インタビュー調査の都市伝説・さらにあれこれ~人観点の記述ではなく市場観点の記述であること=「言った・言わない」問題はなぜ起きるのか?
インタビュー調査の報告書というのは一般的にはこのような体裁、構造になっていることが多いものです。
これはネットのセキュリティサービスの利用実態に関してのデプスインタビューの報告書の例です。これが対象者人数分あり、他に「まとめ」があるわけです。グルインの場合も基本は同じで「対象者別」に記述されている例が多いと思われます。あるいは「グループ別」であったりもします。それが「ペルソナ」的にまとめられていたり「カスタマージャーニー」的にまとめられていたりもしますが、要は「対象者別」に「発言内容」がまとめられている、ということに違いはありません。ちなみにこの「対象者別」にまとめるフォーマットを業界用語では「個票」と呼びます。用語があるくらいですから、このようなまとめ方は極めて一般的だということです。
さて、ごくごく当たり前のこのフォーマットですが、この報告書をもらった後のことを考えてみてほしいと思います。それは、この「男性(46歳)」の「利用実態」や「利用の契機」などの情報をもらったとして、次はどうなるのか?ということでもあります。そこがイメージできているでしょうか?
経験上多くの場合、その後に起きるのは「So What?」という反応です。
例えばこのクライアントはそのサービスを開発するのに、どんなコンセプトで開発すればよいのかを探っているわけですが、この一人の実態、もしくはグループの実態が分かったところで、その方向性について、「その人」固有の話が世の中のどこまでに通用する話なのかが疑問に思われるわけです。これがまさに「数人の話で何がわかるのか?」という疑問にもつながります。
ここで気づいていただきたいのは「その人」について記述されているものでは「そのマーケット」の情報にはなっていないということです。もちろん「個人」の生活や気持ちは「マーケット」の根底にあるものです。しかし、それがいくら詳細に記述されていたとしても、それがマーケット全体にも適用されるものなのかの疑問がぬぐえません。つまりそれだけでは実はマーケットに対してのアクションのヒントにはなりにくいわけです。
そこでまとめ方を下図のように変えてみたとします。
こうなると、マーケット全体の実態としてとらえやすくなります。これは「個人」ベースの情報ではなく「市場」ベースの情報です。市場にはこんな問題やニーズがあるという情報ですから、マーケティングのヒントとなりえますし、これだったら個人特有の情報なのではないかという疑問も生じません。
個人や少人数から得られた情報だったとしてもそれが着眼点の違いにより既述の仕方が変わるだけでこのような違いが生じるわけです。すなわち、その「視点の変換」こそがインタビュー調査における「インサイト」(発言情報から洞察されるマーケティング課題に応える情報)の生成過程の一つだということです※。例えばインタビュアーは対象者の発言を傾聴しながらそれをヒントにマーケティングアクションを常にアブダクションし続けるという態度が必要だということになります。
この考え方をモデル化すると以下のようになります。
まず、一般的な「人観点」の場合はこうなります。
各個人の行動や意識とその背景・原因(すなわち構造)が個別に捉えられています。つまりこれはA~Fの対象者別個票発想です。「各対象者への処方」を検討する臨床的な心理面接の場合にはこれが妥当だと思いますが、「市場全体への処方」を検討するマーケティングリサーチにおいてはこれでは「So What?」にしかなりません。例えば各人の枠が色付けされていますが、この色付けのように「同類」に分類されたのだとしてもそもそもインタビュー調査の結果は統計的に処理できるものではありませんから、市場全体を統合する結論は得られません。依然として対象者個別のバラバラの情報があるだけです。この状態が「わずか数人の話で何がわかるのか?」という状態です。
そこで同じ情報ソースであっても、その見かたを変えてみます。
インタビュー調査を「各人の特徴を捉えること」ではなく『市場を映す魔法の鏡』と考え、対象者たちの発言を通じて「市場の事実・現象を抽出すること」とするのです。これは各対象者がその調査目的に対して有為に抽出された「代表性」(調査対象者としての妥当性)※を持っていれば可能になります。
すると各人の個別特徴であったO~Tの背景要因とo~tの結果はその市場全体の特徴的事実(現象)であるという見え方に変わります。すなわち、インタビューでの「発言者」という枠組み=分類項目によって分断されていたそれらの要素がお互いに関係を持ち得るということになります。例えばAさんにおけるOは同じくAさんのoという結果の背景でしかなかったものがBさんのPやpとも関係があるかもしれないと考えるわけです。このように考えますと調査で得られた背景と結果の要素は発言者には関係なく全体を構造化することができます。これは分析のところでもお見せしたかと思いますが、そのイメージが下図です。
「構造化」とは「論理化」でもありますから、各対象者個別の発言から収集された市場における現象の因果関係がこれで明確になります。こうなりますと、構造の末端にある各人個別の個人的行動や意識の共通の「根っこ」が見えてきます。すなわち「望む結果を得るために市場に対して何を打ち手とすればよいか?」がわかるということです。
定性調査においてはついつい目の前にいる対象者個別の特徴に囚われて「この対象者はこうだから・・・」という議論に陥りがちです。しかし臨床と違ってマーケティングリサーチの場合はそもそも「市場」を対象に考えているのですから、個別対象者に対してのそのような議論はある意味ナンセンスです。同じことでも、「この市場にはこんな現象があるのだから」という見方をするべきだということです。非常に説明が難しい哲学的というか認識論的なことを書いてるのは自分でもわかっていますが、定性調査を行う際にこのような見方をしないから「数人の話で何がわかるのか?」という議論に陥るということです※。
概念的には難しいので具体的事例としても説明しておきます。これも既出だと思いますが、「コロナ禍でマスクをするようになって目じりの皺が気になるようになった」というインタビュー対象者個人の発言は、市場観点で「マスクをしていない部分の美容が気になるようになったので目じりの皺が気になる」という意味に構造的に解釈をすればその他のマスクで覆われていない部分も実は潜在的に気になっている、という市場全体のインサイトに転換されます。ところが、これを個人観点で捉えてしまうと他の部分については思いが及びませんし、及んだとしても「そんなことは言ってなかった」とそれこそ「数人の話」だけを対象に考えてしまうようになる、ということです。また、このインサイトの是非検証は定量調査で行えば済む話でもあります。
というわけで定性調査を「役に立たないもの」としている要因においてこのような「モノの見かた」は大きなウエイトを占めているのではないでしょうか。見かたを変えるだけでその有用性は全く違ってくるのです。
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