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【バイリンガルの憂鬱な日常】言葉と人柄はリンクする

ある日ニュースを見ていたら、ボクシングの試合映像が流れてきました。
井岡選手の試合で、セコンドにはお父さんでもあるコーチがついて檄を飛ばしています。
試合は中盤に差し掛かり、相手選手がよろめきました。それをレフリーが「スリップ!」と判断したその瞬間。
井岡選手のセコンドから、ものすごい怒声が放たれました。

「スリップちゃうわー!!ダウンやろーーー!!」
「さっきのボディーが効いとんじゃボケーーーーー!!!!」

……お、大阪弁ってこんなにえげつない言葉やったっけ……??
大阪から関東に引っ越して約12年。すっかり関東のやさしい言葉に慣れてしまっていたようで、わたしは度肝を抜かれました。

でもまぁよく思い返してみると、こんなもんだった気もします。
実際この怒声を聞いたとき、びっくりしたと同時に、心の奥底に眠る「ホーム熱」がじわじわとよみがえって「懐かしさ」も感じましたから。

思えば24歳くらいのとき、初めて間近で関東の男の人がしゃべるのを見て、
「男やのに、女の子みたいなしゃべり方するやん!」
と、びっくりした記憶があります。びっくりして、なんなら「気持ち悪いなぁ」と思っていました。(すみません)

また、関東では相手に対して「おまえ」と言うことがタブーな風潮がありますが、別に大阪では普通だったしなぁ~と文化の違いも感じます。
実際、言われても何とも思わなかったし、こっちも普段使いはしないけど、「いや、おまえがやれよ」とか「おまえが言うんかい」みたいに、ツッコミベースではよく言っていた気がする。
(いや、お前が歌うんかい!by水ダウみたいに、ひとつの定型文になっている感じ)

あと標準語で怒っている人を見ても、言葉がマイルドなのでどこか品があるというか、言ってる方も言われた方もあまりヒートアップしてない気がします。
荒い言葉を使っているからこそ、気性も荒くなってくるんだろうなぁ。
わたしも標準語で怒ったら、子どもにブチギレることもないのかも?と、思うんですが。。

今では完璧に標準語を話せるのに、怒っているときだけはムリなんですよね。
これ、なんでやろ?
子どもに怒っているときはいつも大阪弁で捲し立てていて、自分の言葉が時間差で頭に入ってきて、「あ、わたしめっちゃ大阪弁しゃべってる」て怒りながら思うくらい、無意識なんですけど。
高ぶった感情を表現できるほど、まだ標準語をマスターしていないのかもしれません。

しかし関西にも関東にも長年住んでみて思うのは、「やっぱり言葉がやさしい人はやさしい」ということ。
わたしが1番それを顕著に感じるのは、車を運転してるときです。
関東って、みんな入れてくれるしね。(←車線変更)
久しぶりに大阪に帰ったとき、あまりの運転の粗さにビビりましたよ。
「車間距離、狭すぎへん!?」
「すごい空間に入ってきた!事故るって!」
とわめき倒してギブアップ。もう故郷では運転できない身体になりました。
わたしは2人目の子どもを産んだあとペーパードライバーを克服したのですが、大阪にいたらずっとペーパーのままだったんじゃないかと思います。

最後に余談。
約2年ほど前、明石市の市長が暴言を吐いて、辞任騒ぎになったことがありました。
「火つけてこい!」
と言ったとか言わないとか、いや、言ってたんですけど、そのニュースを見たとき……

「え?そんなことで?」

と思ってしまったわたし。
どんなに関東に長く住んでも、やっぱりベースは関西の人間なんだなぁと実感した出来事です。

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