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日本の神道とユダヤ教のちがい

この記事は2022年3月に投稿した
『日本の神道とキリスト教のちがい』
の続編です。

前回の記事は、日本はキリスト教の普及率が極端に低い国なのですが何故そうなってしまうのか?等について触れています。

詳しくはこちらに書いてます。
よろしければごらんください。

ここからが今回の投稿です。

伊勢神宮の内宮の本殿には柱の上に八咫鏡がポンと乗っているだけです。

だけど八咫鏡は三種の神器の一つであって神様ではありません。

内宮の神様は天照大神です。

ところが、天照大神と言う神様を見た人は誰もいないのです。

天照大神の絵画や像はどこにも有りませんから、どんな神様か誰も知りません。

ですから、私達にはおまいりの対象は無くて、たんに空に向かって拝んでいるだけです。

ですが、おまつりしている神様は神様なのです。

これは、日本の神道はユダヤ教と同様に、偶像崇拝を完全に否定していることを物語っています。

ヤッパリ私達はユダヤの末裔のような。

しかし、

ユダヤ教は一神教です。

神道は多神教です。

だけど、どちらも偶像崇拝を完全に否定しています。

一神教でも多神教でもどちらでもいいようですね。どちらも偶像崇拝を完全に否定している訳ですから。

だけど、ユダヤ教には神の教えを理解するための経典、いわゆる旧約聖書があります。

ところが、神道には神の教えを理解するための教義・経典はありません。

このため、神道には教えを乞うための手段が有りませんから自ら感じて自ら理解することが求められます。

このように、私たち日本人は教えすらもない真の空に向かって手を合わせています。

と言うことは、教義・経典すらない神道は神との契約をする必要もなく人種・宗派を問うこともなく食するものに制限を設けるわけでもなく世界中の誰もがお参りをして真の空に手を合わすことが出来る稀代な神様となるのでしょうか。

と言うことは、神道は単に世界に向けて窓を開けているだけ、そんな神様を祀っていることとなるのでしょうか。

妙な神様が祀られているもんですね。

最後まで読んで頂いて、、、
ありがとうございます。

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