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小説は現実を模倣し、その逆もまたしかり:攻殻機動隊

定期的に見たくなるアニメがある。
その内の一つである、攻殻機動隊を現在また見ている。
良作アニメと名高いのは知っていたが、見るに至ったのは大学3年のアメリカ留学中だった。
短い冬休み中、寮から締め出され、Airbnbで見つけたD.C.の家に転がり込み、やる事もなくネットサーフィンをしていたところ、そういえばと思い出したのだ。

人々の脳は電脳化が主流になり、脳内のマイクロマシンで高度なネットワークへ接続できるようになった世界。
体の一部を義体化したり、生身の体を捨て去り、完全サイボーグ化しているような人間もいる世界。

そういった、人々が複雑にネットワーク上で絡み合い、生物的存在の幅を拡張したSFの世界観がある傍ら、現代と何ら変わらないリアルの社会構造が機能しているあたりが、視聴者も見ていて入りやすいのかもしれない。

基本的に1話完結に近い形を取ってはいるものの、物語は総監暗殺予告事件という大枠の表層から、緩やかに、けれど深く、コアにある「笑い男事件」の真相へと沈んでいく。

サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」も短編集に収められている「笑い男」もわたしは読んだことがない。いや、ライ麦畑は数ページ読んだことはあるものの、挫折したというのが正しい。
だから多分、これらを読んだらまた異なる視線からこのTVシリーズを見れるのだろうとは思っている。

サリンジャーの他に、丸山ワクチンをモデルとした話も出てくる。これが後の物語のキーともなる。
母と見るまで、わたしは作中に出てくる「村井ワクチン」のモデルが存在し、それが丸山ワクチンであるという事を知らなかった。
丸山ワクチンとは、1944年に丸山氏が開発した癌に対する薬である。しかし「抗悪性腫瘍薬」としては承認されておらず、医薬品ではなくあくまで治験薬(有償)止まりのまま現在に至っている。
しかし母の知識の広さには脱帽である。

丸山ワクチンを題材にした村井ワクチンも、作中では癌ではないが、癌と似たような立ち位置の「電脳硬化症」に効くとされていた。そして様々な思惑が入り込み、村井ワクチンは医薬品として認可はされず、一部の上流階級の人間のみが摂取していたという現状だった。

この「思惑」というのが政治的でもあり沽券でもあり、1つの現状をより複雑にしていた。そういった作りこみのところが、現実社会でもありそうな事件なために、更に現実味と深みが出てきて面白い。

またこのシリーズはダブルキャストが多々ある。
トグサ役の山ちゃんが笑い男のオリジナルとされるアオイ君の声を担当していたり、バトー役の明夫さんが交番に来たおじいさんや老人ホームでタチコマに弾薬をわたす老人の役をしていたりする。

ダブルキャストに深い意味があったのかは分からないけれど、正義感強く青臭いトグサと、笑い男事件当時は正義感強いヒーローのような思いを抱いていたアオイ君の声が同じなのには何か意図を感じてしまう。
明夫さんも、タチコマ繋がりでのダブルキャストなわけだし。

舞台は確か2019年前後だった。
攻殻機動隊の世界と現在とでは、まだまだネットワークの発達くらいしか近しいものはないのかもしれない。けれどそれでも、ネットを介した人々の在り方は、どこか現代に通ずるものが見える。
ネットを通じて「個」が並列化した先にあるもの。
タチコマのように、並列から生じる「個」と思しきものたち。
SNSの発達でわたし達は、気が付いたら並列化している。個々の経験を共有しあい、憧れを模倣しようとする。

トグサ君は、アオイ君がオリジナルだからこそ、サリンジャーの一節を書き換えることが出来たのだと推測している。
わたし達はどうなのだろうか。
SNSで得た膨大な情報を断片的に蓄積していき、量産されたコピーたちは、そこからオリジナルになれるのだろうか。それとも、結果的にオリジナル無きコピーの群れと化してしまうのだろうか。

「どこかで見た」から脱却する術は、広大なネットの「どこか」にあるのだろうか。

おしまい

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