努力と才能について
大塚愛のプラネタリウムという名曲にはまっている。才能があっていいなと思う。
同曲を7月(だったと思う)のミュージックステーションで彼女がうたったのだが、群を抜いていた。ファンクラブに入っている友人のお陰で日比谷野音のライブとピアノコンサートに行ったことがあるが、やはり上手だった。曲が作れる、ピアノができる、歌える。
に対して、こちらは。作れない、弾けない、歌えない、の三拍子揃っている。
ある人は、ほぼ全ての努力は無駄であると凄いことを言っていたが、努力を努力とも思わずに、好きでやってしまう才能の人がある。
自分は数学は苦手だけど、読書は好きなので。そちらに優位があるかなと思う。逆に読書が嫌いで計算とか数字で表現できる方面に才能を発揮する人がいる。
他の人が苦痛に思いながら努力してもたどり着けない境地に安安と到達できる人が存在する。
たとえば、誰とでもうまく人間関係を築ける人がいる。それも才能だ。
話がそれるけれども、ある人はクリエイターないし作り手にならないと幸福になれないとも言っていた。
ここで、1つ問題が生じる。
お金は少なくても好きなものを作って生活する。
生活は安定しているが、時に自分の意に沿わない苦労を継続するか、という命題である。
ビートたけし氏は、お父ちゃんだって会社で嫌なことや情けないことをして、家族を養っているんだよと(今の時代は、お母さんだったり娘、息子さんだったりするが)言っていたが。
今日リゾートに来ていて多くのご家族が笑顔で食事していて、様々な社会的苦労を積んできたんだなとしみじみ思ってしまった。
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