電車、そして本のこと
今日は久しぶりに電車に乗ってみた。
普段車で移動してるから、電車に乗るだけで簡単に非日常感を味わえる。
駅のホーム、アナウンス、車窓に流れていく風景。
大学生の頃は毎日電車に乗っていて、
地下鉄も乗り継いだりしてて、
それが日々の日常だった。
でも、社会人になって通勤に車を使うようになってから本当に乗る機会が減った。
行きたいと思う場所はたいてい車で行けてしまう。
(それってとても贅沢なことなんだろうな、とも)
だからこそ電車に乗ると、
とてもノスタルジックな気持ちに不意になってしまう。
そんなに遠くまで行ったわけではなくて、
最寄駅から数駅のところなのだけど。
またときどきは電車に乗って、遠くの街まで出掛けてみたい。
特に目的地があるわけではなくて、
強いて言えばやっぱり本屋さんには行きたいから、駅なかの書店を見てまわった。
いつも行く本屋さんにはない本が陳列されていて、それを見ているだけでも楽しい。
スターバックスが併設されていて、
(そういう本屋さんも図書館も増えてきたなと思う)
そこで新発売のモンブランラテを飲んでみた。
甘い飲み物って、それだけで幸福な気持ちになる。
最近読んでいるのは、この本。
映画や動画を倍速で(日常的に)
観る人がいるのは知っていて、
通常の速度で観るのが望ましいのになんでだろうって思ってた。
そこには、「そうせざるを得ない」社会的な背景や世相や理由があって、特に今のZ世代と言われる人たちは本当に大変だな……と思った。
SNSで常時繋がっているコミュニティや、効率を求める教育や、圧倒的に時間が足りないこと等々……色んな物事が絡みあっていて、今の時代背景をとてもよく表した現象だと思う。
それは映画やドラマの視聴に限ったことではなくて、物語にも「分かりやすさ」や快適性が求められる、というくだりもあった。
自分が快適でいられるものしか見たくない気持ち。
それは多少理解できるけれど、共感できないものをすべて排除してしまったら、ものすごい視野狭窄に陥っていってしまう気がする。
一見無駄に思えることや、遠回りすることは、視野を広げる契機にもなる。
何かと効率性が重視される世の中だけど、
「分からなさ」への理解や、物語の余白もきっと必要なものだと思うのだ。
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