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ああ霜月の少し空気が冷えて、家の中までにも「ため息のような白く淡い息」を感じるようになった季節。霜月

何故わたしがnoteでこの物語を書こうと思ったのか?

私は「image×文字」を私らしい観点で「自分らしい作り手」として表現したかったからです。その主張ともいえる今回の「モノガタリ」は1枚の月夜のimageから始まりました。

Canva最強伝説でつくる私の物語

「見上げた月夜がいとものさびしくて」
見上げたそらはいつものように「神無月・長月」と「すました顔」で其処に在り、変わらず静寂のキャンバスの中

「お前には関係のない事さ」

澄んだ空の上で輝いてる。
「僕」はまるで、追いかけるように、追い抜くように、もどかしくて懐かしくて、忘れてはいけない

「思慕の想い」に捕まってしまう。

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「俺」は若かりしとき、そこそこ「裕福と言える」生家に生まれ、生まれた時から病弱で「寝床」を終の棲家のように「行ったり来たり」していた。食事すらも「ひとり」ではままならない「自分であって誰かほかの身体」のような幼少期。

生家のふた親は、温和で誠実「勤勉であり、真面目。子供なりにその人柄を、押さえつけられるのではなく、素直に受け入れて入れ尊敬さえしていた。」よく係りつけの「医者」に「君のご両親はよい人だ。君の身を案じて治療を続けていくことは、並み大抵の事ではない・・・君はしあわせ者だよ、果報者だ。」と消毒液の匂いとその医者の「医者らしからぬ、すこし淀んだ煙草の匂いが染みついた白衣」に囲まれて、聞かされていたものだ。

そんな「僕」にはまるで「元気の申し子」とも言わんばかりの、二つ上の兄がいた。「僕」はあんまり「外」に出ることもなく小さい時から「終の棲家のような寝床」から、兄の遊びまわる声を「嫌と言うほど聞かされて育った」せいか「兄」が苦手だった。

苦手ということは「嫌い」なわけじゃない「大嫌い」と言うわけでもない。そんな風に良く自問自答してた「僕」。

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ただあんまし「元気よく走り回る兄の言動」がなんとなく寝床で、天井の漆の塗り剥がれの数を数えたり、持て余した時間を、「疲れて熱を出すから」と禁じられていた「物書きの本」や「兄の使い古しの絵本」を眺めるしかない「僕」にとっては、こみ上げてくる羨ましさと、なんだかもやーっとする、口惜しさでいっぱいだったのだ。

幾つもの・・・・ただ曖昧な「月夜」が終の棲家となりつつあった、僕の真上の空を通り過ぎた。

温和で誠実なふた親の願いの「養生・治療」おかげなのか

奇跡的に「僕」はひとりで食事を摂ることが出来るようになった。

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もちろん「終の棲家」となっていた寝床からも、「僕」は離れることが出来たんだ。

自分であって他人のような身体は自然に「僕」の身体になっていった。一人で動けるという事が「こんなにも自分の心身」を羽ばたく翼のように自由にさせるものなのか?僕は有頂天と言う感覚を初めて知った。

しかし僕の初めて感覚とは「裏腹」に僕は思ったより、そう・・・・・。「逃げ出したいくらい」本当に想像以上に、大人になっていた。終の棲家となった寝床や天井の情景から解放された「僕」は

大人である現実と今度は向き合わなければならなかった。

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二つ上の兄は「僕」が「羽ばたく翼」を手に入れた時、生家にはいなかった。そういえば、あいまいで朧げな月夜が追い越すように通り過ぎた、何度目か「覚えていたはずなのに忘れかけてた日常の中」の霜月の寒い「月夜」にその兄が僕の寝床にやって来たんだ。
「ちゃんと生きろよ」「俺がちゃんと生かしてやる」と少し酒臭い顔で「僕」を見つめていて、その頃から「僕」は兄の声を聴かなくなる。

なんで忘れてたんだろう・・・。

あの月夜の淡く差し込む銀色の光の陰で、二つ上の「兄」の姿を、「僕」が処方された薬で瞼が重く圧し掛かり、真っ暗な深淵の中へ、吸い込まれるように「眠り」に就くまで「僕」は感じていたんだ。
そうだね随分と時間だけが過ぎていった。

  ・・・・・・しばらくして「兄」眠りに就いた。「僕」ではなく「兄」は本当に眠ってしまったのだ。兄は死んだ。もういないんだ。

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「俺」は本当の真実をいくつか知らされた。

二つ上の「兄」、「元気の申し子」であった「兄」が「力仕事至上主義」の過酷な労働環境の鉱山で「俺」の「いのち」のために「出稼ぎ」に出ていたことを、過酷な労働環境で「少しばかりの酒」を飲むほかは、無理をして、自分を押し殺して「俺」の生家に仕送りしていたこと。

温和で、誠実・真面目であった「俺」のふた親が「その真面目過ぎる温和な人柄で」高額な「俺」の治療費やその薬代を支払い続けるために「そこそこ裕福だった家」の財産をつぎ込んで、わずかばかりの財産で年老いたこと。

「血のつながり」の家族が、ただ曖昧な月夜の空を「口惜しく眺めていた」だけの「俺」を生かすために「苦しんでいた」ことを。俺は知ったんだ。

現実の「生」とは、かくも

「抗う事もできないような情景」なのか?

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けれど、「抗う事もできない今の現実」の記憶の中で
あの銀色の月夜の陰のほとりで「僕」の顔を包んだのは「誰の手」だったのだろうか?

父か?母か?「兄」か?

いや、父でもあり、母でもあり、「兄」でもあった。「俺」の家族は、終の棲家のようになった「俺」の寝床のそばに座っては、俺の顔を温めてくれていたのだ。真っ青な「僕」の顔を見つめながら。

「俺」は思い出していた。

わざと「僕」に見えないように、ため息のように白く吐く息さえも「見えない」ように、あの霜月の「月夜」の銀色に輝く光の中、窓辺の陰の中で「僕」の大切な人達は「俺」を支え続けてくれたんだ。

そして、そのつながりは、今は、すべて「俺」のそばからいなくなってしまった。否応なしに月日は流れ、もういい歳になった。少し年老いたよ

はたから見れば「中年より少し上」あんまり気にしない「俺」の顔に太々しく伸びたヒゲの中にも白髪が混じる。・・・・実は好きな娘(こ)がいるんだ。初老とまではいかないが、自由に羽ばたく翼を手に入れてから、「俺」なりに頑張った。知人や友人も作ることが出来た。

「そこそこ裕福だった家」も、あの月夜が差し込む「離れの東屋(あずまや)」以外は売り払った。贅沢はさせてやれないかもしれないが「兄」の代わりに「恋」をしよう。思いっきり愛を告げよう。

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そして「血のつながり」の家族を作るんだ。そして「僕」は「俺」になり
そしてやさしい「私」になって 自分の両手で、家族を支え包みこむのだ。








いかがでしたか?
noteは何気なーく「近寄ってきて」私に「表現するやさしさ」を与えてくれました。そのつくる楽しさ&知識を見直す「引力」も素晴らしい

まさにリカレント(学び直し)の宝庫です

これからも「私だけ表現するの引力」に何気なーく
近寄ってみてくださいね」そして「皆さんが惹かれるモノ
その瞬間や、それらの感性
もっとたくさん

「絵書き」としてお伝え続けて、たくさんの「素敵な瞬間の贈り物」
が出来ればなぁ・・・。

50代は願います。

今回の《霜月慕情》の創作の舞台の裏側・初めて「私小説」に向き合った過程。物語の挿絵の制作秘話などをまとめています
是非読んでみてください。
霜月慕情=募る想いをimageや画像にまとめました。👆
#やさしさにふれて

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