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世界はこうなんじゃないか?仮説1

〈仮説1〉存在するものは、みんな観測者

こどものころからずっと違和感があったのが、人類や生き物がこの世界にあらわれる前や、仮に今後滅びたとして、その後の世界において「見るもの」がいない、物質だけが存在するという宇宙観です。

ビリヤード玉が宇宙空間でカーン‥カーンと無機的にただぶつかり続けるような世界が無限に広がり永遠にただ存在する…そんなイメージを考え、怖くなったのを覚えています。

大人になり、あるとき、アイザック・ニュートンの著書「プリンキピア」を読んでいたら、〈自然には際限というものがないのである〉という一節を見つけました。そのときハッ!として自分の考えている宇宙観を見直してみました。この世界に「特別」を設定していることに気づいたからです。それは不自然に思えました。

このとき私は「人類」「生き物」「私という自我」をこの宇宙において特別なものであると考えていました。つまり特別な存在が現れる仕組みを考えていましたが、逆に特別という線引を取り払って考えた方が自然なのではないか!と思いました。

これまでは、私は自分を認識し、まわりを認識していることが物質と違う点だと考えてきました。しかし、すべての存在は根底において「自身とまわりを認識している」のではないか。そういう世界なんじゃないだろうか!

10年ほど前にこの仮説を立てて以来、そこから人や自然物、物質を観察しています。物理現象が複雑に作用して自我をつくるのではなく、自我から物質や物理法則ができていくのではないだろうか。そんなメカニズムを日々検討しています。全く持って独自の世界観ですが、世界すべてがワイワイしているように見えてきて、楽しいですよ。


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