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シュメール人とユダヤ人 私達日本人は彼等の末裔なのか?

戦後イスラエルを建国したユダヤ人は失われた10氏族を求めて世界中を探し求めています。

いまだに行き着いていませんが、日本を一つの候補に挙げています。

それは、日本とユダヤは文化的に近いところが多々あるからです。

ふしぎなことに、日本とユダヤの神社の配置は瓜二つとか、日本の国歌の発音はユダヤ人からすればヘブライ語に聞こえるとか、日本人にとっては意味不明な囃子言葉もヘブライ語で読み解けば意味がわかるとか、あげ始めれば枚挙にいとまがありません。

また、日本人はユダヤ人にとどまらず世界最古の歴史を持っシュメール人の末裔ではないかとも言われています。

本当にそんなことって有るのでしょうか?

先ずは下記年表『シュメールの足跡』を見ていただいて、大雑把な年表を頭に入れた後本文を読み進んで下さい。

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BC3500年頃、メソポタミア地方に突如としてシュメール人が現れました。シュメール人が何処からやって来たのかは未だに分かっていません。

それから約1000年の間BC2500年中葉まで、シュメール都市国家時代がメソポタミア最南端で続きました。

その後、BC2350年にアッカド人がシュメールを征服してメソポタミアを統一します。

そんな中、BC2000年頃、シュメール人は岩に刻んだ文字のみを残し、突如として歴史から姿を消し、二度とメソポタミアに登場することはありませんでした。

ところが、シュメール人がメソポタミアから姿を消した時期と相前後して、BC2018年にアブラハムが歴史に登場します。

アブラハム父一家はカルデア(メソポタミア地方)の町ウル(ユーフラテス川下流)を出てシリア北部の町ハランに移動します。

アブラハムは父の命令でその街で親族と別れ、妻サラ・甥ロトと共に神の示すカナン(今のパレスチナ)を目指し到着します。

アブラハムが歴史に登場してから約300〜400年後のBC17世紀頃、マコブの子ヨセフがエジプトで奴隷となります。ところがヨセフは優秀な子であったためエジプトて認められて昇進し宰相となります。

丁度この頃イスラエルでは飢餓が発生していたためヨセフはイスラエル人をエジプトに呼び寄せて同胞を助けました。

ところがその後時が経つにつれてイスラエル人は奴隷となります。

イスラエル人がエジプトに居住してから約400年後のBC1280年に奴隷となったイスラエル人を救うため、モーセは出エジプトを決意します。

出エジプトから約300年の後、下記のとおりイスラエル王国が誕生しますが、その後分裂・崩壊の歴史を辿ります。

BC1021年:イスラエル王国 誕生
BC 930年:ユダ王国(南イスラエル)誕生
・ユダ王国誕生時にイスラエル王国は北イスラエル王国とユダ王国(南イスラエル)に分裂します。

BC 722年:北イスラエル王国 崩壊
BC 586年:南イスラエル王国 崩壊


ここで、少し話を元にもどしますが、シュメール人がメソポタミアから姿を消した時期と相前後して、BC2018年にアブラハムが歴史に登場します。

そして、今度はイスラエル王国が崩壊した時期と相前後して、BC660年に神武天皇が日本において即位します。

この様に年代を追ってシュメール人やユダヤ人の足跡を追っかけてみると私たち日本人はシュメール人やユダヤ人の末裔である可能性は残っていることとなります。

また、シュメール人がメソポタミアに唯一残した文化遺産である岩に刻んだシュメール文字、及び、ユダヤ人が旧約聖書等に残したヘブライ文字、並びに、日本人が使っているカタカナ文字、この三者が似ていると言われています。

更に、シュメール文字やヘブライ文字のペトログラフが平成の日本において続々と発見されており、ペトログラフの内容は神代文字で読み解くことができるとのことです。

こんな偶然が重なることってあるのでしょうか?

ヨッコラショ、いつの間にか私の頭の中は、私たち日本人はシュメール人とユダヤ人の末裔になっている。

それとも私は、歴史の大海原を航海していく中、海底深くにひそんでる歴史妖怪が仕掛けたとんでもなく深い穴に、ハマってしまったのでしょうか?

果たして真実は如何に‼️

神のみぞ知るであります。

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