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僕のアメリカ横断記⑨(カンザスシティ2日目)

【その①を未読の方はこちら↓↓↓】https://note.com/sudapen/n/n06148d1c9a90

■8月28日(日)
 「お部屋を掃除してもよろしいですかぁ!」
 ドアの外でハウスキーパーが張り上げた声で、目が覚めた。今日はカンザスシティからシカゴへ発つ日だ。
 ベッドサイドのデジタル時計を見ると、8時30分だった。
 あれ・・・、8時、30分?
 眠気でモヤがかった意識がゆっくりと戻りはじめ、そして、叫んだ。
 「しまった!」
 アムトラックの出発時刻は、7時45分なのだ。
 昨晩アラームをかけたはずなのだが、鳴らなかったのか、自分が止めてしまったのか、まったく記憶がない。高級なベッドがあまりに心地よく、昨日の疲労もあって泥のように眠ってしまったらしい・・・。
 あわてふためいて荷物を詰め込み、ホテルを飛び出る。もしかしたら後続の便があるかもしれない。とりあえずバスを捕まえるために走って停留所に向かっていると、ちょうどバスがやってくるのが見えた。ところが、バスは停留所に誰もいないのを見て、ノンストップで通過し、僕の方まで近づいてくる。「止まってくれぇ」と手を振る僕に、なんとドライバーのおっさんは、シッシッと追い払うような仕草をして見せるではないか。しかし、もはや腹も立たない。自分の寝坊のほうがずっと腹立たしいからだ。バスは過ぎ去り、荷物は重たく、息も上がり、僕は走るのをやめて、ブツブツとひとりごちながら駅まで歩いた。
 駅の待合には、たくさんの荷物を携えた旅人がちらほらと座っていた。もしや・・・と思い、おそるおそる駅員に訊いてみる。
 「シカゴ行きの便はもう、出ましたよね」
 駅員はこちらも見ずに答える。
 「ええ、出ましたよ」
 「・・・今日は他に、シカゴへ行く便は無いのですか」
 「ええ、ありません」
 覚悟はしていたが、あらためてガックリと肩を落とす。どうにか今日、アムトラック以外の方法でシカゴまで行く方法はないものか・・・?僕はクラウンセンターまで行ってようやくwifiスポットを見つけ、自分のラップトップから色々と検索をかけてみた。しかし、結局のところ選択肢はほとんどなかった。アムトラック以外にシカゴまで行ける路線はなさそうだったし、親指を立ててヒッチハイクをするにはさすがに経験がなさすぎる。現実的なところで言えば、高速バスのグレイハウンドだった。
 ところが、公式サイトで調べてみると、今日出発のシカゴ行きの便があるにはあったが、乗り換えが必要で、さらに到着は深夜になるようだった。そもそもグレイハウンドに乗ったこともない自分がうまく乗り換えができるのか、深夜にシカゴのよくわからない停留所に降りたとして、ちゃんと宿まで辿り着けるのか。それに、グレイハウンドの停留所にはアムトラックの駅に比べて穏やかでない人々が集まりやすいとも聞く・・・。
 悩みに悩んだが、やはりグレイハウンドは諦めることにした。思い切ってリスクを取れない[温室育ち]がここでも出ている。

 そんなわけで、カンザスシティにもう一泊、滞在することになった。
 とりあえずシカゴで予約していた宿に電話をして、日にちを一日ずらしてもらう。これは運良くスムーズにいったが、問題は、ただでさえ宿が見つからずホテルに泊まるはめになったこの土地で、もう一度宿探しをしなければならないことだった。僕は血眼になって、グーグルマップ上のユースホステルや安いホテルを探した。ところが、やはりユースホステルはすべて満室で、ホテルは空室があっても料金が高い。さすがに2日続けて100ドル近くを支払う金銭的余裕はもうない。
 そんな中、「アメリカズ・ベスト・バリュー・イン」というホテルを見つけた。グーグルマップのレビューではなんと星ひとつ・・・。宿泊客からのコメントも、どれほど酷いホテルだったらこれほど怒りのこもったレビューが書けるのだろうという内容ばかりだ。
 ただし、ここは「1泊60ドル~」と表記されている。ユースホステルに比べるとやはり高いが、これくらいならなんとか許容範囲だ。予約用の電話番号のところに"Free call"と書いてあったので、自分のスマートフォンからかけてみる。すると、普通にプルル・・・と繋がった。日本のスマートフォンなのに電話がかかるんだと驚いたが、この場合も無料なのかは日本で請求書を見るまではわからない。
 電話に出た従業員は、単語を聞きとるのがやっとというくらいに訛りがひどかったが、なんとか空室があることと、一泊60ドルであることの確認はとれた。ところが、電話口での予約はさせられないと言う。そこでやむなく、部屋が取られてしまう前にホテルに向かうことにした。
 
 電話で案内された通り、クラウンセンター前からバスに乗り、「リンウッド」という停留所で降りる。そこからホテルまでは徒歩5分ほどと聞いていた。
 停留所に降り立つと、目の前にくたびれたバーガーキングがあった。あたりを見回すと、なんとなく殺伐とした雰囲気が漂っている。高い建物がなく、寂れた外観の住宅が点在していて、道路はろくに舗装されていない。昨日、博物館の展望台から眺めた新旧入り混じった光景の「旧」にあたるエリアなのだろう。
 とりあえず、ホテルを探す。停留所の近くにいた親子に道を尋ねると、不審そうに僕を見て、首を振った。ガソリンスタンドの黒人従業員や、肩を揺すって歩いていたチンピラ風のヒスパニックなど、とりあえず目についた人全員に道を訊いていく。そもそも通りに人が少ないのだが、このあたりは黒人やヒスパニックばかりで、白人やアジア人を見かけなかった。
 それにしても、お世辞にも衛生的とは言えない町だ。道端にはゴミが散乱しているし、いたるところから悪臭が漂ってくる。それに、住宅をよく見ると、ボロボロであるばかりでなく、手前の芝生に有刺鉄線を絡ませた柵を立てている場合が多い。それだけ治安が悪いのだろう。

街中のゴミ箱はだいたいこんな感じだ

 そんな住宅街を抜けると、大通りに出た。車は走っているのだが、人の気配は少ない。「18歳未満立ち入り禁止」との注意書きが貼られた怪しい店や、ケバケバしい電灯の装飾が施された奇妙な建物などが並んでいる。どう考えても普通ではない地域だ。早くホテルに辿り着きたい・・・。
 はじめて見つけた白人の男は、道路に石灰のような粉を撒いていた。作業着のようなものを着ていたので、周辺地理に詳しそうと見て、僕は彼に走り寄った。ホテルの住所を言うと、彼は車に積んであったパソコンからマップを確認し、さっきから僕の視界にも入っていたブルーの看板を指差した。
 「あそこだよ」
 僕は礼を言って、足早にその看板へと向かう。
 中華料理屋を過ぎてすぐのところに、「おんぼろ」と形容しても差し支えない外観のホテルがあった。まぁ宿泊代のことを考えれば文句が言えたものではない。(※本記事執筆時に確認したところ、すでに閉業していた。下記はもともとホテルがあった場所のストリートビューだが、茂みに大量のゴミが投棄されているなど、すさんだ雰囲気は当時のままだ)

 エントランスに入ると、電話を受けてくれた人物なのか、中東系に見えるおっちゃんがフロントで僕を迎えた。やはり訛りがひどく、何を言っているかほとんどわからなかったが、部屋のカードを渡されたので、とりあえず手続きが済んだらしかった。

 エレベーターに乗ると、中はベニヤ板のような物で覆われており、シンナーのような強烈な臭いがたちこめていた。えづきそうになりながらエレベーターを出て、自分の部屋のドアロックにカードをスライドさせるのだが、これが全くうまくいかず、10回ほど試したところでようやく成功する。
 部屋に入ると幸いにしてなかなか広いのだが、なぜかベッドが二台ある。さっきのおっちゃんが聞き取れない英語で説明してくれていたのかもしれないが、何かしらの理由でツインベッドの部屋が手配されたようだ。まあ特にベッドが2つでも不都合はないのだが、シングルだったらもう少し安かったのか?と勘繰ってはしまう。シャワールームは電話ボックスくらいの広さしかなく、冷蔵庫もないし、当たり前だが昨日のホテルのクオリティとはケタ違いだった。

なぜかツインで用意されたベッド

 とりあえずこの部屋を抜け出して、どこかで気分転換をしたい。そこで、昨日行くことが叶わなかったネルソン・アトキンス美術館を訪ねることにした。
 昨日と同じ、ケンパー美術館前のバス停で降り、しばらく歩くと、レンガ造りの古風な建物があらわれた。この建物は「カンザスシティ美術大学」で、1885年創立の長い歴史を誇り、かのウォルト・ディズニーもここで学んだ時期があるそうだ。キャンパス前の広場では、丸々と太った男子学生たちが木と木のあいだをゴールにしてサッカーを楽しんでいた。

カンザスシティ美術大学

 ネルソン・アトキンス美術館はその裏手にあった。建物は想像よりもずっと大きく立派で、1933年の開設から修繕や改築は当然あっただろうが、ギリシャの神殿を思わせるような荘厳さだ。

ネルソン・アトキンス美術館

 中に入ると、内装もかなり豪華で、いくつもの展示室が並んでいる。3万点以上にもなる所蔵作品は、アメリカ美術のみならず、ヨーロッパやアフリカ、アジア圏の作品も豊富だという。中でも記憶に残っているのは、僕が愛好するジョルジョ・デ・キリコの作品だった。それは"Rose Tower"という題の、キリコ特有の不穏な影に覆われた景色の中央に、橙色の塔が建っているという油彩画だ。はじめて実物のキリコの絵画に接したが、観ているとその陰影の世界に吸い込まれてしまうような不思議なオーラを放っていた。

 閉館まで1時間ほどしかなかったため、地下一階の展示エリアには行けなかったが、それでも地上エリアの充実ぶりに十分な満足感を得られた。
 全般的に良質な美術館で、著名な作家の作品も多いのだが、教科書に載るような象徴的な作品に乏しいせいか、あまり盛況な様子ではなかった。この美術館は、カンザスシティの地方紙の創業者であるネルソン氏の遺言により、彼の財産(及び投資家の未亡人であったアトキンス氏からの多額の寄付)によって建てられたそうだが、これだけの立派な施設でありながら(企画展を除き)入館料は無料なのだから、いったいどれほどの額の遺産と寄付だったのだろうと気が遠くなった。
 ただ、後に調べたところによると、美術館に寄付されたそのお金は巧みに資産運用され、当初の金額よりさらに増やすことに成功したそうだ。そのお陰で市民は世界中のすぐれた芸術作品を気軽に鑑賞でき、一部不穏な地域もあるカンザスシティがこの美術館の存在によって文化都市としての面目を保てることを思えば、資本主義とアートとの関係がうまく機能した例といえるだろう。

【続きはこちら↓↓↓】
https://note.com/sudapen/n/nf0ed9f64c8b1


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