素晴らしい日々/自分が複雑性PTSDと気付くまで

ぼやき: 歯列矯正中に自分の顔を殴るもんではない。20発ぐらいしか殴ってないのに矯正器具のせいで口の中が傷だらけで、血をかなり吐いた。
何でもいいから何もやらないよりなにかやるのが大事、という教訓が自分の中にあるが、SNSのアカウントをほぼ消して音楽も聴かず眠るわけでもなくカーテンや壁や天井を眺めるという真の意味で「何もしない」をしていると、自傷以外にやることがなくなるということを学んだ。

これまた他人が読むことを想定してない。今日のカウンセリングで話した内容を自分でまとめて医師に見せたほうがいい、と心理士に言われたのでそのメモ。

タイトルの素晴らしい日々というのは時速36kmの曲名だが、特に皮肉ではない。ColdplayのViva La Vidaみたいなもん

???(3~6歳?)
1. 父親が母親を殴る。蹴る。流血するシーン
2. (1.と同一か別かは不明)母親が心臓ペースメーカーに磁石を当て、自殺を図ろうとする。
3. 学校からの帰り、母親が居るはずなのになんどインターホンのベルを押しても出てこない。泣きながら夕方まで待っていると、誰が呼んだかわからない(覚えてない)が救急車に母親が運ばれていった。随分あとになって知った話だが、あれは睡眠薬による服薬自殺だったらしい。尚、未遂で終わった
1. 2. 3.の時系列や、このシーンの前後に関する記憶は完全にない。思い出せない。

小2
これまたよく覚えてない。暴力は引き続きあった気がする。
母親の故郷に3ヶ月だけ連れてかれる。
離婚した時どっちが親権取るかわからず、とりあえず母親が親権取った場合にどうするかみたいな感じだったのかもしれない。
「小2のときに両親が離婚する」
これを「円周率は直径と円周との比」のように知識として記憶しているが、具体的に最初になんと言われてどう知ったのか、については完全に記憶が欠落している。その前後(どこがその日なのかわからないので憶測だが)の記憶がごっそり数カ月分ない。
多分これも解離性健忘だと思う。

小3~中学
思い出そうとすれば色々あるんだろうけど、とりあえず父親に殴られたり蹴られたり投げられたり人格否定され続ける日々で、それ以外特に目立った記憶がない
小学生の時偏頭痛を発症し、今も残っている。薬が効いてるので多分普通に精神関係なく身体の病気として発症したと思う。今もそうだが、偏頭痛は精密検査で何の結果も出ないらしく、つまり現代医学では原因が分かってない。ただ、父親はその結果を見て「詐病をしている」と判断した。
そして自分をASDに仕立てあげる計画が始まり、子供向けの精神科で精密検査を受けた。結果、「ASD傾向はあるが、確定診断は出ない」と言われたが、父親は傾向と確定診断の区別が付かないらしく、以降自分はASDとして扱われ、暴力が激化し、人格否定の語彙が増えた。具体的に何を言われたのかは思い出したくもないが、ネットでASDに対して向けられる罵倒語彙がもっと酷くなったのをイメージしてもらえれば多分合ってる。

あとは両親が旅行に行った間、兄が家に友達を呼んで泊まらせたということがあったが、父親的に親に無断で人を泊めるのはなぜかNGだったらしく、兄が死ぬほど殴られて、数日家を追い出されたということがあった。
児相に行くとしたらあのタイミングだったなあと思う。

自分自身も服を全部脱がされた上で冬に外に放り出された事があったなあ。あんま覚えてないがドアの前で死ぬほど喚いてたら誰かに見つかる前に入れて貰えた気がする

高校受験で合格貰った私立高校より2ランク下げた公立高校の受験を強要されたのは良い思い出。尚、親の年収は高かった。ただ、子供には一切お金を出したくないらしかった。あと貯金の類も一切しないらしい

高校では、ついさっき書いた親の年収が住んでた場所からバレて、「親にいい暮らしさせてもらってるんだろ」っていう扱いを受ける事が数え切れないぐらいよくあったが、まあどうでも良かったし今となっては良い思い出です。
小遣いも弁当もなかったし、言えば買ってもらえるみたいなのも当然なくて日用品も学校に関するものも自分で買ってて金がなかったので部活に入りながらバイトしてたが、それをきっかけに先輩に目を付けられた。
同時に重度の鬱も発症し、やる気が無いと断定されて、部活内いじめみたいのの標的になった。
練習中に抜け出して首吊って死のうとしたが失敗した。
今でも度々、あそこで絶対に自殺を成功させるべきだったな、と思う。もし過去に戻れるならそうする。

結局部活は続かなくてやめた。というか、正確には俺が辞める方向にみんなが追い込んだ、というのが適切か。

部活の外に居場所が一応あったのが救い。

高2の時から兆候は何度もあったが、異常にテンションが上がるかと思えばピクリとも動けないぐらい気分が落ち込む、という事が何度もあり、
その酷いのが高3に来て、学校にも行けなくなって精神科に通う事となった

ここからも暴力は勿論無くはないと言うか、酷い事なんて山程あるんだけど、書くのが面倒になってきたので略して病歴に焦点を当てる

最初に鬱状態と診断されるが、後にその鬱を繰り返している事を指摘され、「気分変調性」と言われる。
更にその後、気分のアップもあるということで双極性障害2型に診断が変わる。この双極として治療を受けてた時期が多分最も長い。
その後、外に出ると悪口を言われたように感じる、自分の考えが人にバレてる気がするなどの症状から統合失調感情障害もしくは統合失調症に診断が変わる。
しかし、
・妄想はごく一時期のものだった
・統合失調症の陰性症状を経験しなかった
・典型的な予後と程遠い(陽性症状は即座に収まり、陰性症状は経験せず、激しい気分のアップダウンだけずーっと残り続ける)
などから「もしかして誤診では?」という疑念を抱くようになる。

そこである時「複雑性PTSD」を知る。
「これじゃん」と思った
・フラッシュバック
・回避
・人間不信
・感情コントロール不全
・自己イメージの混乱
・人間関係の障害
全部当てはまった。
しかも、重度の複雑性PTSDは精神科のすべての症状が現れるらしい。
つまり、鬱、気分変調症、双極性障害、統合失調症、統合失調感情障害、全て誤診されても何もおかしくない
ついでに薬があんま効いた感じしないというのもなんとなくそれっぽい

疲れたし目的は達したのでここで終り

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