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我思ふ Pt.75

皆様、いかがお過ごしでしょうか。
私は先日遂に、三足歩行から四足歩行へと進化を遂げました。
とはいえまだ全体重を骨ポキした足に…とはいかず、体重の約三割程度しか骨ポキした足には乗せられない状態です。
なんでまぁ四足歩行ですわ。
一応ね(笑)
人間の身体はホントに使わないと一気に退化するんですよね。
足を着地しなくなって一ヶ月以上。
で、昨日着地からのリハビリ。
歩き方というか、地に足を着けて踏みしめるという二足歩行の生物において基本的な事すら我が右足は忘れてしまっている。
なんというテイタラク…。
凄まじい退化のスピード(笑)
進化は恐ろしく遅ぇくせに退化は坂道を転がり落ちるが如きスピードで突き進みやがる(笑)
やっぱりこれ脳みそも同じなんでしょうね。
怖いわね、ホント。

さて、本題です。

昨日少し病院で待ち時間があったので自分の書いた記事を流し読みしてみたんです。

面白い事に気が付きましてね。

骨ポキしてからの記事は圧倒的に不平不満、文句、ボヤきが多いような気がする(笑)
日記、雑記として書いているこの「我思ふ」ですが、ここ最近「我思」ってないんですよ。
考えを述べていない。
目の前にある不自由さに一杯一杯になってしまっている。

「何かを発信し、自分の不甲斐なさをさらけ出し、悩める若者の気を楽にしてあげられればいいな」

という大義名分の元に、インスタグラムから始めたこの「我思ふ」は、もはや負け組のおっさんが吐き散らした掃き溜めとなってしまっているではないか。

馬鹿丸出しである(笑)


初心を思い出せ。

何者にもなれなかった男がここまで何とか生きてこれた、その事実を発信する事こそ「我思ふ」の発端ではないのか?

フォロワーも閲覧数も少ない中で、淡々と自分が生きてこれたその事実と思いをこのWEB上に置き去りにして、いつか悩める誰かの羅針盤になれば本望だと思い、始めた事ではないのか?

吐き散らかすにも程がある。
そうやって吐き散らかして悦に入っている中でも悩める若者が戦い、苦しみ、そしてその一部は儚く散っていっているのだ。

人生は戦いであり、その戦いは死ぬまで終わらない。

人が一人以上存在すれば戦いは始まる。

だが、逃げても良い。
逃げた先からもう一度戦い始めれば良い。


何度も登場しているこの言葉、自分で吐いておきながら自分が忘れてしまっていた。
一番伝えたいものを筆者自身が忘れてしまっていた。

昨日の病院で自分の記事を見直して良かった。
初心に戻る時間を神々が与えてくれたのだ。

だから始めようじゃないか。
逃げた先から戦い始めようじゃないか。

そうやって今まで書いてきたじゃないか。

今こそ原点回帰へ、「我思ふ」

戦術は知ることだけが
学びにあらず

実戦と敗北こそが
学びの極み

学びにあるは苦痛と屈辱

しかし
学びの先には必ず美酒が存在する

踏みしめろ
噛みしめろ

苦き泥水は
必ず美酒へと変化する

2022年6月28日

我思ふ




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