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買ってきた本2

珍しく年休が取れて2日間のお休みとなったものの、あまりうろうろ出歩くのもちょっと考え物のきょうこのごろ、自宅の近くにある古本屋さん(大きなチェーン店)でせっかく配信された10%オフのクーポンを使ってしまうべく、短時間出陣しました。

今回購入したのは阿部賀隆(1961)『独文解釈の研究』郁文堂です。

独文

1990年に印刷された第27版で、表紙によると定価は1,900円とのこと。これが900円で売られていたものをさらに10%引きで810円で買ってきました。「古本のくせに高いよ」と諸兄の声が聞こえてきそうですが、英語以外の外国語の本は総じて英語よりも高価になりがちなので、1,000円を切っているというだけでも十分に買いだと思います。

ちょうど、毎日短時間だけ独文解釈の練習ができるような手ごろな参考書を探していたのでラッキーでした。

ふだん、大学を目指す若いひとたちと英語の勉強をしている者の目からすると、ただ長いだけで大して中身のあるわけでもないブログ記事だの、観光案内だのを延々と読ませる昨今の大学入試英語には見られないような、ガチガチの解釈を扱う硬派な本だと思います。少し見てみた感じでは、大学入試英語で云えば、旺文社の『英文問題精講』とか伊藤和夫『英文解釈教室』研究社といった往年の参考書に似ています。近頃はいわゆる難関大でも資格試験と選ぶところのないような「実用」英語か、少し難しいのを読ませるところでも英米の放送局や新聞社、雑誌社の出している時事英語ばかりで、時代を超越したような硬派な問題文は希少ですからねえ…(あ、でも、先日、少し前の法政大にE. H. Carr が出題されていて、久しぶりに入試英語でときめきました)。

もっとも、これができるようになったからと云って、本棚に眠ったままになっている本格的な学術書のたぐい(Kant, Hegel, Husserl, Heidegger など学生時代の遺産たち)がすぐにスラスラと読めるようになるわけではないでしょうけれども。それでも歩を進めたく、ちびちびと取り組み始めています。

ドイツ語と云えば、池内紀が青土社の月刊『現代思想』で連載していたドイツ語学者関口存男せきぐちつぎおの評伝「ことばの哲学者」(2010年には同じく青土社から『ことばの哲学』として単行本化され、私の座右の一冊となっています)に煽動されて学生時代から買い集めてしまった何冊かのReclam文庫もあります。もちろん、稀代のドイツ語学者の顰に倣って入手した、彼が陸軍幼年学校時代に読んだというドストエフスキー『罪と罰』のドイツ語訳も本棚で出番を待っています。

本業は大学入試英語ですが、「実用」だの「コミュニケーション」だの、少なくとも私が文学部で実際に目にしてきた学生や研究者の実用とはまったくかけ離れた「実用」一辺倒のぺらぺら英語をしばし忘れて、当分はこの本で一日に15分や20分でもノスタルジックな解釈の世界に浸る所存です。

夜な夜な文字の海に漕ぎ出すための船賃に活用させていただきます。そしてきっと船旅で得たものを、またここにご披露いたしましょう。