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【バイリンガルの憂鬱な日常】会話は落語じゃなくて、漫才だから

『笑い神  M-1、その純情と狂気』という本の中に、笑い飯がまだ売れる前、共に大阪で過ごした元芸人・水上さんの話があります。

笑い飯さんとおるときが、いちばん楽しかった。芸人を辞めて十年以上経ちますけど、この十年で笑った回数よりも、あの人たちとおった一時間、二時間の方が笑ってたと思います。

おおお~!!
なんかめっちゃわかるんですけど!!
この部分を読んだとき、ちょっと泣きそうになりました。

わたし大阪にいるときは、テレビのバラエティーで笑うよりリアルな実生活で笑う方が多かった。でも関東に引っ越してからこっち、それが見事に逆転してしまいました。逆転したどころか、「最近、テレビでしか笑ってないんちゃうか?」と思ったことも多々あり。

「あんなに毎日笑ってたの、一体なんやったんやろ?」

関東に引っ越してから考えに考えたわたしは、あるひとつの事実に辿りつきます。

楽しい毎日を過ごせていたのは、周りの人たちのおかげ。
わたしの発言をおもしろくしてくれる、周りの人たちの賜物。

関東にきて笑えなくなったということは、わたしは自分ひとりでは笑いを生み出すことができないということか、と。
そういえば昔、仲の良い友人が落語にハマってよく舞台も見に行ってたんだけど、わたしはどうも落語にハマれなかった。
ひとりでしゃべってひとりで落とす。
その高等技術についていけなかったんだと思います。あとやっぱり、わたしは人と人との掛け合いが好きなんだな、と気づくきっかけにもなりました。

わたしは兎にも角にも漫才が好き。芸人さんのネタや平場トークは子どもの頃から会話のお手本。
会話の基礎や、間やタイミング、どうやって話を広げるとおもしろいのか、語彙力の大切さ、話題の切り口、表情と声のトーン。

関東にきたわたしは思い知ることになります。
会話は落語じゃなくて漫才だから、気の合う相方がいないと成立しない。わたしの周りには常に、話をおもしろくしてくれた相方がいたんだなぁ〜と。

だから、「大阪の人?なんかおもしろい話して」と言われても、あなたがおもしろくない限りムリなんです。落語派にお願いしたら、いけるかもしれませんけどね。

元・芸人の水上さんが、「あの頃が一番楽しかった」と思いながらも今の人生を生きているように、わたしもたまにかつての日々を思い出し、「今は穏やかに生きてるもんだなぁ」と思ったりします。
(久しぶりに大阪の友人としゃべったときに、この郷愁によく襲われる)

でも大丈夫。今は配信で大阪ローカルの番組も見れるようになったし、ABCお笑いグランプリまでAbemaが生放送してくれます。いい時代になりました。
前を向いて。人生は続く。

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