読書note
午前中いろんな用事をすませて、
昼から読書する。
高瀬隼子さんの『おいしいごはんが食べられますように』
優しそうなタイトルなのに、
すごく皮肉が効いてて、毒を孕んだ言葉だと気づいたのは読み終えたあとだった。
主人公の男性、二谷の独白がそうさせるのだと思う。
日々食事を摂ることの面倒くささ、
それを表向きには語れない窮屈さが主に語られる。
二谷が思うことはちょっと分かるな、と思った。
普通に一日働いて、その上健康的な食事を摂らなければいけないとなると、帰ってからやることも増えるし自由時間も減る。
付き合うことになった芦川さんは二谷とは真逆の人で、優しくて弱くてすごく良い人だけど、彼女を敵対視する押尾さんの方に共感できてしまった。
物語のなかで芦川さんの内面が語られないから、そう思ってしまうのだろうけど。
芦川さんの優しさは、ちょっと得体が知れないと思う。
もしかしたら、彼女の内面も綺麗なだけではないかもしれなくて、でも物語のなかで見えてる彼女の一面はどこまでも「優しくて弱い人」だから、余計に底知れない感じ。
作中で二谷がそう感じたように。
こんなに建前と本音が違っていて、二谷は彼女と付き合っていけるんだろうかと思ったりするものの、それでも結婚できてしまうんだろうと思ったり。
そしてそれが芦川さんが見据える目的だとしたら、やっぱり弱くて可愛い人が勝者になるのかも、なんて思った。
そういう可視化できないモヤモヤが二谷の視点を通して描かれていて、色んな意味で考えさせられた。
私も料理は苦手だ。
(よく働きながら家事してるな、と思う)
ひとりだったら適当に済ませられるけど、家族がいると人数分作らなければいけないし、でも一人分作るよりは楽なのかもと思ったり。
そもそも一日三食というのが多すぎるような気もする。大人なら二食でも一食でもいいけど、子供はそうはいかないよね、とか。
芦川さんが弱者だからこそ同調圧力を感じる場面もあった。それが社会で生きるということなのかもしれない。
でも、辛いときは我慢しないで休んでしまえばいいと思う。
(それができない気持ちも理解した上で、そう思いたい)
嘘は自分を蝕むし、本音で語れないなら離れてしまえばいい、と個人的には思う。
最後、
押尾さんが本音で語る場面はとても良かった。
その一方で、芦川さんの底知れなさがほんのり怖くなるような小説だった。
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