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down the river 第二章  第三部〜再誕②〜

「うん、いいね。イメージとピッタリとは言えないけど、俺が最初に書いたヤツとは比較にならないわ、うん。」

迫島はユウに作詞を依頼した3曲の内の1曲、【苦き復活】を聴いて満足した様子だ。

「タハハ…なんか真面目に人前で歌うのって恥ずかしいもんだな。」

ユウは顔を真っ赤にして後頭部をポリポリと掻いた。

「俺の前でもダメか?ううん…ま、すぐに慣れるよ。これから何回も俺の前で歌うんだからさ。後はベースでしっかりとリズムを取りながら歌える様にしないとな。今はまだリズムがめちゃくちゃだからね。いいか?ベースはメロディの要じゃない。リズムの要だからね。まぁ、時間はまだあるからさ。ゆっくりやろうぜ?な?」

「お、おぉ。わかった。あぁ…でも作曲者のお前が認めてくれて良かったよ。作り終えた時は早く聴いてもらいたいと思ったし自信もあったんだけど、いざ聴いてもらうとなると凄い緊張感だし、少し不安になっちまうもんだな。」

「曲作る俺もおんなじだよ。お互い様だな。なんか飲む?」

「あ、うん。なんでも…水でいいよ。」

迫島は飲み物を準備する為、部屋から出て行った。
パタンと部屋の扉が閉まるとユウはハァと長い溜め息をつき辺りを見回した。

『ハハ…何かテレビで見たミュージシャンみてえじゃんか…ハハハ…すげえ…すげえや。この部屋、このやり取り、まるで作曲家と作詞家の会話じゃねえか…ウハハハハ…。すげえすげえ。フフフ。』

ユウは酔っていた。自分がこんな会話をする様になるとは思ってもみなかったのである。
憧れていたテレビで見た世界に自分がいる様な感覚に陥り、その快感に酔っていたのだ。

『あぁ未だに信じられねえ。毎日毎日入れ代わり立ち代わり無茶苦茶にされてた日々がなぁ。アレはアレでまぁ気持ち良かったからいいんだけどな。』

パタンとドアが開いた音を聞いてユウは跳ね上がった。

「なんだよ、そんなビックリしなくていいだろ?はい、水。」

迫島は水が入った細身のグラスをユウに手渡した。

「あぁ、ありがとう、ちょ、ち、ちょっと考え事してたんだよ。大した考え事じゃないんだけどさ。タハハ。」

ユウはそう言うと水を一気に飲み干した。

「そろそろ帰るかい?帰る時そのベース持って帰りなよ。貸しといてあげるからさ。しっかり身体に覚え込ませるんだ。」

迫島はエレキベースのソフトケースをユウに渡し、1人頷きながら言った。

「あいよ。ありがとう。本当にヒデには頭上がらないよ。色々ありがとうな。でもさ…」

「なんだ?なに?」

「なんかこのベースとさ、お前のフォークギターってコンビあんまり釣り合ってなくね?形というかその…デザインっていうか…。」

ユウは迫島から受け取ったソフトケースにエレキベースをしまいながらバツが悪そうに、目を伏せて迫島に言った。

「ハハハ!ユウ!意外と形にこだわるんだな!まぁ今回はこれで出ろよ。な?アコースティックベースなんてのもあるけどさ。まぁそうこだわるなよ。ハハハ。」

「あぁ…なんかごめんよ。お前から借りてるっていうのに。」

「気にすんなよ。帰るのか?」

「うん、じゃあ借りてくよ?ありがとうな。」

迫島の家を出たユウの肩にはソフトケースに入ったエレキベースが担がれている。
ユウはニヤつきが止まらない。興奮から家への歩みも自然と早くなってくる。
これ程ユウの自己顕示欲を満足させることが今まであっただろうか。
阿高亮子と付き合うと皆の前で公言した時と同等かそれ以上の満足度である。

『俺は…俺はベーシストでボーカリストだ…みんな…俺を…俺を見るんだ!へへへ…。』

ユウは自宅に着くといつもの場所に煙草を隠し、玄関の鍵を開け、玄関の中に入った。
この空気だけは相変わらずだ。全く動いていない空気と浴室だけに響き渡る不気味な換気扇の音、その2つがいつもユウの心を切り裂こうとする。
そして今日のその毒された空気はいつもに増して毒素が強く、より淀んだ感じがするのだ。その目眩がする様な毒された空気の中、何かの気配がする。

「あ、あれ?だ、誰かいんの?」

情けなく裏返るユウの声とともに、先ほどまで最高に満足していた自己顕示欲は吐き出され、毒された空気の中に消えてしまった。
暗い淀みの中で何かの気配を感じ取ったユウは身体を硬直させた。

『女?女だ。女の気配だ…。亮子…?亮子か?』

「ハァハァ…は、入れない…ハァハァ…これ以上中には、入れない…ハァハァ…り、亮子、亮子…。」

ユウは玄関に座り込んでしまった。玄関から外へ逃げ出そうにも貧血の様になり身体が思う様に動かない。

「あ、あぁ…あ…う、…く、来るな…来るなよ…亮子…り、りょ、亮子ぉ…来るな…。」

何かの気配はユウの元へ迫ってくる様にその圧を増し続けている。そしてその気配がユウを飲み込もうとしているのも何となくで、実体は見えないがその悪意は感じ取ることはできる。

「ハァハァ…ハァッ!ハァハァ…も、もう、ダメか…ハァハァ…」

ガチャッ!ドン!

ユウが飲み込まれる覚悟を決めた瞬間に、背後にある玄関のドアが乱暴に開かれ、ユウは何者かに蹴られてしまった。

「ぐぅうわあぁぁぁ!!!」

その衝撃にユウは悲鳴を上げた。
激しい呼吸で乾き切った唇はその溝が限界を超えて開きピリッと切れて血が滲み、膨らみ、垂れて、赤い糸が数本結われてしまった。

「ユウ…何をしてるの?玄関に座り込んで…」

背後からの衝撃の正体はユウの母親だった。

「お、お、お、お、お母さん!!!た、た、たす!!助けて!!た、す!あ!あ!」

ユウは母親の方へ身体を向けると、母親の足に縋り付き、唇の痛みも忘れて助けを懇願した。
恐怖、混乱、そして中学校3年生にもなって母親の足に縋り付くという自身への羞恥心が混ざり上手く言葉が出てこない。そして痙攣の様にユウは身体全体を震えさせている。

「うぐっうわああ!ああ!」

ユウは母親の足に縋り付いたまま悲鳴を上げ続けた。

「ユウ…」

ユウの母親はユウの両肩を持ち足から引き剥がすとしゃがみ込み目の高さを合わせた。
そして混乱して血走ったユウの目を見つめると消え入りそうな声で名前をもう1度囁いた。

「ユ…ユウ…」

ユウの母親の目から涙が溢れたその瞬間、その涙を息子に見せまいとする様にユウを力強く抱き締めた。

「お、か、母さん…。」

ユウの心は急冷された。
母親の温もりに触れ、混乱に燃え盛る熱は逆に落ち着きを取り戻し冷やされ、鎮静化されたのだ。
そして母親の首元で高速で吸気排気を繰り返していたユウの呼吸も徐々に落ち着きを取り戻していった。

「ユウ…大丈夫だから…お母さんは…私は見捨てない…私がいる…私がいるから…大丈夫だから…ユウ…ユウも…しっかりしなさい…ね?」

ユウの母親はユウを抱き締めたまま耳元で囁いた。
その言葉、その声はまるで高僧が唱える経の様にユウの心に隙間無く染み入り、ひび割れを清水が満たしていく。

「あ、あ、あ、あ…あ…」

ユウの鼓動、呼吸、心の全てが通常に戻った。
しかし母親は抱き締めたままユウを離そうとしない。

「か、おか、お母さん、だ、大丈夫、お、俺大丈夫、大丈夫だよ…。も、もう大丈夫だ。大丈夫。」

「うん…ん…うん…わかった…大丈夫なのね?」

「あ、あ、うん、も、もう、もう大丈夫。う、ん。うん。」

母親はまだその力を抜こうしない。

「ユウ…お前は私とお父さんの息子…」

「わかってるよそんなこと…。」

「ユウ…お前はたった1人の息子…」

「あぁ…」

ユウの母親は納得したかの様にようやくゆっくりと力を抜き、抱擁を解いた。そして涙を拭うとユウの目を見つめた。

「生きるのよ。ユウ。私とお父さんはそれだけでいい。わかった?」

「あ、あ?あぁ…」

「落ち着いたのね?」

「ん、あぁ…」

ユウの返事を聞いた母親はサッと立ち上がり、夕飯の惣菜が入った袋を手にするとユウをその場に置いて家の中に1人で入っていってしまった。

「お、お、あ、おか、母さん…」

「ん?」

「あ、あり…ありがとう…」

「いいよ、いいから早く上がって。米を炊く、風呂に入ってそのついでに風呂を洗う。あんたの仕事でしょ?」

「ん、お、うん、そうだった。忘れてた。わ、悪い。」

返事をするユウを見る母親はいつもの表情にもどっていた。

・・・

入浴、夕飯を済ませたユウはすっかり元通りになり自室でカリカリと軽快な音を立ててシャーペンを滑らせていた。

「はぁ…浦野先生のあの言い方はまた明日小テストやるな…。社会をがっぱり勉強しとくかね…。」

ユウは社会科の教科書にマーキングしてはノートに書き、暗唱を繰り返した。
そしてノートの1ページが真っ黒に埋まると顔を上に向けて大きく溜め息をついた。

「なんだったんだ…アレは…。でも…亮子じゃないよ…亮子の感じじゃあない…。」

強過ぎる感受性という一言では済まない不思議な現象だ。今までの様に何かを暗示するというものではなく今回は明確な悪意を向けられたのだ。

「俺に悪意を向ける連中なんざ山ほどいるからな…それにその正体が解明されたからってどうもできねぇだろうし…。」

ユウは上を向いたまま雑にノートをめくると勢いよく下を向き再び社会の勉強を再開した。

『よく分からない悪い奴、申し訳無いけどお前に構ってる時間は無いんだよ。頼むから脅かすだけにしといてくれよ。今は勉強が第一、その次に音楽だ。構ってられるかよ。』

ユウは自分にそう言い聞かせ、悪い記憶を置換させるかの様に社会科の暗記に身を投じた。

『勝つ負けるじゃねぇ…やらなきゃ…無駄かそうじゃないかじゃねぇ…やらなきゃ…やらなきゃ…。』

・・・

結局ユウは日付が変わる寸前まで勉強に励んだ。
記憶の置換は上手くいった様で、深い眠りにつき、朝はいつもの時間にスッキリ目覚める事ができた。
そしていつも通りに父親を起こし、母親に学校へ行く事を告げた。

「お母さん、行ってくる。」

「ん…あい…行ってらっしゃい…」

布団の中で薄目を開け、口の形を変えずに母親は返事をした。

「お母さん…」

「んは?」

「昨日はありがとう。大丈夫だから…。俺。」

「んふぅん…。」

母親は返事かどうかわからない声を出すと布団の中で身体の向きを変えてユウに背を向けてしまった。
ユウはその様子を鼻で軽く笑うと、玄関を出て物置から隠してある煙草を取り出し、早足で学校へ向かった。

「おぇ…なんだか今日煙草が美味くねえや…。」

いつもの団地の駐輪場奥でユウは1人煙草を吸っていたが、口の中に何かがまとわりつく様な、気持ちの悪い感覚がしてあまりはかどらない。
ユウの身体はニコチンを欲しているのに口と味覚が喫煙という行為に拒否反応を示している。

「しっかり眠れたし、体調も悪いわけじゃないんだけど…おぇ…不味いわ…止めた止めた。」

ユウは煙草を消すと学校へと急いだ。

「くっそぉ…朝の楽しみが…。ついてねぇや。クソ!クソ!ったくよ!」

ユウは昇降口に着くとで大きくわざとらしい溜め息を吐き散らかしながら悪態をついた。
その後辺りをキョロキョロと見回し誰もいないことを確認するともう1度「クソ!」と吐き出すと自分の教室へとズンズンと足音を立てて歩いて行った。

「え…?」

ユウは勇ましい足取りを自分の教室のドアの前で一旦停止させると目を凝らした。

「だ、誰?」

誰かが朝早いユウの教室の中にいるのだ。
そしてその人物はユウの席に座っている。

「え?」

教室のドアの前でユウは少し大きめに声を出すとその人物はその声に反応する様にユウの方向へ目を向けた。

「え?なんで…」

ユウはその人物を認識し終え、これから起こるかもしれない事に一通り妄想を膨らませると、妙な胸騒ぎと共に教室のドアをスローモーションの様にゆっくりと開けた。
そしてユウはその人物に吸い込まれる様に教室の中へ歩みを進めた。

※登場人物紹介
下村祐太郎 (シモムラ ユウタロウ)
現在ユウのクラス担任。昨年度まで友原の担任であった。英語教員でテニス部顧問。黒髪の角刈りで色白。鼻は高いが全体的にのっぺり顔に見える。体格は恵まれており身長180cm程度、体重90kg近くとかなりの筋肉質。絵に描いた様なスポ根タイプで、不器用なので空回りすることもしばしば。基本的にはとても優しく面倒見が良い。

浦野さと美 (ウラノ サトミ)
ユウの隣のクラス担任。ユウ達が2年生の時に敬人、哲哉、美沙達の担任であった。社会科の教員。
30代後半の独身女性。身嗜み、身なりをキチンと整えておりいつも小綺麗にしている。
身長は美沙と変わらない程度で小柄で細身である。
髪は肩より下で真っ黒な髪をいつも一本に結び、年齢は隠せないが美人の部類に間違いなく入る顔つきをしているが、キツめにつり上がった目が特徴的で性格キツめに見られてしまう。



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※未成年者の飲酒、喫煙は法律で禁止されています。
本作品内での飲酒、喫煙シーンはストーリー進行上必要な表現であり、未成年者の飲酒、喫煙を助長するものではありません。

※今シリーズの扉画像は
yuu_intuition 氏に作成していただきました。熱く御礼申し上げます。
yuu_intuition 氏はInstagramに素晴らしい画像を投稿されております。
Instagramで@yuu_intuitionを検索して是非一度ご覧になってみてください。


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