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シャーロックにもマーロウにも飽きてマクドナルド

映画や小説において、主人公の”魅力”は重要である。シャーロック・ホームズがその後の探偵や刑事のモデルとなった理由は、明晰な頭脳と奇行の危うい共存だ。そういう意味でハンニバル・レクター博士はシャーロックの影と言える。
シャーロックに触発されるように、20世紀初頭のアメリカでは探偵小説が大流行したそうだ。なかでもレイモンド・チャンドラーの生み出した探偵フィリップ・マーロウは、その実直な気質によっていかにも”アメリカン”な男性像の雛形となった。映画「ダーティ・ハリー」シリーズで有名なハリー・キャラハン刑事などはマーロウから大きく影響を受けている。
余談になるが、ハリーのモデルとなった人物は、映画「ゾディアック」の題材となったゾディアック事件を担当したサンフランシスコ警察のデイヴィッド・トスキである。映画「ゾディアック」の劇中で、マーク・ラファロ演じるトスキが「ダーティ・ハリーじゃないんだぞ」と言うシーンがある。こういう遊び心を発見するのも映画の楽しみ方の一つだ。
さて、フィリップ・マーロウは「さよならを言うのはちょっと死ぬことだ」や「ギムレットにはちょっと早すぎる」などのキザな台詞でも有名になった。いかにも「グレート・ギャツビー」を愛読する村上春樹が好みそうなキャラクターである。ところが、こうしたアメリカンな主人公をいろんな小説や映画が量産するものだから、客は食傷気味になる。現在アメリカで大人気のテレビドラマシリーズ「TRUE DETECTIVE」のシーズン1に登場した”ラスト”ことコール刑事は、このアメリカンなスタイルではなく、いつもスケッチブックを持ち歩き、哲学を好んで語るペシミストである。刑事という立場ながらシャーロックの方に近いだろう。マシュー・マコノヒーの快演が生んだ魅力である。映画やドラマでは脚本だけでなく”誰が演じるか”ということも重要だ。
また一方、そうした主人公のあり方そのものを崩そうとした試みがデヴィッド・フィンチャー監督の最新作「ザ・キラー」である。マイケル・ファスベンダー演じる主人公の暗殺者は名前も明かされない。ストーリーはこの暗殺者が語ることによって進行していくのだが、自らの心拍数にも注意を払うほど几帳面な性格である。ジョーカーのようなイカレポンチでもなければ、マフィア映画にありがちな道徳心の欠片もない殺し屋でもない。依頼を忠実に実行する優秀な企業エリートのごとき男として描かれている。言い換えれば、ナチスの幹部のようなものだ。
「俺たちに明日はない」や「パブリック・エネミーズ」をアンチヒーローとするならば、「ザ・キラー」はアンチ・アンチヒーローと言える。この主人公は映画の冒頭の暗殺に失敗するし、張り込みながらマクドナルドを好んで食べるのだ。特殊な能力があるわけでもなく、非凡な才能に恵まれているわけでもない男は、映画の最後にじぶんのことを「みんなのなかの一人」と表現した。優秀なフィンチャー監督による”こんな主人公がいても面白い”という佳作だ。

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