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私たちはもうコロナを忘れてしまった【2021年総決算#3】

こんにちは、Studio Topitaです!
私たちは理想郷を本気で「想像」「創造」するサークルと称し、毎月テーマを決めて語り合い、議事録をアップロードしています。
ぱっと聞いただけでは「?」かもしれませんので、どうぞ是非、自己紹介をご一読いただきたいです。
(常連さんは、いつもありがとうございます!)

Studio Topia 12月
第2回「コロナが私たちに教えてくれたこと」

すっかり寒くなってきました。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
街にはクリスマスムードが漂い始め、綺麗なイルミネーション、ツリー、たくさんの人で賑わっていますね。

今年も新型コロナウイルスに社会が悩まされた一年であり、いまだに感染症対策は求められています。ですが、個人的に、ワクチン接種や感染者数の一定の減少に、昨年よりもすこし出歩きやすくなったような気がしています。

(以下の統計を見る限り、人出の数は、想像していたより去年も今年もあまり変化がないような感じもしなくもないですが…)

どこか、これまでのコロナ禍のことを忘れてしまっているのではないでしょうか。
しかし、これからの状況に予断を許さないことは言うまでもないでしょう。最近では新たな変異株「オミクロン株」も確認されるなど、今後の様子も分かりません。
「コロナ2年目」も間も無く終わるということで、これまでについてもう一度目を向ける必要があるのではないでしょうか。

今回は、政策等についての批判というよりも、日常生活の中で感じた学びや、違和感、問題感などに重点を置いて話し合ってみました。
以下、議事録です。

議事録

2020年と2021年、コロナに思うこと
日本で新型コロナウイルスが大きく話題となり、生活を変えていった2020年。そして、緊急事態宣言などを経ながら、これまでで最も感染者数の多かった時期や、ワクチン接種などがあった2021年。新型コロナウイルスについて思うことは、どう変化したでしょうか。
会では「怖かった2020年、慣れちゃった2021年」と、現在でも怖さは残るとしながらも、この状況に慣れつつあると振り返られました。
そして、それぞれ個人の「コロナに対する最初の記録」を振り返ることになりました。大学の授業選びやサークル活動、高校の卒業式など、徐々に状況が変わる中で、誰もが探りながら行動を変化させていったことを思い出しました。みなさんはどうでしょうか。

日本はロックダウンをするべきだったのか?
そして、その中から、「日本はロックダウンをするべきだったのだろうか」という問いが投げかけられました。

日本では「自粛要請」など、それぞれの自主性に任せた判断が求められましたが、海外では法的に外出が禁じられた地域もありましたね。
正直、専門的なところまでは判断できない…と言うのが実際のところではありますが、「日本の状況でロックダウンをしたとして、どこまで効果があったのだろうか」というものが出されました。また、海外と比べ、日本では外出やワクチン接種が比較的個人の裁量に任されていることを受け、「日本は実は相当な自由主義国家なのでは」といった意見も。もちろんさまざまな要因が絡まってのことでしょうが、非常に面白い気づきだと感じています。

コロナ禍、忘れちゃいけないことはある?
これはみなさんにもあるでしょうか。
コロナ禍の社会やできごとに対して思ったことや、モヤモヤしてしまうこと、そこから学んだこと。緊急事態宣言やワクチンに関してなど、ニュースとして記憶に残りやすいものがある一方、それにまつわって感じたことや考えたことは、案外忘れがちです。しかし、その時に感じた違和感や学びこそ、忘れてはいけないことだろうと思われます。StudioTopiaでは、参加者それぞれが感じたり考えたりしたことを中心に、コロナ禍の気づきや違和感を共有しました。

まず会で指摘されたのは、「コミュニティと社会とのズレ」です。
テレビや新聞、あるいは社会全体でなんとなく共有されていることと、自分の身の回りの意見やムードが違っていることもあると思います(外出自粛に対する向き合い方など)。「一般的な意見とは違う意見に接し、戸惑ったり、揺れたりすることもあった」という意見が出されました。多様な意見があること自体は悪いことではありませんが、そのような「社会一般」とのズレが、簡単に、どんな人にも、「自分」にも生じうるのだということ、そして時にはとても悩ましいものだということは、もしかすると多くの人が感じたことかもしれません。

次に出たのは、「コロナに関する差別」についてでした。

コロナになった人やマスクをしていない人などに対し、排除するような動きがあったり、差別が起こってしまったりと、「未知なる恐怖」に対しての防衛心が対人に悪い形で出てしまった状況を嘆く声でした。

そして、「時間の使い方を見直した」と言う声も上がりました。コロナ前はスケジュール帳をいっぱいにすることこそ是のような側面を感じていたところ、外出自粛や営業時間の変更など、時間がゆっくり流れること、都市が休むことについて肯定的に感じた、という意見が出されました。コロナ禍と経済はネガテイブなニュースも多く、もちろん簡単に語れることではないでしょうが、ポジティブな側面があったことも確かです。飲食店でアルバイトをしていた参加者からは、終業時間とともに早く帰宅できるようになったことが嬉しかった、と言う声が出ました。

さらに、忘れかけている話題、として「9月入学」も挙げられました。

4月入学が一般的である日本において、コロナ禍をきっかけに9月入学の議論が盛り上がりましたね。
現状から離れて理想を想像してみる、というStudioTopiaらしい意見として、「9月入学に止まらず『通年入試』『通年入学』まで考えを広げてもいいのでは」という意見が出ました。
さらには教育関係で、大学でオンライン授業が普及したことにも言及。「やむを得ず始まった」という形でしたが、その普及のスピードは凄まじいものでした。これまでも検討されたことはあったでしょうが、ここまで一気に変革が進んだのは、間違いなく新型コロナウイルスがきっかけです。ここから学ぶべきことは、「何事もはじめはうまくいかないが、そこから学び向上するしかない」かもしれません。筆者も現役大学生として大学講義のオンライン化に立ち会いましたが、たしかに初期の頃のクオリティは満足いくものではなく、学生からも批判が上がっていました。ですが、2年目に入り、学生も教員も段々と授業形式にも慣れてきたように感じます。オンラインとオフラインの混合型であったり、映像資料とリアルタイムのディスカッションをうまく使用したり、以前より授業の質が上がったのでは、と思う部分もあります。もちろんまだまだ改善する部分もあるでしょうが、コロナなど関係なく、「完璧な形でなければ始められない」とされていたら、一生オンライン化なんてできなかっただろうと思います。笑 義務教育など公平な教育が求められる部分では慎重になる必要もありますが、何事もとにかく始めること。これは大切なことかもしれません。

そして、「コロナはゴミを増やす」という今どきな話題も。

コロナ対策で使い捨てビニール袋や不織布マスク、飲食物のテイクアウトが推奨されていることを受けての発言でした。SDGsなど、持続可能な社会づくりに関心を持つ人が増えてきている昨今。感染症対策も環境対策もどちらも非常に重要なトピックです。どちらを取るかではなく、どうすればどちらもうまくいくのか。考えることが求められているように思います。また、このようにどちらも達成すべきであるのに両立し得ない社会課題なども今後増加することが予想されます。そういったものの走りとしても、非常に重要な問題であると思われます。

「『会うこと』の概念が変化した」という意見も出ました。2年間直接会っていない友人も、オンライン上で顔を見ることで、そこまで隔絶されている気はせず、むしろしょっちゅう会っているような気すらする、とのことです。また、コロナ禍をきっかけに電話やZoomでの通話なども活性化したのではないでしょうか。誰かとご飯を食べたり、飲んだりして遅く帰宅する、ことが少なくなった一方、空いた夜の時間で「Zoom飲み」などオンラインでのやりとりが活性化し、1日はより長くなったという意見もでました。

以上、コロナ禍を振り返って、感じたことや悩んでいたこと、忘れかけていたことなどを振り返りました。案外忘れてしまっていると言うことに恐ろしさを感じると同時に、思い出した時の「あったあった」という感じも面白かったりします。

来週に向けて・まとめ
最後に、来週に向けての確認と今回のまとめを行いました。
来週は「オリンピック・パラリンピックが教えてくれたこと」として、今夏開催された第32回東京オリンピック・パラリンピックから学んだことについて、今回と同じようなスタイルで話していく予定です。

今回、コロナ禍について振り返ってみてわかったことは、コロナ禍にとにかくたくさんのことが変化し、「9月入学」のように忘れかけていることもあれば、「ゴミ増加」「リモート飲み」など、無意識のうちに変化し、気がつけばかつてとは全然違っていることも多くある、ということです。日常は常に変化するものではありますが、その圧倒的スピード、初めは非日常だったことが日常化している特異性は特筆すべきものです。

ここで思い出して忘れても仕方ありません。
これをきっかけに考えを深めたいですし、みなさんもコロナ禍の気づきや違和感、あれば教えてくださいね。

今回でた問い

・2021年を思い返して印象的だった出来事はあるか
・2020年、2021年、コロナに対するイメージは変わったか
・日本にロックダウンは必要だったか/なかったか
・コロナ禍、忘れちゃいけないと思うことはあるか
・今年一年を来年に繰り越したいと思うか
・規制によって飲食店でのアルバイトはどう変わったか
・去年のクリスマスはどうだったか

面白かった意見

・日常が奪われる、と言う点でコロナ禍は戦争に似ているのではないか
もちろん大きく違えど、「青春が奪われた」「遊べなかった」など、コロナ禍と戦争は似ているのではないか

・世の中のムードがコロナで統一されるようになった
これまで世の中をこれだけ長いこと同じ方向に向かわせる出来事を経験したことがないように思う。

・コロナは思い出化してしまうのではないか
これだけたくさん悩んだり、苦しんだりしても、いつかは思い出化してしまう。
→そうやって思えるようになるとのは悪いことばかりではないが、その悩みや苦しみを忘れてはいけないのではないか

・コロナは場所と時間の流れを変えた
海外への留学生が日本にとどまりリモートで授業を受けていたり、あるいは時間の流れが変わっていたりと、場所と時間の概念が大きく変わった。

編集後記

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

新型コロナウイルス、またコロナ禍について、忘れていることが多くあると感じた回でした。それと同時に、自分がたくさん違和感を感じていたのだなあ、ということにも気がつきました。
コロナ禍の変化って結局どういうこと?と総括しようにもなかなか難しく、本当にたくさんのことが変化したのだなと思わされます。

揺り戻し、というのか、多くのことが段々と「かつて」に戻ってくのを感じます。また人に会える、海外に行ける、など、ポジティブな回帰だけならまだしも、出社スタイルなど、これを機に変革したかった部分まで戻ってしまうのは問題を感じざるを得ません。

「Withコロナ」「Afterコロナ」と言っていたのはなんだったのか。

なにもかもそう簡単に戻るとは思えませんが、ここが踏ん張りどきのような気もします。
コロナでの変化をただ受け入れるというよりも、改善のきっかけとできたら良いなと改めて思う回でした。(奈都)

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Studio Topia 12月テーマ「2021年総決算」
第1回 「コロナが私たちに教えてくれたこと」
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