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【バイリンガルの憂鬱な日常】オチのない話はマナー違反

結婚を機に大阪から関東へ引っ越したわたしは、文化の違いに面食らって生きていました。
その中の1つが、みんながみんなオチのない話を延々としゃべっていること。
「何を大げさな……」と思われそうですが、わたしは当時、本当に軽くパ二くるくらい驚いていました。

ダンナに訴えると、
「それ、結婚する前に言ったよね?」
「こっちの人の話に、オチや笑いを求めてもムダだよって」
と、サラリ。
(ダンナは東西どちらも居住経験あり)

そうそう、確かにそんなことを言っていました。
でもね、昔からオチのない話をする場合は、
「この話オチないねんけど」
と前置きしたり、
「オチのない話してもいい?」
と断りを入れたりするのが当たり前だったわたしたち。

話している途中でオチを見失ったら、
「あ~ごめん、この話オチないわ」
と話が終わる前に謝っていたし、何なら最初に断りを入れてから話したにも関わらず、
「おまえ、その話オチないやんけ!!」
とブチ切れられたこともありました。

そんな環境で生きてきたわたしは、オチのない話をどうしてそんなに堂々とできるのか不思議でならない。
当時のわたしは、毎日の会話に苦痛を感じる日々でした。
(……え、終わり?)
(なんやったんこの話)
(なんでそんなこと言うの?)
と、小さなストレスが心に積み重なっていきます。

もちろん今ならわかります。
そもそも話にオチも笑いも必要ないし、環境が違えば文化も変わる。
「その話、何がおもしろいの?」だなんて関西人のエゴで、余計なお世話だということも。

そんな朱に交わっても朱くなれないわたしの元に、ある人が訪れました。
東京に出張で来た前の職場の後輩くんで、久しぶりにお茶することになったのです。

この頃には随分わたしも悩みが深くなり、
「わたしがおかしいのだろうか?」と考えるようになっていました。
「周りの人たちがみんなそうなのだから、わたしが間違っているのかもしれない」と、自分を見失いかけていたのです。

思えばこの後輩くんは、人生そのものがネタみたいな人でした。
入社した彼に、
「前のしごと、何してたん?」
と聞いたら、
「200キロのオイルを運んでました。だから僕、ドラム缶転がすのとか得意です」
と答えてくれたのが最初の出会いです。
(ウチ不動産会社なんですけど)

その後、大変なしごとを一緒に取り組んだりして仲良くなり、信頼もしていました。そこでひとつ、わたしの思いをぶちまけてみることにしたのです。
ずっとモヤモヤしていることを聞いてみたい。今しかない。彼が大阪に帰ってしまったら、またこの気持ちを抱えたまま今日と同じ明日が始まる。

「……あのさ、オチのない話をするのって、失礼やと思わへん?」

自分の考えに自信が持てなくなっていたわたしは、こわごわと切り出しました。すると後輩くんは、間髪入れずにこう言ったのです。

「それ基本ですよね。最低限のマナーです」

ああ!!良かった!!
わたし間違ってなかった。
モヤモヤしていたわたしの心が、いっぺんに晴れていく。
このタイミングで後輩くんが来てくれなかったら危ないところだった。
そうそう、マナー違反なのよ。
昔、地元の友人が、「そんな話はクマのぬいぐるみにでもしゃべってろ」と誰かに怒っていたけれど、わたしもずっと、そんな気持ちだったのよ。

そうしてわたしは自分を取り戻すことができました。
取り戻すと同時に何かを失った気もしますが、それは「孤独と生きるという覚悟」だったのかも。
(トム・ブラウンみちおの「勝つという覚悟」より by M-1グランプリ2023)

このお茶事件から10年後、テレビを見ていたら大阪出身の元気な女性タレントがトーク番組に出ていました。

「関東の女の子の、オチのない話が信じられへんのですよ」
「きょうの朝、いつもはパン食べるんだけど、ごはん食べたんだ~……って」
「いやなんでしゃべったん!?今なんでしゃべったん!?パン食べたか、ごはん食べたか、なんでしゃべったんっ!?」

10年越しに再び「ああ良かった。やっぱりわたし間違ってなかった」と思って大笑いしました。
でもたぶんこの話で爆笑した人は少ないし、大阪以外の土地で生きていくなら、間違ってるんだろうなぁと思います。

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