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他人との衝突を避け続けた弊害

「良い人でいないといけない」
「人の意見を遮ってはならない」

こうした考え方を続けたまま、大人になってしまったがために、非常に苦しんでいる方も少なくないと思います。

僕自身はまさしくその一人であり、22歳の今でもかなり悩まされることが多い問題です。

自分でこうしてnoteを書いていることもあって、他の方のnoteにも興味があります。時間があればnote内を回って、いろいろな作品を楽しませていただく日々です。

そんな中、今日素敵な投稿に出会いました。



#エッセイ  のタグで見つけた、misakiさんのエッセイ。

心打たれました。


”衝突は避けるものだ”思考

misakiさんのエッセイの内容で、特に僕が印象的だった部分が次の内容。

わたしは、友達と居る時も、恋人と居る時も、家族と居る時も、意見が食い違うことを面倒に感じてしまい、無意識のうちに相手に合わせるようになっていました。言い争わなくていいから、それが一番楽だったからです。しかもそれをいいことだと思っていました。喧嘩にならない=仲良し、うまくいってる、みたいな。
-misakiさん 22歳になりました より

この部分、非常に共感できるからこそ、背筋が伸びる気持ちになったというか、体に電気が走りました。痛かった。


ずっと小さい頃から、周りの空気を読み過ぎてしまうこともあり、自分一人でしんどくなってしまうことも、しばしばあります。

そんなこともあり、人の意見に賛同できない時でも、衝突を絶対的に避け、その場の空気や関係性を悪化させないことを第一に生きてきた自分がいます。

それは、自分の考えを伝えないこと=その瞬間の自分は、自分ではないとも考えられるでしょう。

無責任でしたね。でもそれが正解だと思って生きてきたんです。みんながそう考えていると思っていたから。


好きな人に強くいってあげられない罪

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でも、実際は全ての人がそんな考えでないことに、年を重ねるごとに気づいていきます。

ちゃんと意思表示できないといけないな!と思いつつも、こんな思考で成長してしまったがために、好きだった女の子に対して、うまく助言ができなかったことが、昔ありました。


ある日、

ずっと好きだった女の子から「こんなことを今挑戦しようと思ってるけどどうかな?」と相談を持ちかけられます。

声を掛けてもらえた嬉しさの反面、少し自分の中で引っかかる部分がありながらも、「良いじゃん!面白そう!やってみると良いと思う!」と前向きなことばかり伝えてしまいました。

相談を持ちかけられたのも、彼女が挑戦したいと思っていることに対して、僕がある程度精通していたことが根底としてあったから。

だからこそ、僕は簡単な挑戦でないこともわかっていたため、自分の中で引っかかる部分が生まれます。返事に悩みました。


こうした時に、”衝突は避けるものだ”思考の登場です。


彼女のことがずっと好きだったわけですから、完全否定はしたくない。嫌われたくない。そして、実際彼女自身もすごくタフでセンスも抜群だったため、ある程度の結果は出せるだろうという考えも浮かびます。

こうした考えが積み重なった結果、なあなあな伝えかたとなり、

「なんか思うことがあれば、厳しくいってよ?すだちくん、いつも優しいから」と言われてしまう結果となりました。


今思えば、自分の思う挑戦の厳しさをストレートに言ってあげたほうが、確実に彼女のためであったのは事実。

でも、その時はそれが精一杯でした。

その出来事からかなりの月日が経った今、相手に想いを伝え衝突することは、何も悪いことではないと。互いに良い結果を生み出すものなのだと、実感しています。

人に嫌われたくないから、その場の雰囲気を壊したくないから、そう言った気持ちから、思ったことをいえずにいるのって、なんだかちょっとわがままでもあります。

先日の罪悪感のお話でもしましたが、

人生は何かと引き換えに結果を手に入れる世界。だからこそ、衝突しないと手に入れられない関係性も生まれてくるものです。


改めて、いろいろ考えさせられた素敵なエッセイでした。

misakiさんありがとうございます。



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