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人生を生きる活力としての怒り

思えばいつも、何かに怒っていた。

かわいがっていたペットのカナブンを男の子に戯れに殺されたのに激昂し、執拗に殴るので職員室に閉じ込められ、親を呼ばれた幼稚園時代。
曲がったことや侮辱が許せずに、手を出しては親に電話され、母親を辟易させた小学校低学年。
成長とともに、怒りの矛先は権力を振りかざして理不尽を押し付けようとする先生や先輩に向くようになった。彼らに歯向かったところでいいことはないので、誰も追従する者は無かったが、1人でも絶対に屈しないと思っていた。そんなこんなで数え切れない人と言い争いをし、横暴な親に反抗して家出し、理不尽な先生に反抗して不登校になり、八方塞がりであった。

理不尽な規則や、他人の尊厳を踏みにじる横柄な態度がまかり通るこの社会は、私にとってとても順応できる場所では無かった。汚い川でみんなと一緒に泳ぐくらいなら、死んでしまいたかった。
時おり、そういうものだから、と素直に社会のあれこれを受け入れられる人が猛烈に羨ましいと感じることもあった。しかし、長い間変わることはできなかった。

一方で、怒りを持つことで救われたこともあった。勉強も運動も人一倍頑張ることができたのは、自分を見下してきた周囲の人への怒りと、すぐに心が傷付いて立ち止まってしまう弱い自分への怒りに突き動かされてきたからである。

しかし、大学4年間を終え、最近はめっきり怒らなくなった。研究やバイト、友達関係と一気に広がった社会に揉まれているうちに、いちいち怒っていてはキリが無くなり、閾値が上がったのかもしれない。
そんな理由ならいいのだが、怒らなくなった1番大きな要因は、他人への希望が無くなったことだと思う。以前は、おかしいことを言っている人にも、丁寧に説明して対話を尽くせば、いずれ分かり合えると思っていた。そういうことを諦めなければ、社会は良くなっていくのだと。
しかし、多くの人と接するうちに、世の中には他人の話など全く聞く気が無く、そもそも自分が信じていること以外を理解しようともしない人がたくさんいることを知った。また、対話したとしてもどうしても分かり合えない人がいることも知った。こうなって欲しいと、ある種愛に似た感情を他人に抱き、期待していた自分がいなくなってしまったのだ。
それでも、恋人や家族にはまだ、対話する努力をする姿勢を保っている。それは私が彼らを愛しているからであり、彼らのことがどうでもいい存在ではないという証拠なのだと思う。
彼らに対しても「寛容」になってしまったら、自分は今後希望を持って生きていけるだろうか。漠然とした不安の中、今日も淡々と生きるばかりである。

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