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横井軍平ゲーム館「世界の任天堂」を築いた発想力 (ちくま文庫) 横井 軍平、牧野 武文

この本は、横井軍平氏がこれまで関わってきた「マジックハンド」や「ゲームウォッチ」「ゲームボーイ」などといった玩具たちについて、どんな思いで、どんな苦労をして生み出してきたかを語り尽くした一冊です。

ゲームの本質を外に活かす

一番おもしろかったのは、P217 218 第5章 横井軍平の哲学

今までは、ゲームの世界で「枯れた技術の水平思考」、つまりある技術をそのままストレートに活用するのではなくて、別の発送のもとに活かすということをやってきたわけです。でも、ゲームの世界はある程度成熟して行き詰まっていている。と言っても、ゲームの本質である「楽しみ」というものがなくなってしまったわけではありません。ゲームの楽しさを、医療とか実用品とかの世界に結びつけたらどうなるかということを考えてみたいのです。言ってみれば、「枯れたゲームの水平思考」ということになるのでしょうか(笑)。

これは本当に、じぶんが目指しているものを言い当てた内容だったので、抜き書きしました。

「ゲーミフィケーション」と言ってしまえばそれまでですが、バズワードとして飛び交っていた時期の(経験値、バッジ制度など)仕立てとしての安易なものでなく、もっと根本的なところからゲームの本質である「楽しみ」を突き詰めて考えて、実用品等の世界に広げていくのが大事と思っています。

では、ゲームの本質の「楽しみ」とは何か?

それは、この本の中で著者が関わってきたさまざまな玩具を例に語られていきます。ぜひ読んでみてくださいませ。

また、それとは別に、通読して考えたことは後述しておきます。

著作権が無かったらマリオは生まれなかった

P124-125 第3章ゲーム&ウォッチの発明

ドンキーコングは当初、ポパイゲームとして出発した。インタビューの中にもあるように、ポパイ、オリーブ、プルートの3人が構想ビルの工事現場で繰り広げるゲームというのがもともとのアイデアだ。これがキャラクターの利権問題から、ポパイ=マリオ、オリーブ=ピーチ姫、プルート=ドンキーコングと変更になった。(中略)
横井氏は「ゲームはやはり囲碁とか将棋のようにゲーム自体の面白さが命であって、今のゲームは手を変え品を変えやっているだけのものが多いのではないか」と堂々と語っている(中略)
キャラクターがポパイであろうと、ドンキーコングであろうと、ゲームの面白さそのものには無関係だという考え方だ。

きっとポパイゲームのままでも成功していたはずです。

ポッと出のヒゲおじさんキャラクターよりも、見知ったキャラクターである方が受け入れられやすいのは想像に容易いです。

でも、キャラクターが何であるかは関係なく、「ゲーム自体の面白さ」を突き詰めて考え抜かれて世に放たれたからこその成功なのだと語られています。

では、「ゲーム自体の面白さ」とは何か。

通読して、考えたものを"じぶんなりの"言葉で書き残しておきます。

きっと、ゲーム自体の面白さとは、次の2つのものに支えられているのではないかと考えます。

1. 大金もマニュアルもいらない「手軽さ」
2. 驚きで、仕組みまで気になる「拡張感」

一言にまとめると「手軽に、現実からの拡張感を得られる体験」といったところでしょうか。ちょっと言葉固いですが......

まず「手軽さ」について。

「大金を必要としない」これは、大きな手軽さポイントの一つでしょう。ゲーム一つやるためだけに、何万円も、何十万円も必要とするようであれば、この頃のゲームは成り立っていなかったはずです。

現に、初代ゲームボーイは、ファミコンよりも金額を下げるためにありとあらゆる手を尽くし、あの形で発売されたのだそうです。

画面がモノクロであるのだって、本来はお金かければカラーにすることもできたところ、「とにかくファミコンよりも安く」を掛け声にしていたために、モノクロで落ち着いたのです。

それに、元々新幹線に乗っている間の暇つぶしアイテムとして生まれたゲーム&ウォッチだって、手軽なアイテムであるから受け入れられたのであって、これが重装備のようなものであったら、いかに”スゴい”ゲームを積んでいたとして、世の中に受け入れられることはなかったでしょう。

また「マニュアルを必要としない」
これは、スーパーマリオの章で、語られるところに現れます。

先述引用の通り、元々キャラクターとしてポパイを使おうとしたところ、権利の問題でマリオ・ピーチ姫・ドンキーコングというオリジナルキャラクターを使用することになりました。そこで、「ドンキーコングにさらわれたピーチ姫を、プレイヤーはマリオを操作して救いに行く」というものになりました。

しかし、ここで問題発生。

ポパイであれば、わざわざ説明しなくてもストーリーが知られているため、「姫を助けに行けばいい!」となります。しかしまだ当時オリジナルキャラクターであったマリオたちは、どういう関係性なのかすらプレイヤーにはわからない。

そんな中で、ゲームを楽しんでもらうためには、極限までわかりやすくしなければ、プレイヤーはどうすればいいのかすらわからないままゲームオーバーになってしまう。

スーパーマリオでは、そんなことになってしまわないようにするために、後ろから火が迫ってくるものにすることで「この塔を登らなきゃいけないのだな」と認識させることにしたそうです。ちなみにその後になってから、ドンキーコングがピーチ姫をさらうムービーを追加したそうです。

「仕組みまで気になる拡張感」
これはウルトラハンド・光線銃・ダックハント・テンミリオン... 横井氏が開発したどの玩具にも共通するものだと思います。

「拡張感」という言葉を使ったのは、ある種の非日常を楽しめるという意味合いです。レーザークレーのようなものだって、実際はクレー射撃を日常からできているのであれば、特になんとも思わないはずですが、それをアミューズメント施設で手軽に遊べるというところがキモになっています。

光線銃同様に、挙動としての面白さを持ちつつ、かつ"日常では経験しないような体験"を手軽に遊べるようになっているということです。

シミュレーションゲームなども同様でしょう。

またあるいは、ロールプレイングゲームや先のマリオなどに関しても、現実世界ではない、フィクションのストーリーという、"日常とは切り離されたストーリー"を、ゲームという空間のなかに拡張することで、体験・遊ぶことができるというのがミソです。

こんな風に、「手軽に、現実からの拡張感を得られる体験」というのが、与えられているかどうか。というのが「ゲーム自体の面白さ」を支える重要な要素になっているのではないかと考えます。


終わりに

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