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Hiro/ベンチャー投資家 Rika/エンジニア KJ/プロモーター Shun/起業家 Yuko/ベンチャーコンサル Matsu/経営コンサル Taro/女性雑誌編集者

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最近の記事

ダブル村上 〜龍と春樹と、時々、中上健次〜【KJ's】

村上春樹と村上龍。 奇しくも同姓で同年代、でも、ことごとく対照的に語られることの多い2人の作家。「どっち派?」という下世話な文学トークになった場合、自前の調査ではほとんど意見が真っ二つに分かれる。両方バランス良く好きという人は希少ではなかろうか。 僕の周りでは龍派がやや優勢ではある。 それぞれの作品分析や批評をかますほどの力量は持ち合わせていないのだが、実は、僕は両方とも好きだ。しかも、半生を通してかなり影響を受けていると言っていい。 10〜20代は龍派 若かりし頃、つ

    • 転職前夜③「聴く成功哲学」×「冒険投資家」【Hiro’s】

      ■前の記事 https://note.com/strugglewithlove/n/n814e9e50c626 「経営者か投資家」に、、 それがインプットされたはいいものの、どうやったらそうなれるかイメージが湧かなかった。 地方の支店で遊ぶに出る先もなく、残業なしで帰れる日も多かったので、本屋にいって、関係しそうな本を買い込んだりした気もするけど、覚えてるのは「何を読んだか」でなくて、「何を聴いたか」だったりする。 Febeという「オーディオブック」のサイトから、気になる

      • 悩みがなくなる。常識を疑う『知的複眼思考法』との出会い【Taro's】

        『知的複眼思考法』との出会いは神保町の本屋だった。この本が自分の運命を変えることになるなんて、平積みされたその本を見た時には思いも寄らなかった。常識を疑い、自分の頭で世の中の事象を捉え直す。そんなことをこの本は教えてくれた。 早稲田大学第一文学部の試験前日 その日、僕は新幹線で大学受験のために東京へ向かった。お昼過ぎに東京に到着すると、ホテルに荷物を置き神保町へ。 明日は人生最後の大学受験の日だったが、E判定の大学に受かるとは思わず、気分はかなりの諦めモードだった。

        • 物との向き合い方~私に一番影響を与えた本~【Rika's】

          (あらすじ) 全然物が捨てられなかった子どもが大人になってから捨てまくる人になったけど、そんな捨てまくる人が15年以上も捨てずに手元に置いてある本を紹介するよ。 何も捨てられない子ども→捨てまくる大人へ お誕生日会でもらったプレゼントのリボンも、お菓子のおまけで付いてきた小さなおもちゃも、すべて取っておく子どもだった。勉強机の引き出しにお菓子の空箱を使って作ったトレイで仕切ってきっちり整理していて、どこに何をしまったのかもほぼ完璧に把握していた。物にはすべて心があって、捨

          転職前夜② 目を凝らし目指す世界を見始めた頃【Hiro‘s】

          【前回の記事】 入社3年目を迎えた春。全国に飛び散っている同期が、1泊2日の「組合研修」のために舞浜駅のホテルに集められた。記憶は定かじゃないが、”業務”じゃないため、有給休暇を消化してだった気がする。 労働組合の活動や存在に全く共感も興味も持っていない僕にとって、この研修は控えめに言って存在意義がわからなかった。 ドコモでは水曜日は「ノー残業デー」になっていて、夜残って仕事ができない。他の曜日も、労組が目を光らせ、残業は推奨されない雰囲気が漂っていた。 組合活動の成果

          転職前夜② 目を凝らし目指す世界を見始めた頃【Hiro‘s】

          【Hiro's 】転職前夜① 新人時代の本

          【前の記事】 https://note.com/strugglewithlove/n/n434f226c3078 2000年代初頭のドコモは、iモードでモバイルインターネットで世界最先端を行き、ビジネス誌で何度も特集が組まれるなど、イノベーティブな会社というイメージが浸透していたように思う。 そういう先進的な取組をしていることは紛れもない事実で、僕もそういう仕事を手掛けれるようになりたいと思いながら、新卒時代を過ごしていた。一方で、ドコモのビジネスの土台、基礎にあるのは「

          【Hiro's 】転職前夜① 新人時代の本

          忘れられない初恋。忘れる必要のない思い出【Taro's】

          Subject:Taro 初恋の人が忘れられない。今でも好きだとか、そういう話しではなく。僕には時折思い出す人がいる。その人と何か特別なことが起きたわけでも、交際に発展したわけでもないんだけど、青春の思い出として残っている。 幼稚園や小学校の低学年でも好きな女のコはいたと思うが、初恋とは違って一緒にいて楽しかったとか、そんな感じだったんだと思う。そういった「好き」とは違う「心を射貫くような最初の恋」について書いてみようと思う。 小5の時の歓迎遠足僕の通っていた小学校は2

          忘れられない初恋。忘れる必要のない思い出【Taro's】

          昭和63年、僕は「遊び場」作りに夢中になった【Taro's Subject】

           小学校低学年のころ僕は「新しい遊びを生み出す」のが得意だった。もちろん、斬新で誰も見たことのないような遊びを生み出すわけではない。鬼ごっこの進化版だったり、テレビで見たものを子供の遊びに応用しただけだ。それでも新しい遊びを考え出すと、それにどんどん人が参加して多くなっていく。クラスで勉強ができるわけでも、スポーツが得意なわけでも、ガキ大将でもない僕が、昼休みの時間だけちょっぴり目立てるのが嬉しかった。  きっかけは1988年のカルガリーオリンピックのスキージャンプで大活躍

          昭和63年、僕は「遊び場」作りに夢中になった【Taro's Subject】

          お金について③【Hiro's Subject】

          (前の記事) お金について② https://note.com/strugglewithlove/n/nad6bc60446d1 ■ 前の記事で「儲けることの後ろめたさ」について触れつつも、その原因については触れなかった。今回は、なぜそれを持つようになるのか、について、自分も巻き込みながら、少し考察してみる。 僕らは普通、商品とお金を交換する取引のことを「商売」と呼んでいる 商売を構成しているのはざっくり次の3つだろう 1、商品(提供されるもの)  →モノ・サービス

          お金について③【Hiro's Subject】

          初めての転職【Hiro's Subject】

          社会人になって3年が経ち、4年目を迎えた2006年の6月、僕はリクルートエージェント(当時はリクルートエイブリック、以下、いずれも"RA”)でSier企業向けに人材紹介の営業職に就いていた。オフィスは虎ノ門の霞が関ビル。銀座線で一本で行けることから、台東区の三ノ輪駅近くに一人暮らしを始めた。念願の東京での一人暮らし。RAには結果的に1年しか在籍しないことになったが、僕の社会人人生を振り返って、純粋に一番楽しい時期の一つだった。実は、まともに電車通勤をしたのもの、社会人生活20

          初めての転職【Hiro's Subject】

          バスケットボール・ダイアリーズ in 川崎【KJ's Subject】

          これは一人の少年の蹉跌の話である。 かといって、バスケ少年が「川崎」のパブリックイメージよろしく非行に走り、少年院送りになって社会からドロップアウトしたとか、全国大会出場を賭けた決勝戦でラスト1本のシュートを外して1点差で負けたとか、そんな「絵」になる話ではない。 顧問とソリが合わなくてレギュラーを外されたまま部活を辞めるでもなく不貞腐れて過ごしました、という同世代の100万人くらいが経験していそうな、取るに足らないダサい話である。 それでも、このありふれた思い出について

          バスケットボール・ダイアリーズ in 川崎【KJ's Subject】

          底辺高校からの早稲田受験【Taro's Subject】

          高校生のころ僕は学校の授業は耳だけ参加して、頭と手元は自習を行うというヘンテコな勉強スタイルだった。残念ながら県内でも下から数えて5本の指に入る学校の授業は大学受験には向いてなかったし、高3の一学期の英語は1年と2年の英語の復習から入るという僕にとってはお粗末なものだった。 とはいえ、体育会系の厳しい学校でもあったので、授業を完全に無視するわけにもいかず、そこで苦肉の策で考え出したのが耳は授業に参加して質問されたら答える。 ただ、基本的には学校の授業はサブで、志望校に合った

          底辺高校からの早稲田受験【Taro's Subject】

          老いについて思う–父のこと④【Rika's Subject】

          (老いについて思う–父のこと③の続き) そして母と同じく父に対しても交錯する 微毒な親 では、母に対する「定まらない感情」を書いた。 父に対しては、違う意味での「定まらない感情」がある。 1日も早く死んで欲しい。 以前、ある運命鑑定の人に「父上は77歳ごろに亡くなる」と言われたことがある。それを言われた時は「ああ、そうだろうな」と思った。「失礼な!」とは微塵も思わなかった。 77歳までのカウントダウンをして心待ちにしている自分もいる。 父じゃない父はもう目の前からいな

          老いについて思う–父のこと④【Rika's Subject】

          老いについて思う–父のこと③【Rika's Subject】

          (老いについて思う–父のこと②の続き) 元気なシニアと比べてしまう 一時期、元気なシニアを見るのが趣味だった時期がある。 90歳日本最高齢フィットネスインストラクターの瀧島未香(タキミカ)さん、88歳の現役料理研究家の小林まさるさん、90歳の今も板場に立っている道場六三郎さんなどをYouTubeでよく見ていた。 今夏私は布施明さんのコンサートを観に行った。 布施さんは父と同い年である。 最後列の席だったが、布施さんの眩しい笑顔と白く輝く歯が印象的だった。歌声はもちろん衰

          老いについて思う–父のこと③【Rika's Subject】

          老いについて思う–父のこと②【Rika's Subject】

          それはそれ、これはこれ 老いについて思う–父のこと①で、自分の親をボロクソに言った。 「介護は育ててもらった恩を返す番」というのも聞いたことがある。 わかる。わかる。わかるんだ…。 家族のためにせっせと働いてくれて、不自由の無い生活をさせてもらった。 小学生から習い事もたくさんしていたし、高校までは公立だったけど、大学は私立に行かせてもらった。 幼い頃は、「いつも怒るお母さんよりお父さんが好き!」と言っていた。 日曜大工でシルバニアファミリーの家を作ってもらった。 絵

          老いについて思う–父のこと②【Rika's Subject】

          老いについて思う–父のこと①【Rika's Subject】

          現在の父 父は今74歳だ。 今年、いよいよ正真正銘の認知症患者となった。 私と兄は既に実家を出ているので、母が1人で面倒を見ている。父は2年程前から単語が出て来なくなって、スムーズな会話が困難になっていた。私たち母子は「歳のせいだろう」と呑気に構えていた。 そこにコロナだ。父の数少ない趣味だった月1回のバス旅行と、アマチュアオーケストラのコンサート巡りが全くできなくなった。その頃から、失禁をするようになったり、足元がおぼつかなくなってきてスムーズに立ち上がることができな

          老いについて思う–父のこと①【Rika's Subject】