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私達の文章の価値

こんばんは。すーこです。

昨日の記事は、個人的なリウマチ治療の備忘録にも関わらず、

沢山のスキをいただき、感謝いたしております。

病気の治療記録など、なんの得する情報でもないのです。

それにも関わらず、お読みいただき、スキをつけていただいた事、

私は正直びっくりしています。

本当にありがとうございました!

noteの皆さまは、本当にお優しい方ばかりです…。


そして、どんな内容でも、

自分の言葉で文章化する・アウトプットしてみる事は大切だなぁと

改めて実感いたしました。

文章にするのは、時間がかかり、頭も使います。

また、少なくともどなたかの目に触れるので、責任があります。

オンライン上で書くという事の難しさと、楽しさ

これは、実際にnoteやブログなどで発信をしている者しか感じられない、

自分に対する、リスクと悦び、なのではないでしょうか。


どんな記事を書いていけば良いのか、迷いながら始めたnoteですが

行き当たりばったりになりつつも、

「どんな内容でもひとまず自分の言葉で記事にしてみよう!」

思えるようになった事は

noteを実際にやり続けた事で、得られたものだと思います。


文章を書くのは下手だけれど、好き。むしろ大好き。

そんな私です。

ここにいらっしゃるnoterさん達、

皆さんもそうなのではないですか?


ネットワークの発達、デジタルの発達、SNSの発達。


私達は幸いにして、

自分で発信したいと思ったら、

言葉や文章を発信ができる時代に生まれました

それでいて、特に厳しい言論統制もない国に生きているおかげで

自己表現も自由にする事が出来ています


一昔前までは、

何かを発言・発信したいと思っても、

書籍など何かしらの媒体を介さなくてはいけなくて

誰かに見てもらえる人は、ほんのひと握りでした。

発言・発信したい思いが募っても、

誰かに取り上げられ、話題にしてもらえるまで

日の目を浴びる事ができない時代でした。


きっと、そんな時代に生きていたら、

私は自己実現の出来なさで、発狂していたかも…なんて、

noteを始めて、思うようになりました。



そういえば、

昨年から大ヒットとなっている「鬼滅の刃」の中に、

響凱(きょうがい)という鬼が出てくるのを、ご存知ですか?


彼は(というか、どの鬼もですが)もともと人間でした。

響凱(きょうがい)は人間だった頃、

書き物と鼓に勤しむ、芸術家でした。

しかし、

性格は根暗でプライドが高く、

小説は周囲にあまり評価されず、

知人には、小説も鼓も「つまらない」と馬鹿にされていました。


響凱(きょうがい)が一生懸命に書き上げた小説の原稿用紙を、
知人が平気で踏みつけるシーン
があります。

ただでさえ、努力を踏みにじる痛々しい描写ですが、

物書きの方にとっては、侮辱と捉えられる、

なんとも耐え難い事なのではないでしょうか?


作品が「つまらない」と評価されていたとはいえ、

”絶対”的なものなど、本来ならば無いわけです。

「つまらない」と感じるかどうかなんて、人それぞれ違います。


好きな文章を書いても、好きな鼓を打っても、

評価されず、むしろ否定されてばかりの彼は

虚しい鬼、となってしまいます。


所詮まんが、と言えばそうなのですけど、

もし響凱が、この現代に生まれていたら・・・と思ってしまいます。

note、twitter、ブログ、youtubeなどなど…

いくらでも自己表現をすることができたのに、と。

報われる(それで生計が立てられる)かは別としても、

絶対に、彼にファンは居ただろう、と思うのです。

沢山の”いいね”や”スキ”の嵐で、創作を楽しむ事ができただろうに、と。


noteを書き、noteで他のnoterさんと出会い、

私は今、本当に救われているなぁ、と感じています。

どんな風にでも、自分の言葉を紡いで、

人目に触れる環境に出す事ができる自由は、

今の時代に生きる私達に与えられた幸せ、ですね。


誰もが書き手・読み手になれる、この世の中は

これから先、きっとますます色々な可能性が広がっていくのでしょうね。


本日も最後までお読みいただき、

ありがとうございました。

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