テラサカ ケイコ

建築家。インテリアデザイナー。一級建築士事務所STUDIO CINNAMON主宰。 商…

テラサカ ケイコ

建築家。インテリアデザイナー。一級建築士事務所STUDIO CINNAMON主宰。 商品でもなく作品でもない、心地よい空間づくりを目指しています。

最近の記事

父のこと②

最晩年の父との月1のデートについて話す前に、私自身の心の変化について書き留めておこうと思います。 私が他人に父の逝去について話す時に、心が揺れる相手とそうでない相手がいるということを発見したことです。 つまり、自分がどれだけその相手に心を開いているか?がわかるというのだと。 例えば、葬儀の準備でバタバタとしていたときのこと。式は家族葬に毛が生えた程度の、こじんまりとしたもの予定していたのですが、なにせ何もかもが初めてのこと。 少なくとも4人の親を送り出しているはずの母は

    • 父のこと①

      父が亡くなった。 誕生日を2週間目前にして、82歳で逝った。 親を先に送り出すのは順当なこと。 親より長く生きてる自分は、一つ親孝行でもできたのだろうか。 でも、心の中は今までに感じたことのない動きがザワザワと続いている。 四十九日の準備をしながら、心に浮かぶことを書いてみたい。 私にとって父は「楽な」存在だ。 何かと意見や価値観が異なる母と違い、父はいわゆる放任主義。口出しもしないけど、代わりに過度な手助けもしない。生涯を通して私のやることに口を出したのは、記憶では2

      • 種蒔き

        むぎのたね まきます ぱらっ ぱらっ ぱら〜♫ 一つぶ こぼれた 道の上 みつけて 鳥が たべました♪ 子どもさんびか 56番の一節。 1番から3番までは、うまく育たなくて 4番で初めて芽がでるまでたどり着く、 という歌。 根を張れる土の上にまかれないと 生命は始まらない。 今は自分の中に いろんな種をまいているときかな。 どれが育つかじっくり観察。 水やりも忘れずに。 夏至の前の芒種とは もともとは 雑穀の種を蒔く頃のことらしい。 そして梅仕事の便りが続々と届

        • 吹き込まれる生命

          コスチュームアーティスト・ひびのこづえ展を観に市原湖畔美術館を訪れた。 行きは内房線から、単線のディーゼル車の小湊鉄道に乗り継いで、開け放した窓からびゅんびゅん風を受けながら田んぼのど真ん中を横切る。 無人駅を降りて、線路沿いをてくてく歩く。 起伏のある道は瀬戸内の島に来たような錯覚。 湖越しに見えるのが、市原湖畔美術館。 数年前に若手建築家ユニットにより、リニューアルされ、ディレクターは郊外のアートではお馴染みの北川フラム氏。 中に入ると、まずお気に入りのハンカチ

          調和に向けて

          「尊敬」と「尊重」は似て非なるもの。 たとえ尊敬できなくても、その人を尊重することはできる。 許容する、に近い感覚。 対峙する相手の前に、心の器をびよーんと広げて受け入れる。 キレイな円でなくてよい。 いびつでも、伸ばした先っぽが相手に届けばよい。 小満の時期に生まれた彼女との接し方に 新しいフィルターを発見した日。 #エッセイ #二十四節気 #小満 #尊重 #調和 #器

          ボリュームコントロール

          ここ数日、全く異なる分野の枠を超えたところにおんなじだな、と発見があった。 まずはアーユルヴェーダのフォローアップ。これは先日受けた脈診を元に作成してもらったアドバイスシートに沿って生活できているかの面談のこと。 食べた方がよいもの、避けた方がよい食べものなどなかなかやることが多い。まず前の晩からつけ置きするものが2つ。コップ一杯にコリアンダーシードを小さじ一杯。朝起きたらすぐ飲む。次にアロエベラジュースにすりおろした生姜とレモン汁を絞って、非加熱の蜂蜜を加えたものを飲む。

          ボリュームコントロール

          発芽

          休日に玄米を発芽させてみる。 ひたひたに水に浸してまず一日。水から上げてもう一日待つ。ところが、思ったより気温が高かったようで、ピョコっと出てきた芽が普段より大きい。あー、育ちすぎてしまったかも。。。 気がつけば季節は立夏も半ば。蚯蚓出 - みみすいづる というらしい。生きものが上に上に伸びていく季節。発芽もぐんぐん進むはずだな。この時期は水から上げたら半日で良さそう。 圧力鍋に入れて、塩をひとつまみ。蓋をしてしゅーしゅー鳴って、ピンがあがったら15分。これを保つ火加減が

          ことば

          「初めに言葉があった」 これは新約聖書のヨハネによる福音書の冒頭の一節。プロテスタントのミッションスクールに6年も通うと、こういうことはやけに覚えているものだったりする。 自分の言語化のトレーニングのつもりで始めたこのnote。ここ数日は書きたいことがないなぁ、インプットが足りないのかしら?と思っていたら、今日ふいに降りてきた。降りてきたという言い方は正しくないかもしれない。意外なところに答えがあったのを見つけた、というべきかな。 自分の頭の中の考えを「文章にする」ことに

          立夏の菖蒲湯

          立夏。気持ちのよいお天気に夏の始まりを感じる。衣替えも少しずつ。 つい先日リニューアルオープンした銭湯が近所にある。評判も良さそうなので、5月5日のこどもの日に菖蒲湯に浸かりに行った。端午の節句と菖蒲湯はセットだと思っていたけれど、もともとは邪気を祓うための漢方の湯治の一つだったらしい。 ばさぁっと束ねられた菖蒲は、残念ながらもう香りはほとんどしなかった。ゆらゆらと浮かぶのを横目で見ながら、子どもがすくすくと成長することを願う慣習に便乗して、自分も成長し続けたいと思いなが

          アーユルヴェーダ

          脈診の名医・サダナンダ先生のご子息、Dr. スクマールの健康診断ワークショップを受けてきた。起きてから水一滴も飲んではいけないというので、朝一番の回にして、6時前に家を出る。こんな早起きは久しぶり。 問診票を書いたあと移動して小さな部屋に入ると、お香の炊かれた煙がふわっと香る。奥ににっこりとやわらかな笑顔の先生が座っていて、向かいには日本語訳、消化器科の日本の医師、案内を担当してくれた方の3人を挟んで、先生の前に座った。 先生はまたニコっと笑い、わたしの左手の脈を3本の指

          アーユルヴェーダ

          茶の湯の世界

          表千家のお茶を習っている友人にご招待いただき、初めて正式なお茶会に参加してみた。 これまで「建築」として触れる機会はあった茶室を、実際に使う、体験するというとても貴重なひととき。 お着物を召された方々にご案内いただき、水打ちした飛び石を歩き、待合で腰掛けてその時間がくるのを庭を眺めながら待ち、躙口からズズズっとくぐって小間へ。 身支度を整えて、いざ広間へ向かうと、 そこで待っていたのは、思い描いてたような堅苦しさとは違い、心尽くされたおもてなしの空間だった。

          心の糧

          早朝は氏神さまにご挨拶、昼は東京ジャーミイの見学に行ってきた。これで夜に教会に行けば神さまをめぐる世界旅行になったかもしれない。 ジャーミイで解説をしてくれたおじさんは、熱くイスラムの世界を語ってくれた。長らく教会とつながり深く育ってきた身にとって、彼の言葉は牧師のようにも聞こえたし、実際に聖書と同じ言葉を使っていた。それが「心の糧」。『人はパンだけで生きることはできない』ということ。モスクや教会、神社やお寺などそれぞれの人が神さまとつながる場所で、それぞれ心の栄養を補給す

          フォーカスのその先に

          とりあえず。 続けることが大事なことのようなので思いついたことをつらつらと書いてみる。 ここしばらくは「好きなこと」にフォーカスしてきた。自分のまわりに好きなものや人に囲まれて気分よく過ごせるように。できるだけ笑顔でいたい。嫌なことがあったらすぐ忘れる術を身につけてきたと思う。 ところが、このnoteで見つけたのが、キライなものの理由を掘り下げてみるのもアリだということ。好きなものは直感的に、無条件に好きといえたらそれで良い。でも、嫌いなものの理由を知ろうとすることで、逆

          フォーカスのその先に

          はじめる

          自分の中にある思いや考えを書き出そうと思って、このnoteを登録してみたものの、踏み出せないうちにあっという間にひと月くらいたってしまった。 「まずはカタチから」の完璧主義になりがちな性分が見え隠れする。ステキだなぁ、読みやすいなぁと思う文章を書く人たちの真似っこしてみようと、言葉を収集もはじめてみるけど、彼らはモノ書きのプロ。おんなじようになりたいと思っても、最初からうまくできるわけない。 というわけで、ひとまず「書いてみる」ことから始めてみる。試行錯誤しながら自分らし