見出し画像

小説版『アヤカシバナシ』階段

気づいた時と言いますか、記憶にあるのは保育園の時から。

住んでいた家は決して裕福ではなかったので、一階がよそ様の家、その横に玄関があり、二階が我が家。

つまり二階建てだけれど玄関別で他人と分け合って住んでいる、二世帯住宅をそれぞれ他人が住んでいるイメージですね。


玄関を開けると目の前が急で長い階段。

アパートの外にある二階に行くための階段が、玄関開けたらそこにあるイメージ。

勿論ガラガラ戸を引くと、小さな玄関と呼ぶスペース。

そこで靴を脱いで階段を上がるのだ。


その木でできた階段は、黒柿による塗装で、タンニンの作用でもって真っ黒になるアレではなく、黒檀でもない、そんな金持ちではない家主。

年月の経過によるくろずみだと思う。

それがまた趣きがあってとても好きだった。

当然だが幼少期でその趣きを理解したわけではない。

最初は嫌いだったのだ、大嫌いだったのだ。


誰の家も玄関開けたら家の中・・・正直羨ましかった。

しかし私の家は玄関開けたら威圧感半端ない壁の様な階段。

人が来ると居間の曇りガラス戸をガラガラと引き、顔だけ出して『はい』と対応する、数メートルの段差を経て、下に居るお客様と顔だけ出して会話する、それも嫌いだった。

崖の上と下で話しているみたいだったし。


そして何より滑るのだ。

何度も保育園に行く際に落ちて尻を1秒間にドドドド!と数回打ち付けた事がしばしば。

近所のおばちゃんなんかは勝手に上がってきて、曇りガラス戸をガラガラ!と引いて『いる?』ってなもんだ。

今でこそご近所づきあいと言うモノが消え去ったものだが、当時はこんなお付き合いが日常で、幼少の頃の私は嫌だった。


少し成長すると、私は父親との喧嘩を頻繁にするようになった。

私は格闘技を友人の付き合いで覗きに行ったら『見てないでやりなさい、さぁ』と言う流れで習い始めていた頃で調子に乗っている。

しかし父親は神主をしていたがタクシー運転手もしており、更には警察で柔道の講師をしていたとかなんとか。

覚えている身体つきはまさにボディービルダーだった。


本当にすさまじい筋肉だったので、小学生の本気の蹴りも効かず、フルスイングビンタで居間の曇りガラスを突き破るほどツッコミ、その勢いで階段を転げ落ちて玄関を突き破った事がある。

階段は転げ落ちたと言うよりは二回くらいバウンドしたと言うべきか。

幸いなことに怪我は打撲程度で済んだ。

その時も『この階段が無ければもっと軽く済んだ』と思った。


冬になると、雪玉を作って交通量の多い道路に向かって雪玉をぶん投げると車に当たった。

止める車なんかいないので10点!なんつって楽しんでいた悪ガキ。

ところが後ろなんか気にすることなく車をズザー!と急ブレーキで止め、運転手のおっさんが降りてきた!やべ!と友人2人で必死に逃げ、私の家に逃げ込んだが、もう足がへとへとで、階段を上れずに運転手が入ってきて、母親共々叱られた。この時も『この階段が無ければ逃げ切れた』と思った。


近所の公園でやぐらが組まれ、盆踊りの季節になった。

楽しいお祭りも終わり、大工なのか町内会の人なのか解体を始めたが、お昼休憩でいなくなり、そこへ友人と侵入。

残っていた高台から飛び降りたら右足に電気が走ったように痺れて動かなくなった。私の友人が足を見ると『釘が刺さってる!』と叫んだ。

何と飛び降りた時に五寸釘が踵から入り込み、上手く骨を避けて横の肉から突き出していたのだった。『また怒られる』と思った私は勢い付けて、ギャー!つって右足を持ち上げた、ズルズルと釘が抜けて行く感触は今でも足に残っている気がする。

抜いた途端に血がドッと出て、生暖かいどころか冷たさを感じた。

怖くなって友人が逃げ出したので、足を引きずって一人で帰った。

幸い家までは100m程。

しかし何百キロにも感じる100mだったのを覚えている。

足にあんなものが刺さって突き抜けていたと言う事実が心を引き裂く感じ、それは『このまま死ぬんじゃないか』と言う恐怖そのもので、一歩一歩歩きながら涙が流れてきた。

家に辿り着くと、目の前にそびえたつあの階段。

必死でよじ登るけどもう限界だった。

気が付いた時は布団の中で、足は激痛だったけど、入口と出口には絆創膏が貼られ、包帯が巻かれていた。

母親が見つけて連れてきたようだった。

『あの階段さえなければバレずに済んだのに』って思った。


本当に階段が嫌いでうんざりしていた頃、こんなものが流行り出した。


スリンキー


スリンキー、確か当時もこの名前だった気がする。

流行っていたと言うよりはお祭りの時に屋台で売るが、お小遣いで買うには高価だった代物ってやつかな、世の中の流行ではなく、私の住んでいた小さな街での流行。


しかし学校の階段だと幅が広すぎてうまく下りない。

金持ちのクラスメイトの家の階段もダメ、

勝手にあちこちのアパートの階段を試してもダメ、

公園の滑り台の階段もダメ。


ところがうちの階段がスリンキーの為に作られたようなもので、上から下までシャンシャンと小気味いいリズムで下りてくれるのだ。

五寸釘事件で逃げた友人もこれにはテンション上がりまくり!


翌日学校で、友達と呼べる人がそんなにいない私に対し、クラスのほとんどの生徒が『今日行っていい?』と言って来た。

『なんで急に?』と思ったらあの友人がスリンキーにベストな階段は、お前の家の階段だと言っていたのだった。

その日から毎日のようにスリンキーをやりに私の家に友人が集まり、やがてスリンキーが廃れてもクラスのみんなは仲良くしてくれた。


この時初めて階段に『ありがとう』と言う気持ちを持った。


しかし間もなく私は引っ越すことになり、やっと好きになった階段とお別れすることになったのでした。


そんなことがあり、階段が今でも好きなのです。

階段を見ると、勝手にその建物とそれに関わった人などの物語が、見えないけど見える様な感じる様な気がします。


良くして頂いている方が『階段は生きている』とおっしゃっていました、全くその通りだと思います。

廃屋になっても階段だけはその存在感を維持しており、その先や過去へ誘う道しるべの様な気がしています。

それがアヤカシの誘いかもしれませんけどね。

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?