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異文化理解: 空気を読む日本人と言わないとやらない異国の人

日本人同士でも衝突する意見の相違。
最近言われる日本人の"同調圧力"や"協調性"はコロナ禍で良くも悪くも議論の対象となっている。
事、ビジネスにおいてはこの文化的落差を利用して技術移転を狙う時に問題が多々発生する。
私が経験した海外に丸ごと仕事を投げて技術やノウハウを吸収するビジネスは、実行部隊が丸々海外だからコントロールが難しい。
逆にそれが出来ないからニーズもあり、人という "個" で雇うのでは無く "業務委託" としてゴソっと社内に技術やノウハウを取り込みたい時に使われる。
カスタムメイドだから作る際の当事者はコミュニケーションに苦労して創り上げる。

数年前から日本の技術者の海外流出などと叫ばれたこともあるが、 "個" が持つノウハウは限定的であり、ここでそれを語ることはしない。

空気を読む日本人
まわりの様子を伺いながら発言しようか迷ったことはないだろうか?
多分、様子を伺った時点で空気を読む習慣がついている。
何故だ?

環境が最も大きく寄与していると私は考える。
研究者でもないので深く考えず、仕事を進めることが先だ。

空気を読む=想像する=相手の立場に立つ=先回りして考える
こんな感じなのが大半でそれに加えて他社と異なることが個性として尊重されない場合に人の動きは日本人ならどう動くか容易に想像がつく。

とても大切なスキルだし、日本人の良さだと思ってもよい。
これに慣れるととても心地が良いのも分かるが、海外とのビジネスでははっきり頭を変えよう。

主張する異国の人々
日本人以外全てがそうだとは思わないが心に留めておくことは良いことだ。
意思疎通を図る中で直感的な応答を行う傾向が多いので、私は自分の聞きたい事に導く様にYES, NOで話を持って行く。
とても面倒だが、基本はこのスタンスだ。
それ言わなかったじゃないか、なんて事は海外ではざらにあるし、それを見越して言わずにほって置くとズケズケと言いたい放題言われて爆発してしまう時もある。
こう言ってしまうとなんだかとっても面倒な人達だから特にビジネスでは絡みたくないよねって思う時もある。
問題はこうやって日本だけ孤立してしまったことが過去に多々あった。結果としてビジネスの蚊帳の外に立たされてしまったケースをご存じだろう。(白物家電は海外勢にやられている。)
国内だけを見ていると、着々と物事を進める日本の活動に対し、飛び道具を投げあっている海外の動向と比較して見てしまう私は悩むことが多い。本当にこれで良いのかと。

コミュニケーションの面白さ
異国の人から、私に何か伝えたい事がある場合は、一生懸命言い換えをしながら英語で話し掛けてくれる。(とてもありがたいし、頑張って理解しようと思う)
でも、私も変に察してしまうのかあらぬ方向へ話が飛ぶこともある。

まぁ、こうやって日々訓練と勉強をしていく中で受け入れる必要があるのだと思う。
ただし、こちらが要求する事があれば念には念を入れても漏れることがあるものだと思った方が良い。

相性があると言ってしまえばそれまでだが、国によって相性が良いところもあるし人によるところもある。個人的な信頼関係の構築が一番大きな要素だと私は感じる場合が多いし、意思疎通を出来るようになると何だか楽しくなる事もある。何より日本の中で個を尊重する事を受け入れるキャパシティが大きくなるのもメリットである。

小さな意思疎通を怠った、プロジェクト崩壊事件
「私の仕事じゃない」
とある会議で数か月の開発成果を日本の顧客にプレゼンする海外の同僚。仲間も自信に満ちて堂々と説明する。(かっこいい異国のプレゼンター...)
一通り、説明を終え"我々は日本のやり方を学習し実行出来た"と胸を張った彼らだが、顧客から思いもよらぬ方向からの突っ込みにたじろいでしまい放ってしまった一言。
「I'm not responsible on this topic!」
私は頭を抱え、やってしまったとうなだれる、顧客は細かい部分を指摘し"まだまだ詰めが甘いなと"してやったりの一方、これでは完全な技術移転は無理ではないかという"落胆"が見えた。
この言葉から発せられる主語をどうとらえるかがとても良い教訓として私の糧になっている。異国の人は"I"を使い"We"ではない。Weであったとしても当人が責任を負っていると、いとも簡単に言ってのけるのである。
日系企業なら事前に合意形成もしないで会社間でこの発言は出るはずがない。

多様性を認める社会に変わりつつある日本
今の日本は多様性を認め合うことを尊重している方向に向かっている。これ事態は私はとても良いことであると感じている。
ただし、今は過渡期であり、時代の変化に「追いつく人」と「追いつけない人」と「追いつく気が無い人」が居て物事が進まなくなる事が多くなることも心しておきたい。
時代は常に変わっているのだが、このコロナ禍で揺り戻しの部分も出ている。

個を尊重する事と全体的体制からの同調をどう捉えるかは過去から学ぶべきものが多いのではないだろうか。
なぜ世界中で争いが止まないのか?資本主義の負の側面とどう向き合うのか?
これからを生き抜くビジネスパーソンは歴史から学ぶ事も出来るだろう。

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