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【大人】障がい者はかわいそう?|22年2月2回目清水裕友さん

中学生のハローワーク22年2月1回目のゲストは発達支援の仕事をされているゆうせんせー、こと清水裕友さん。

それでも大人でありたい

子どもと一緒の時間に「大人って何?」「何が出来たら大人だと思う?」という、ゆうせんせーからの問いかけがありました。中学生が素直に「18歳以上」「自分で稼いで生活する」「法律で決まってるから」なんて自信を持って言うもんだから、「え、ホントにそんな単純なことだと思ってるの??」と驚いたんですが、改めて大人であることを問うてみるのはおもしろかったです。大人からは「SOSが出せる」「自分のご機嫌が取れる」なんていろんな言葉が出てきました。

常識を問い直す作業をしているうちに、個人的には逆に「境界線は曖昧だけど、ちゃんと大人になりたいわ」と思った。たとえば、人には(特に子ども時代には)年齢に応じた配慮が必要だし、自分はそれが出来る大人でありたいと思う。また、自分の考えと意志で自由に動いていきたいとも思うから。さて、そんな「大人」になりたい人が集まる大人クラスの時間です。

障がいって何? 障がいはどこにある?

「大人って何?」の次は「障がいって何?」という問いも。社会の中で自分を生かして仕事をされているゆうせんせーが「ボクには障がいがあります」と言われたのには驚きましたが「障がい」って何でしょう?

ゆうせんせー曰く「障がいって、その人にあるんじゃなくて、その人と社会との間にあるんです」。海にいる淡水魚は海では「障がい者」と言われるけど池では「障がい者」じゃない。淡水魚にとっては、自分に問題があるわけじゃなくて海が自分に合わないだけ。淡水魚が生きやすい池があれば問題ないわけです。合わない環境に放り込めば誰だって障がい者。「障がいは社会の方にある」という考え方。それを「社会モデル」と言うそうです。

手足が不自由とか、何らかの発達障がいとか、名前がついてなくても、多かれ少なかれ、誰でもデコボコがあります。たとえば私は書類仕事が苦手な手続き障がい者だし、物忘れもひどくて迷惑もかけます。その代わりに、感情に巻き込まれずに人の話を聞いたり、自分を客観視して言語化するのはわりと得意。「デコ」の部分では(対価を求めずに)誰かを補い、「ボコ」の部分では(卑下することなく)誰かに助けてもらって、デコボコのみんながそのまま一緒に幸せに生きていけばいい、と思っています。

一生「ありがとう」って言い続けるの?

いい機会だったので、私が長年答えを出せずに持ち続けている疑問を一緒に考えていただきました。その疑問は「たまたま自分で移動できない身体に生まれたら、移動をサポートしてもらう度に、一生「ありがとう」って言い続けないといけないの?」という問い。移動できないのは自分の責任でもないのに、申し訳なく思い続けるのが当然みたいで、なんだかモヤモヤする…。

ゆうせんせーは、少し考えながら「価値基準の軸の問題だと思う」と。たとえば、バスを降りる時に「ありがとう」という「チップ」を渡さなくてもバス代を払えばいい。でも「ありがとう」は無償のエネルギーなので、言うと世界のエネルギーがちょいプラスになる。そういう豊かな考え方がないのは悲しい、という考え方がひとつ。もう一つは、「ありがとう」を求める人は、ただ礼儀を求めてるんじゃない?という考え方。 

う~ん、そうなんだけどね、それはわかるんだけど…もう一声。ゆうせんせー、さらに考えてくださいました。「あたりまえかどうか、も大きいかな?」。たとえば、有給取る時は会社にありがとうって言わないけど、育休取る時は「ありがとう、ご迷惑おかけします」って言う。障がいがある人が当たり前に世の中に出ていけば、不当に「ありがとう」を求められることは減るんじゃないかな?

確かに。30年くらい前、車椅子で電車に乗る人はまだ少なかった。ホームへの長い階段を上がるために周りの人にお願いして「ありがとう」って言いまくっていた。今はエレベーターがある。「助けてやった」的な感覚を持つ人も減っている気がする。ついでに言えば、必要があって車椅子でラッシュアワーに乗ったら「時間ズラせよ」って聞えよがしに言われたりもした。だけど今じゃフレックスタイムで時間がズラせる。確かに環境の方が変わって、一緒に生きていける場所が増えている実感はある。時間はかかるけど、常識は確実に変わっていくのね。それって希望だわ。

障がいは「かわいそう?」「むしろキラリ☆?」

障がいによる生きづらさが環境とのミスマッチだとしたら、社会の側の問題として取り組んでいくことができる。個人的に、障がいのある人と関わる時には、障がいの形に囚われがちだけど、その人本来の特性は、障がいとは全然別のところにある。参加者の方からも、日ごろ関わる人たちのことを念頭に置きつつ「どんなに重い障がいの人でも、絶対自分には真似できないキラリと光るものがあるんですよね~」とシェアしてくださいました。

障がい児のいる現場で働く別の人から「すごいな~、こんなことが出来るようになったんだね~、って褒めたいのに、ちゃんと子どもに伝わってるのかわからないことが多い」という話がありました。ゆうせんせーからは「褒める、の概念を広げてみるとオモシロイかもしれない」と。ただ「エライね」と言うんじゃなくて、ただただその子の自慢を聞いてあげるのが褒めることになるし、踊るのが好きな子なら一緒に踊ることも褒めることになる。「何らかのプラスのエネルギーを贈ることは、全部褒めることじゃないのかな?」と。

また、人によっては不謹慎だと言われることも承知で、ゆうせんせーは踏み込んだ話もしてくださいました。親御さんは「障がいのない身体で生まれたかったに決まってるのに、ごめんね」って言うでしょうけど、障がいのある人に向かって、本人の気持ちを無視して「障がいがあってかわいそう」っていうのは絶対違うと思う、と。

ご自身の事も、「障がいがあって良かった」とまでは思わないけど、障がいがあるからこそ出来る経験もある。感じられることがある。「誰にでも、その人ならではのキラリと光るものがあるし、そこを見つける力と、そこに尊敬の念を持つことってすごく大事だと思うんですよね」。

1人ひとりがそんな風に考えられたら、一律な価値基準で優劣をつける競争社会にブレーキをかけて、多様性を慈しめるやさしい社会に近づいていけるかもな~、と考えさせられた時間でした。

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▼オキツ 神戸シュタイナーハウス代表 大人クラス担当
書く人、聴く人、考える人、作る人、遊ぶ人。小さな勉強会や仕事、普段の暮らしの中で、ちょっと立ち止まって考え、言葉にし、行動してみる。少しずつ、みんなで幸せになっていけたらいいな。
ブログ毎日更新中。「自由の哲学を読む」~日々の暮らしから~
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