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「意識マトリクス理論」の徹底解説③~「人間工学的観点」と「生活工学的観点」=イノベーションを生む観点

「人間工学的観点」と「生活工学的観点」とは

前回説明した企業人と生活者の意識と視点の方向性の違いはそのまま「人間工学的観点」と「生活工学的観点」の違いとして説明できます。この連載ではそれらについて過去何度か説明してきていますが、イノベーションと意識マトリクスの関係で改めて説明したいと思います。尚、以下の説明は基本的には私の師匠の梅澤先生のそのまた師匠であり、日本においてマーケティングに心理学を導入された先駆者で世界に先駆けて数々のユニークな研究を遺された小嶋外弘先生の理論に私オリジナルの部分を加えたものです。参考文献として古い本ですが、「商品開発のための消費者研究」(小嶋、梅澤、佐藤、1972)を挙げておきます。先だって「〇〇思考」や「○○フレームワーク」の批判をしましたがそんな月並みな書物が溢れかえっている中で半世紀前のこの本は平易でありながら今みても新鮮かつ異次元のハイレベルさで、この時代に世界に先駆け日本においてすでにここまでの理論構築がされていたことに驚かされるものです。

「人間工学的観点」とは「ヒトと商品」の関係に着眼した観点です。それは生物としてのヒトの体型・体格や機能、生理、感覚などと商品の関係に着眼することです。

例えば「衣服」という商品は、使い手の体格、体型、視覚、触覚などとの関係でそのサイズ、シェープ、柄、素材の手触りや着心地などの特徴が規定されます。「食品」の場合は味覚と味付け、嗅覚と香り、触覚・聴覚と食感、食欲と量などの関係があります。それらの最適値は生物としての「ヒト」の生理的感覚の「快・不快」で判断されます。このように人間工学的観点は商品の特徴を決定、評価する基本的な観点と言えます。

しかし人間工学的観点だけでは商品・サービスの受容性が説明できないことがあります

そのような場合に考慮されなければならないのが「生活工学的観点」です。「生活工学的観点」とは「生活と商品」の関係に着眼した観点です。生活工学的観点は人間工学的観点を包含します。

例えば同じ衣服であっても、それを着用するシーンがカジュアルかフォーマルかによって選ばれるデザインや素材は異なってきます。アウトドアとインドアしかり、オフィスと工場しかり・・・。また世の中の流行、トレンドからも影響を受けますし、社会的な立場、階層によっても異なります。またオフィスや工場といってもエアコンの有無などその労働環境にも影響を受けます。これらの選択は社会的存在としての「人間」がおかれている生活状況や社会環境における「幸福感」が高まるのか、下がるのかという基準で判断されていると考えられます。上記の人間工学的観点の表現に倣えば社会的存在である人間としての生活心理の「幸(快)・不幸(不快)」で評価、判断されるとしても良いかもしれません。幸不幸には快不快が伴うことが普通ですから上記のように生活工学的観点には人間工学的観点が包含されることになるわけです。

この人間工学的観点と生活工学的観点の違いの見える化や図示(モデル化)というのはなかなかに困難です。なぜならば「生活」には様々な側面、観点があるからです。例えば生活の中には社会的存在であるが故の他者との関係もあれば、あるモノと他のモノの関係もあります。また生活というものは社会環境や自然環境などの外部要因や、教育・知識レベルや経済状態などの内部要因とも関係してきますからきわめて複雑なものであるわけです。まさに「それが人生」としか言えないものであり、生きることそのものであるからです。

参考としてまず小嶋先生が図示されたモデルをご紹介します。初期の生活工学の着眼点がまとまり切らないながらも示されていると思います。また、まだ趣味などにお金を使うことが贅沢だという感覚があったこの当時にその後の消費の飛躍的な高度化を「ヒトのシステム」で示唆をされています。

私はこの図を参考に、より簡単に人間工学と生活工学を説明するために以下のような図を用いていています。人間工学的観点でのヒトとモノが円なのに対して生活工学的観点での人間と商品の周りにトゲトゲがあるのは、生活と様々な観点での関わりがあるということを示しています。

生活工学的観点と意識マトリクス

あるATMのメーカーが新機種の開発において会場調査のアンケートでUI(表示画面)の評価を行ったところシニア層から「文字が小さくて見にくい」という不満評価が出ました。その理由は「老眼」です。そこで文字の大きさを大きくする改良を加え同様の調査を行ったところ満足度の改善がみられたのでそのATMは商品化されショッピングモールなどに設置されました。すると当初は使われていたそのATMは日が経つにつれて使われなくなりました。その会場での調査結果とは矛盾する問題について現場でインタビュー調査をしたところ「文字が大きすぎる」という不満があることがわかりました。それは「後ろから金額が見られるのが気になる」という理由によるものでした。すなわち会場調査と生活現場では真逆の評価がされたということになります

前者の「老眼なので見にくい」というのはヒトの感覚機能と商品の関係なので人間工学的観点での評価です。後者の「後ろに人が並んでいると見られるのではないかと気になる」というのはショッピングモールでATMを使うという生活行動と商品の関係なので生活工学的観点での評価です。前者については調査会場といういわば「実験室」でも発見、検証が可能ですが、後者については実際の生活環境と生活行動の中でしか発見されなかったわけです。それはつまり「後ろから見られることが気になる」という評価軸は実際にATMが使われなくなりその原因を現場で調べるまでメーカー側には気づかれず潜在していた観点だったということです。

まさに調査の観点では「設問できたこと」と「設問できなかったこと」の違いであり、意識マトリクスでいうと、/C領域と/S領域の違いということになります。「画面の見やすさ」という人間工学的観点の評価軸についてはATMという商品を熟知しているメーカーには意識できていたわけですが、「後ろから見られることの不安」という生活工学的観点の評価軸については開発中のメーカーには潜在し無意識であったということです。これは最近流行の「UI/UX」という言葉を使うとすると、調査環境でのUXと生活環境でのUXは違い、その環境の違いによってUIの評価も違うのだということです。これはUIもUXも実生活環境で評価、検証されなければ結局意味をなさないということでもあります。なぜならば、そこにこそ/S領域が存在するからです。この例のように会場調査と現場で真逆の結果が出たような場合「調査は当てにならない」と脳回路がショートしてしまう人がいますが、実はこのような理由があるわけで、そこにこそ/S領域に至るインサイトが潜在しているのです。

さて、このATMの事例を意識マトリクスで表現すると下図のようになります。

この意識マトリクスの枠は開発時点での意識状態を示していますが、表現されている内容は時系列変化を含むダイナミックなものです。それは当初メーカー内や調査会場という「実験室」では意識されていなかった利用者の「後ろから見られて不安」という問題が、実際にそのATMが現場に設置されて利用され、忌避されるようになり、その原因を追究する調査の過程のなかで次第に顕在化していった過程を表しています。つまり、「人間工学的観点」だけでは製品というものは作ってみないとわからない、売ってみないとわからない、という事に他ならないのです。しかしこの意識マトリクスは当初からメーカーが「人間工学的観点」のみならず「生活工学的観点」を持っていれば回避できる問題があるという事も示唆しています。例えば「ATM利用体験と利用時のHappy/Not Happy」というテーマでアクティブリスニングインタビューを行えば、「年を取ると画面やキーの表示が見づらくなる」といった問題の他に、「後ろに並んでいる人が気になる」とか「いくら下ろしたかや、いくら入っているかを見られないように隠している」といった意識や行動が発見できたと思われます。それがわかれば「シニアにも文字は見やすいけれども、後ろや周りの人からは見えない画面表示のATM」というコンセプトが作れます。

これは小さな工夫なのかもしれませんが、実は今までになかった満足を提供するイノベーションであることに他なりません。

追い追いご紹介していきますが、実はこの原理はこのような比較的小さなもののみならず革新的なイノベーションにも全く共通して適用できるものです。

また、生活工学の概念図が示すように、ある商品や機能におけるイノベーションは「モノ」と「モノ」や「モノ」と「ヒト」との関係において他の商品や機能、あるいは生活に影響を及ぼしていきます。いわば「風が吹けば桶屋が儲かる」という連鎖現象です。つまり、小さなイノベーションの集積が大きなイノベーションとなって生活を変化させていく力になっていくわけです。イノベーションとは大それたことのように感じるかもしれませんが、皆さんがそれぞれに身の丈に合ったイノベーションを起こしていけばそのバタフライエフェクトでやがて大きなうねりになっていくわけです。

なお、これまた追ってご紹介することになると思いますが、そのバタフライエフェクトを予測する「拡張ニーズスパイラル理論」や「生活連関構造分析」とその手法というものもすでに運用段階に入っています。


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