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このアウェイがいつか、ホームに変わるまで

昨日のnoteに引き続き、嫁と係争中です。

冷静に話ができたかと思えば、またどちらともなくウワーッとなって場が乱れたり、お互いに「なんでいま、そこを蒸し返すかなあ」という余計な一言を言ってしまったりで、まあ消耗するのですけど、昨日のnoteでも書いた通り、これが一人の人間として向き合うということですから、なんとかやっていかなくてはなりません。成長痛だと思って受け止めることにしています。

しかし、そんな中でも考えてしまうのが、やはり生まれ育った国の違いに関することです。今日は昨日とは逆に、「相手が自分からどう見られているのか」という視点を加えて考えてみたいと思います。

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何度か書いていますが、我が家の会話は基本的に中国語で行っています。当然、言い争いやケンカだって中国語でやることになるのですが、これがまあ、しんどいのです。

同じ国どうしの夫婦の喧嘩だって話が噛み合わないことや、「言いたいのはそういうことじゃないんだよ」とか「どうしてわかってくれないの」的な不毛なやり取りは起こるとは思うのですが、どちらかの言語が母語でない場合、そこに「本当に自分の意図が伝わっているのか」「自分は相手の言葉の意図を十分に読み取れているのか」という駆け引きが必要になるのです。

ましてや夫婦喧嘩はディベートや学会での議論と違って、客観的な事実に基づいて議論が収束するようなものでもなく、相手の感情をなだめたりすかしたり、逆に自分の感情を抑えながら、進めていかなくてはなりません。そんな作業を、異言語という脳のリソースを大きく割かなければいけないことを抱えながらやることは、決して容易ではありません。

そんな状況で僕の頭にもたげてくるのは、「もうちょっとゆっくりしゃべってくれよ」とか、「俺は外国人なんだから、もうちょっと気を遣ってくれよ」とか、「なんで遠慮なく普通にガンガン攻めてくるんだよ、こっちは母国語じゃねーんだぞ」というような被害者意識というか、自分が不当に追い詰められているような感覚が生まれてきてしまうのです。

どうして、こっちの立場を解ろうとしてくれないんだろう。どうして「この言い方で伝わるかな」とか考えてくれないんだろう。どうして外国語である事を差し引いて、こっちのいう事を捉えてくれないんだろう。こんな気持ちが溢れてきて、余計に相手のことを嫌いになりそうになってしまいます。

嫁に限らず、この国の人とやり取りをしていると、そういった気持ちになることがあります。外国人だからという理由でおざなりな扱いを受けたり、邪険にされたりとかね。そうでなくても、大声でまくし立てられたり、延々と本質的でない話で煙に巻こうとしてくる人もいます(そういう人は、外国人だけでなく誰にでもそうですが)。そういう時は、やはりみじめな気持ちになったり、ちょっとくらいこっちが外国人だと思って接しろよ! そのへん考えろよ! と思ってしまうということが、正直にいってあります。

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しかし、こういった気持ちを持つことも、そろそろやめてしまおうと思います。

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