074 「逃げること」と「逃げ路があること」は違う
逃げ路があるかないかということは天が考えることだ。おれたちは、とにかく逃げることだけに専念すればいい。
仕事でどうしようもなくなれば、逃げるしかないですよね。
うつ病と診断された時、私は、学校の現場から「逃げ」ました。
周りの先生は「逃げた」と思っているかどうか、わかりません。
ただ当時、私は「自分は逃げたんだ」と思ったのです。というか、思いたかった。
その方が、「逃げてない」とか「ちょっと休むんだ」とか「こんなこともあるさ」とか、目の前の問題を曖昧にするよりも、問題解決に近づくような気がしたのです。
自分は逃げたと思うことで、ある意味、敗北を認める。つまり、そうすることで、自分の何がダメだったのか、はっきりするような気がしたのです。
今思うと、私には、それは正解でした。
例えば誰かが用意してくれた「逃げ路」があって逃げていたら、たぶん良くはならなかった気がします。
とりあえず逃げてきたことで初めて、色んな逃げ路が見えてくる。誰かが用意した逃げ路は、きっとまたメンタル不調の原因になるかもしれない。
逃げるってことだって、他人に逃げろと言われて逃げるのではなく、自分で逃げることを選ぶ、のが大切なんでしょうね。
逃げることを自分で選べば、長い目で見ると、それはプラスに働くと思います。
まあ、あくまでも一つの考え方ですが……。
司馬遼太郎『龍馬がゆく』のコトバ。
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