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狂気と知性は相反しない / 「羊たちの沈黙」

subtle, horrific and splendid, the best book I have read in a long time
(精巧で、ゾッとして、見事だ。長いあいだに読んだ本の中でベストだ)

Roald Dahl

登場人物たちの風変わりな言動を通して、人間に潜む”狂気”を暴く作品を数多く残したロアルド・ダールは、晩年に1冊の本を絶賛した。
トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」である。ほとんどの人はこの題名を1991年の映画によって記憶しているが、1988年に出版された同名の小説が原作だ。
著者のトマス・ハリスに”シリアルキラー”について教示したのが、FBIの行動科学課(Behavioral Science Unit)に在籍していたロバート・レスラーである。FBIは1970年代から凶悪な犯罪者を分析して捜査に役立てようとしていたのだが、この分析がレスラーの著作などによって広く普及し、犯罪小説や映画の新ジャンルを切り開くことになった。言わば、FBIモノである。なお、今日でも放送されている人気ドラマ「クリミナル・マインド FBI行動分析課」の主人公たちが所属するBAUとは、レスラーの部署の現在の名称である。
さて、「羊たちの沈黙」では”バッファロー・ビル”とあだ名されたシリアルキラーの事件の捜査が難航し、精神科医にして食人鬼のハンニバル・レクター博士に教えを乞うべく、新米捜査官のクラリスが精神病院へ向かうところがユニークだった。法執行機関の連中がアンパンマンして解決するのでもなく、天才的な私立探偵がシャーロックして一件落着するのでもなく、”あまりに凶暴でイカれている”からと精神病院に終身拘束されている言わばキチガイが主役である。ダールの興味を打ち抜いたのは、犯罪者と捜査する者がともに狂っているという設定だろう。ダールの著作の登場人物たちは善でも悪でもなく、それぞれがイカれているように描かれるのだから、「羊たちの沈黙」に感心したことも頷ける。それに、多くの小説や映画にありがちな、善悪で人物を分類する手法は、人間を表面でしか捉えることができないと僕も思う。
ところで、「クリミナル・マインド」などを観ている人はご存知かもしれないが、FBIモノの映画やドラマには共通する特徴がある。それがトラウマである。なぜなら、行動科学課は幼少期の虐待やトラウマの形成が凶悪犯罪者に多く見られるという”分析”をしたからだ。そこで才能あるトマス・ハリスは、レクター博士ではなくクラリスにトラウマのエピソードを作った。育ての親の牧場で屠殺される羊の声、という幼少期の体験である。小説の題名はこれに基づいている。
レクター博士はバッファロー・ビルの事件を解決に導くだけでなく、クラリスのトラウマを見抜いて”利用”することでみずからを自由の身にする、という善でも悪でもない次元の人物として描かれた。平凡な人たちのための倫理や法から逸脱した存在とは、いかにもフィクションらしくて好きだ。
それに、人のことを”見る”、あるいは話を”聞く”、などの行動が優れている人物は、相手のことを”見抜く”ことができる、ということをフィクションとして伝えている作品となっている。これはシャーロック・ホームズと同じである。つまり、人のことがよく見えていない者、つまり凡人は、「倍返しだ!」くらいの人物しか描けないということだ。
レクター博士のセリフはダブルミーニングになっているものが多数ある。つまり、遠くから見るとキチガイの話だが、よく近寄ってみると知性の物語なのである。

余談になるが、「羊たちの沈黙」は女の口に大きなガのようなものが重ねられたポスターが有名になったが、あの昆虫は劇中のバッファロー・ビルの事件に関係したメンガタスズメというガの仲間である。

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