短編小説 「300円」
六月の蒸し暑い夕方、僕は財布の中に300円だけを残して近所の商店街を歩いていた。会社員として働いているが、最近は何かと出費がかさんで金欠気味だ。
財布の中で300円がジャラジャラと音を立てる。これが今日の僕のすべてだ。どこかで節約しつつ、少しでも楽しみを見つけたいと思いながら、商店街の露店を覗き込む。色とりどりの野菜や果物、雑貨やお菓子が所狭しと並べられている。
「何か安くていいものはないかな……」僕は独り言を呟きながら、歩き続ける。ふと、目に留まったのは古びた小さな駄菓子屋だ。子供の頃に通った懐かしい雰囲気が漂う。
「駄菓子なら300円でいろいろ買えるかもな」そう思い、駄菓子屋ののれんをくぐった。店内は時間が止まったかのように昭和の香りがする。色褪せたポスターや昔ながらの玩具が壁にかけられていて、何とも言えない温かみを感じた。
「いらっしゃい」カウンターの奥から、初老の店主が顔を出した。彼のしわくちゃな笑顔が、僕を迎えてくれる。
「300円で何か楽しめるものってありますか?」と尋ねると、店主は少し考えた後、指を鳴らして「これだ」と一言。
カウンターの下から小さな箱を取り出し、そこには色とりどりの駄菓子が詰め込まれていた。「これなら300円でたっぷり楽しめるよ」と店主が言うと、僕はその箱をじっくりと見つめた。
「これ全部で300円ですか?」驚いて尋ねると、店主はにっこり笑って「そう、特別なセットだよ」と言った。
僕は300円でこんなにもたくさんの駄菓子が手に入ることに感激しながら、そのセットを手に取り、レジに向かった。店主は箱を紙袋に包んで渡してくれた。
「ありがとう。また来てね」その言葉を背に、僕は店を出た。袋を握りしめながら、まるで子供の頃に戻ったような気持ちで商店街を歩く。駄菓子の袋が膨らんでいる様子が嬉しくて、心が少し軽くなった。
家に帰る途中、公園のベンチに腰掛け、袋の中を改めて見てみる。チョコレートやラムネ、グミ、懐かしい飴がたくさん詰まっている。その一つ一つを手に取って、じっくりと味わう。こんなに少ないお金でも、これだけの楽しみが得られるのだと感じる。
「300円でこんなにも満足できるなんて」僕は一つ一つの駄菓子を味わいながら、そう呟いた。子供の頃の思い出が蘇り、ほのかな幸せが胸に広がる。駄菓子一つ一つが、かつての楽しかった日々を思い出させてくれる。
公園の周りでは、子供たちが遊んでいる。彼らの笑い声が響き渡り、風が緩やかに吹き抜けていく。僕は駄菓子を食べながら、その光景を静かに眺めていた。
「今日はいい日だな」少しだけポジティブな気持ちが湧いてくる。お金がなくても、ちょっとしたことで心が豊かになることもあるんだ。駄菓子の甘さが、そんなことを教えてくれたような気がした。
家に帰ると、袋の中から取り出した駄菓子をテーブルに並べ、もう一度その色鮮やかな光景を眺めた。これから先、どんなに忙しくても、時にはこうした小さな楽しみを見つけていこう。300円の冒険が僕に教えてくれたのは、そんな日常のささやかな喜びだった。
時間を割いてくれてありがとうございました。