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うつになってしまった②【自分のこと#7】

30代前半にうつと診断され、現在50代。
40代入ったあたりから、一応無事に生きている高校教員です。
「自分のこと」を、たまにお話しさせていただきます。お時間あればお付き合いください。



前回は、とうとう、うつと診断されてしまったというお話をさせていただきました。


私の行った病院は、心療内科とカウンセリングが併設されていました。

そこでは、カウンセリングのあと、心療内科に行き、症状を伝えて薬を処方してもらう流れでした。

その症状を伝えている時なんですが、私を担当された先生が、いつも、あまりこちらを向かず、淡々と聴くといった感じで「本当に自分の言っていることを理解しているのかな」と思わされました。

今思うと、私が自分の症状を適切な言葉で伝えれば良かったのだと思います。
でも、当時の私には難しかったです。

それでも、話を聴くのに時間をかけてくださればまだ良かったのですが、いつも2〜3分で診療は終了。処方箋を出されて薬局で薬をもらい帰宅する、というパターンが続いていました。

経験がないので「こんなものなのか」と思いつつ、受け入れてはいました。

しかし、徐々に薬の副作用などが出てきました。
一番大きかったのは、とりあえず以下の2つです。

①急激に太る
②喉が渇く

①は、本当に困りました。普通、うつの時は拒食になるそうなんですが、私は食べていました。それくらいしか楽しみがなかったと記憶しています。ただ副作用で体重が最大20キロほど増えました。

体が重くなると、全ての動きが遅くなり、自分がイメージする動きができない。そしてしばらくして、体の重さが腰や膝に負担をかけ始め痛みを感じるようになりました。あと、お腹も出てきて、例えば、靴下が履きにくくなるなんてことも出てきました。些細なことでも、いろんな変化を感じる度に、情け無さから、涙が溢れることもありました。

ちなみに、普段、仕事ではスーツを着なければいけないんですが、持っていたスーツがことごとく着られなくなりました。ワイシャツも含め、買い替えを迫られ、何げに大きな出費となりました。

②は、授業をする人間にとってはかなりの死活問題でした。塾の先生なら大丈夫だったかもしれませんが、学校だと授業中、水分を摂りながら話をするのは生徒の手前できず、声をからしながら授業をしたのをよく覚えています。喉の奥や口の中が糊で張り付くような感じです。普通にできていたことが出来なくなり、これまた涙が出てくることの一つでした。


そんな様々な症状を、心療内科の先生に訴えてみました。

しかし当時の先生は、こう言ったのです。


「仕方ないね」



何故か怒る力も出ず、受け入れていました。
確かに、その通りなんです。
もう、自分は、こんな副作用や症状とともに生きて行くしかないんだ、死ぬまでずっとこうなんだという気持ちが、私の日々の生活を支配していきました。

副作用ではありませんが、以下のようなことも増えました。

③悪夢を見て、夜中、目が覚めて騒ぐ
④朝、全く起きられない

③は、私はよく覚えておらず、妻から聞いたのですが、たまにあったようです。
④は、うつの方には多いことだと思います。例に漏れず、私もそうでした。仕事に行く日、とにかく朝は地獄でした。

それでも起きて、這うように職場に時間ギリギリに到着する。仕事=出勤、レベルでした。職場では一日中、ボーっとする時間が多く、周りで何が起きているかも、よくわからず過ごしていました。毎日、夕焼け空の下にいるような切ない雰囲気の中、気をつけないと涙が出てしまう瞬間も、数え切れないくらいありました。

周りには、長時間労働・重労働で苦しんでいる先生達もいる。自分はたいして働けず周りに迷惑をかけまくっている。本当に情け無くて情け無くて、どうしようもなかったです。


もう、本当に生きている価値がない。

これまでの「自分のこと」でもお話しました通り、もともと「自分の無い」人間です。

「自分」があれば、こんなことにならなかったかもしれないと、いろんな過去を後悔しました。恨みもしました。そんな人間に明るい未来なんて無い。自分の居場所を自分で捨ててこうなった責任は自分にある。


一方で、死ぬ勇気や力も無い。


そう思うことは、自分の情け無さをさらに加速させました。



そんな中、私を救ってくださったのが、カウンセラーの方だったのです。


次回は、カウンセラーさんとの話をさせていただけたらと思っています。


最後までお読みいただきありがとうございました。

メンタル不調になると、実にいろんな症状にさいなまれます。まずは具体的に、お話しいただければ幸いです。是非、ご相談ください。
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