(うつ病・リワーク日記)"本当はこう思ってた"を認めたい
2度目の休職中に書いています。リワーク通いです。
私が通うリワークでは「内省プログラム」があります。自分マニュアル作りを中心としたグループワーク主体の内容です。
その中で、印象に残った、大切にしたい話。
スキーマは頑固
幼い時「人に迷惑をかけない」「自分がやられて嫌なことは他人にしない」。そう言われて育てられました。特に疑問を感じなかった。
泣き虫だったけど手のかかる子供ではなかった。事情があって、両親は私よりも兄弟の面倒を見る機会が増えていく。いつしか、私は両親に迷惑をかけない"良い子ちゃん"でいようと思うようになりました。
運動、勉強。私は近所の上級生に面倒を見てもらうことがよくありました。そのおかげもあって学校の運動や勉強で両親に心配をかけることは少なく成長できました。今でも家族には感謝しています。
だけど、"良い子ちゃんであるべき"というスキーマが出来上がりました(ここではスキーマ深層信念と訳します)。この思考の基礎となるスキーマは頑固ちゃん。なかなか変えられない。考え方のクセに影響を与えてきます。
内省プログラムで気がつけた
この頑固なスキーマが元になって湧き出る考え方に苦労しました。自分で自分を追い詰める。ちゃんとやらねば、しっかりせねば。
会社での責任は重くなる。私が在籍する会社では、一般従業員は比較的、守られます。だけど、管理職となれば話は別。容赦ない。
容赦ない言葉で責められる。それを真正面から受け止めて、自分で自分を責めていく。しっかりせねば、と。こうした考え方のクセも、強いストレスの一因にはなったのでしょう。
とはいえ、リワークで多くを学び、自分のせいで休職に至ったとは思わなくなりました。
内省プログラムの個人ワークで気がつけたのは、"ちゃんとせねば"と過剰に思うあまり、自分の感情/考えを抑圧してきたな、ということ。思い浮かんでも"無いこと"にしていた。
あいにく、無いことにしても、実際には無くなりません。
本当はどうしたかったんだろう、を探す
何も制約がなかったら、本当はどうしたいか。
ファンタジー小説のようなこともアリなので書き出すようなワークもありました。実は猫になりたい、とかもアリ。
一見、突拍子もないワークだけど、書き出した考えの奥に「本当はこうしたかった」「本当はこうありたい」が顔を出してくる。それを見つけてあげる。
初めて書いた時にもたくさん書けた。だけど、勝手に自分で作ったルール内でしか書けなかった。
内省ってのは、何度でもやってみるのが良いみたい。徐々に、本当の自分探しができるようになってくる。
どんな感情/考えもあって良い
「本当はあの子が嫌いだった」「本当はやりたくなかった」
理想の自分像から遠い感情や考えは、自分のものとはいえ、嫌なもの。見て見ないフリをする。
「嫌だけど。でも、こんな良い所もある」とか考えがち。
だけど、悪い感情/考えも存在して良い。
そして、悪い感情/考えも認めてあげて良い。
無理にポジティブに変換しなくて良い。
よくないのは、考えに巻き込まれること。その考え以外の考えができなくなってしまうこと。そして、よくない考えから悪い行動に移すことだ。
逆にいえば、悪い考えがあっても巻き込まれず、悪い行動に起こさなければ何も問題がない。
「あー、私はこう思っていたんだね 。(まる)」で終わらせる。
その考えがあることを認めてあげる。受け入れてあげる。
こんな風にできるようになりたいな、と思いました。
何ヶ月もリワークに通って、ようやく抑圧していた考えに気がついた時。
涙がポロッと出てきたことは内緒です。
今更。ようやく、気がついたのかって思うと弱気になった。これで復職なんかできるのか?と。
でも。ここにも"ちゃんとできるべき"の考え方が根っこにいた。気がつけた。それでも、私は未熟と思っちゃった。
ある日、変化は、ほんのちょっとずつで良い。少しの変化が凄いことなんです。
尊敬する私の師匠から言ってもらえた言葉が心の支えです。
少し脱線しかけた内容を別記事にしました。
ご興味あれば、お読み頂ければ嬉しいです。
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