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「意識マトリクス」入門〜アスキングインタビューの弊害とインタビューの「戦略」

意識マトリクスとはいわばインタビュー領域の「地図」です。この地図を発見したときに思われたのは、調査対象者の無意識の領域(S領域)は攻略不可能なので攻撃対象にはしないという「戦略」でした。定性調査において、もっぱら攻撃は調査対象者の意識領域(C領域)に集中するべきであり、その中でも「宝の山」であって「発見」が期待できる調査主体側の無意識領域(/S領域)を重点戦略目標とするべきであるということです。これを「C/S領域攻略戦略」と呼んでいます。C/C領域だけで完結する調査課題はそもそも「設問」ができて「回答」もできるわけですから、定性調査よりも量的情報が同時に得られる定量調査を行うべきです。


ところが先にご紹介した調査会社社員の調査結果のように、大半のインタビュー調査はアスキング型のフローで実施されているので、結果としてC/S領域を攻略することができず、調査主体側の意識領域(/C領域)への攻撃に終始します。

「S領域を聞き出そうとする」ことと相まってその結果発生してしまうのが「S/C領域への侵入」です。

「質問して答えさせる」アスキングインタビューにおいては、調査主体側が常に主導権を持っているため、その場での力関係は調査主体側の方が調査対象者よりも強くなっています。力関係が調査対象者にとって対等以上の場合には「そんなこと聞かれてもわかりませんよ」と言えることが、言いづらいということです。つまり質問には答えなければならないという「暗黙の強制」が存在するわけです。その結果発生するのが「タテマエ」、「ウソ」もしくは「沈黙」です。

無意識の領域に関する質問をされてそれに答えなければならないとすると、一般通念や常識に基づいた回答をするというのが一つの選択肢です。つまりアスキングでS領域に土足で踏み込まれた時に、その答えをC領域に求めようとする行動です。これがタテマエです。厄介なのはタテマエというのは「通念」なので本人もそれが「タテマエ」であるとは意識していないということです。したがってこれを「無意識のウソ」と呼ぶこともできます。タテマエは、自らの体験に基づかない「意見」として表明されることが多いと考えられます。

一方「これは本当は違うよなあ」と意識しながら答えているのは真正の「ウソ」です。

タテマエもウソもインタビューのような社会的な場においては、自らを社会的な規範や常識にしたがっている善良な存在として位置づける為に発生します。インタビュアーから質疑応答が始まることで調査対象者はノンバーバルに、この場では質問に回答することが期待されているのだ、あるいは義務なのだと理解します。謝礼の存在もあってその期待に応えようするのです。これは社会的な存在としての「本能」なので避けることはできません。そもそも人前における発言の7割はタテマエだそうです。そうでなければ社会生活が営めなくなるわけです。タテマエは幼少の頃からの社会生活で意識上に刷り込まれていく一方、ホンネはそれに抑えつけられ心の奥底に潜在していくものですから、多くはS領域にあります。つまり聞き出そうとしても聞き出せないことが多いということでもあります。

一方、タテマエやウソを言わせてはいけないのか?と考えますと、それを見抜くことができればむしろ分析を深める材料になるので、あって良いのです。いや、むしろそれが社会的な人間の自然な姿なのですから無ければならないとすら言えます。なぜ、事実やホンネと反するそのような発言が行われるのか?という所に深層心理推測への扉があるわけです。

ですが、見抜くためにはタテマエの海の中に時折島のように現れるホンネが必要です。ホンネとタテマエの矛盾があればこそ、それが見抜けるわけです。そして、元来タテマエが多いわけですから、ホンネは少しでも多い方がよく、あえてタテマエを増やしてしまうことは避けられるべきだと言えます。それがS領域へのアスキングが回避されなければならない理由です。

また、そもそもホンネとタテマエを見抜くこと自体が相当に高度なことであり、見抜けなければアウトプットされた情報によって企業活動を危機的状況に陥れることすらあるということも心しておかなければなりません。であるが故に、正しい答えを求めてホンネを聞き出そうとするわけですが、聞き出そうとすればするほどホンネではなくなるわけですから、むしろ「見抜くチカラ」を身につけた方が良いわけです。インタビュー調査というのはプロの仕事なのです。

質問が連発され回答がネタ切れとなりタテマエもウソも言えなくなった場合は、元来話すことがないわけですから、沈黙するしかないわけです。これはインタビュー調査における対象者沈黙の一つの大きな要因だと考えられます。対象者が話さないから質問を連発する。その結果さらに話さなくなる、という現象はよく観察されると思いますが、これは「話さない」のではなく「話せない」のではないか?と見方を変える必要があります。

そう見方を変えることができると、「今聞いていることは話せないことなのだ」という新たな認識すら得られることにもなります。「沈黙」すら重要な情報になるということです。タテマエやウソが「あった方が良い・あるべき」であるのと同様に、沈黙も「あった方が良い、あるべき」であるとすら言えるのです。しかし、これまた沈黙ばかりでは調査にはなりませんから話してもらう必要はあるわけです。つまりやはりS/C領域は回避される必要があるわけです。

インタビュー調査が不調に終わった典型として「わかっていたようなことしか出てこなかった」ということがありますが、アスキングを繰り返せば繰り返すほど、つまり潜在意識を「深掘」しようとすればするほど、対象者はタテマエで応じざるを得なくなるわけですから、それは当然のことなのです。しかし、アスキング自体が問題だとは思われていませんから「今回はリクルートが良くなかった」と責任転嫁されてしまうわけです。それによって同じ過ちが繰り返されることになります。

以上がアスキングインタビューの弊害ですが次回はその実例について紹介したいと思います。






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