老いについて思う–父のこと①【Rika's Subject】
現在の父
父は今74歳だ。
今年、いよいよ正真正銘の認知症患者となった。
私と兄は既に実家を出ているので、母が1人で面倒を見ている。父は2年程前から単語が出て来なくなって、スムーズな会話が困難になっていた。私たち母子は「歳のせいだろう」と呑気に構えていた。
そこにコロナだ。父の数少ない趣味だった月1回のバス旅行と、アマチュアオーケストラのコンサート巡りが全くできなくなった。その頃から、失禁をするようになったり、足元がおぼつかなくなってきてスムーズに立ち上がることができなくなっていった。
父を半ば騙して”物忘れ外来”に連れて行き、“健康調査”と偽って介護認定を受けさせ、晴れて父は要介護1となった。
(※「認知症患者を騙すことはよくない。正直に話して納得してもらうように」という意見もよく見かけるが、何はともあれ介護認定を受けないと介護サービスを受けられないので苦肉の策である)
最近は、2時間近く玄関の鍵の開け締めを繰り返したり、真夜中に好物の寿司を買いに行くと言い出して暴れたり、日に何度も外を歩きたがったり、母が目を離した隙に1人でスーパーに行ってカゴだけ持ち帰ってきたり…順調である。
たまにイライラして母に手を上げたりもしているそうだ。母には、手が付けられなくなった時は警察に通報して、あとはもうなるべく早く施設にお世話になろうと伝えている。
私から見た父は、体は老人のまま3歳児並みの知能に戻り、父らしい人格はほとんど失い、毎日ほぼ本能だけで生きているモンスターである。
父に対する思い
そんな父を見るといつも思う。
その人らしさを失っても生きる意味はあるのだろうか、と。
死ぬにはまだ早い。生活する上でいろいろと補助が必要だが、補助さえあれば生きてはいける。でも日々の楽しみも無く、これといった趣味もない。旅行もコンサートも、今の父の状態だと厳しい。
父の発する言葉はほぼワンセンテンスだ。「あれがこうなって、こうだから、そうなった」みたいな筋道を立てた会話はできない。そもそも明瞭に言葉を発することができないので、父が何を言っているのか聞き取れないから、父とはコミュニケーションが成立しない。そうなると父ももどかしいようで口調が荒くなってくる。思い通りにならないと最悪、暴れたり手を上げる。
こんな老人とコミュニケーションを取りたいなんて人はいるんだろうか。
介護の本には、「根気強く理解しようとすることが大事。一番辛いのは思い通りにならない患者本人なのですから」などと書いてある。
たまに会うだけの私でさえかなりイライラするし、やり切れなくなるのに、もっと広い心を持てと言われても無理だなぁと思う。
私は勉強のために認知症や介護に関する本を何冊も買って読み、母にも読んでもらった。
でも、それらを読み終えた母娘共通の感想は「それは綺麗事よね」だった。ふんわりと「そうであったらいいなぁ」「これは気が向いたらやってみようかな」くらいは思うが、なかなか本の通りにはいかないのは育児と同じなんだろうと思う。
(老いについて思う–父のこと②に続く)
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