に交際費などを援助してくれたりするわけです。裏を返せば、その目的に合致させない以上、すべて認められない行為であるといっても過言ではありません。少なくとも業務時間外に業務中の肩書きを悪用してハラスメント行為をするなどもってのほかなはずです。また、飲酒も度を過ぎれば健康を害する危険性がありますし、金銭面でも大きな負担になることがあります。
さらに、一部の人にだけ「会社の経費を使って飲む」権限を渡すと、その使い方によっては
「その一部の権限を持つ人のために、
多くの従業員は汗水たらして働いているのか?」
と言うことになりかねません。
しかも、飲みニケーションは業務としての成果が非常に測りにくい側面もあります。「ただ飲みたいだけ」「ただ会社の経費で美味しいものを食べたいだけ」だとしても、それを第三者からは測ることができません。
仲良くなる相手が常に同じ面子だったりすると、既にそれは目的が別のところにあってとても目的に合致しているとはいえず、企業の経費で行っていいものとは乖離することになりますよね。
こうして、その権限を与えられた者と与えられない者の間に明確な不公平、不平等が発生することになり、そのうえで権限を持つ者が本当に適切な使い方をしているかどうかをオープンにする…なんてことは絶対にしませんので、さらに不公正さを助長してしまいかねないわけです。
本来、飲みニケーションの機会は平等に与えられる必要があります。
しかし、その平等性を多くの若い世代は望んでいませんし、強制すればアルハラとなってしまうのです。結果、全社員を平等にしようと思ったら、
とするしか方法がありません。
けれども、すでに企業内で既得権益を持ってしまった人は自らの権限を放棄することはまず100%ないでしょう。それがまた不公正であることをより鮮明にしている証明となり、より信頼を失ってしまうものだとしても決して改まることはありません。
ちなみに。
自らの実力でどうすることもできず飲みニケーションに頼るしかないという日本のような文化が存在しない海外では、即興演劇をベースにした「インプロ」と呼ばれるコミュニケーション術が参考になります。
インプロは主に企業のチームビルディング研修などで用いられるもので、飲みニケーション同様、無礼講という状態が即興演劇中の演技という形で生まれます。
たとえば、上司と部下がセリフの掛け合いをする時に即興演劇なのでつい本音が出ることもありますが、それは演技中ということで不問になるわけです。
前職では、朝まで飲んで気分が悪いからと重要な会議に出席しない役員や、朝から酒臭いままで出社する管理職なんてのがザラにいましたし、そういう人たちが重用される企業でした。そういう企業姿勢はともかく「酒」を特別視し、一定の特権を持つ人たちはそうして飲みニケーションを濫用することで業務に支障をきたすことがあったりします。
しかしインプロは、飲みニケーションと比べるとお金もかからず、また2日酔いで体調が悪くなる心配などもすることがありません。
外国人労働者の受け入れの法律も改正され、今後はより多くの外国人が日本に来ると思われます。そもそも日本の労働人口は右肩下がりなわけですから、企業として劇的に作業生産性を向上させるようなすべを持たなければ、否応なく外国人労働者などの雇い入れを推進しなければならくなるでしょう。
そうなっても飲みニケーションしかできず、時代の変化に取り残された企業は本当に生き残っていくことができるのでしょうか。いま以上に「多様性」への寛容さが問われることになるでしょう。もう口先だけでは済まされません。
岸田総理大臣流に言わせるなら、企業文化の改善は
『待ったなし』
の状態といえます。
飲みニケーションに限って言えば、飲める人、飲めない人、そして飲み会が苦手な人、得意な人、嫌いな人、好きな人。これらすべての多様性を相互理解し、飲みニケーション以外のコミュニケーションの方法も模索していくことが重要となってくることでしょう。
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