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おばさんという言葉

図書館にいて良いことのひとつは、
気になった本をすぐ借りられるところだ。
(貸出中じゃない本に限るけど)


きのう借りて、
今とても面白く読んでいるのはこの本。



印象的な題名だな、と思う。

最初このタイトルを見たとき、
「この人は自分を卑下してるのかな」と思った。でも、全然違っていて驚いた。

何に驚いたって、無意識に「卑下してるのかな」って、思ってしまった自分自身に。

私の意識下で「おばさん」という言葉は蔑称になってるのだ。
中年女性を表す一般名詞なのに。

それなのに、
どうして蔑称(もしくは差別用語に近いもの)だと思ってしまうのだろう。
何がそう思わせているのだろう。


ついこの間まで早く大人になりたいと願っていた元少女たちが、あるときを境になぜか、年相応の成熟した女性として扱われるのを嫌がりだす。今生で与えられた時間のうち、少女と老婆の間に横たわる長い長い期間の途上を生きながら我々は、それをあるべき言葉で自称することすらしない。


いやいや、本当にそうだよね! って、
首がもげそうになるほどそう思った。

中年女性を肯定的にとらえる言葉が
この国には存在しないのだ。
だからいつまで経っても、
自分を「おばさん」と言えないのだとしたら。

私は現代社会が今なお素知らぬ顔で「おばさん」に侮蔑のニュアンスをまとわせている事実を耐え難く感じる。


侮蔑のニュアンス。
だから、私も「卑下してるのかな」と思った。
その意識自体が問題だったのだ。


三十五を過ぎたあたりから、「まだまだ若い」「まだイケる」「その年齢には見えない」といった賛辞を浴びるときにも、喜びや誇らしさより苛立ちのほうが強くなってきた。我々はいったいいつまで、出場した覚えもないこの競争に駆り出され、モノのように値踏みされ続けるのか。


少し前に、(子育て中の人が)「ママには見えない」って言葉はどうして褒め言葉なのかって、コラムを見た。
「パパに見えない」は褒め言葉じゃないのに。


その疑問の答えが、この本にはある気がする。


「おばさん」は本来ニュートラルな一般名詞である。そして我々おばさんは、他の誰かに勝手な物差しを当てられて、存在価値の有無をジャッジされる謂れは、まったくない。


色々刺さりすぎて、引用が多くなってしまった……


参考としてたくさんの物語を取りあげていて、併せて読むといっそう楽しめる。


最後にジェーン・スーさんとの対談が収録されていて、とても良かった。
(ポッドキャストも聴いてみたいな)


著者によると「おばさん」とは、
《みずからの加齢を引き受けた女性。年若い者に手を差し伸べ、有形無形の贈り物を授ける年長者。後に続くすべての小さな妹たちをエイジズムから守る、世代を超えたシスターフッドの中間的な存在》だそうだ。


そういう認識でいる人はどれくらいいるだろう。


堂々と「我は、おばさん」って、言える社会になればいい。



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