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空白の効用

スマホを持つようになってから、
ボーッとする時間が少なくなったなぁと思う。
ただ静かに座って周りを眺めたり、
空を見たりするようなこと。


それに気づいてからは、
意識的にボーッとする時間をもちたいと思うようになった。


例えば外食に行って、
料理が運ばれてくるまでの数十分のあいだ。
(読書するには短すぎるし、そもそも本を持っていないようなとき)

前はよくスマホに手を伸ばしてたけど、
昨日は何もしないでぼんやり空を見あげた。


ちょうど夕方が始まる時間帯で、
黄昏の日差しが建物を照らしていた。

雲が筋状にいくつも伸びていて、
そんな空を見ると、やっぱり秋が近づいてると思う。
(雲にも色んな名前が付いているから、空の辞典をまた眺めたい)

ちょうどクジラみたいに見える雲があって、
空と海って全然違うけど、少し似ているのかもしれないな、と思った。


そういえば、
この前とても素敵な絵本を見つけて、
タイトルは『海とそらがであうばしょ』だった。




そう、この本!
(表紙もとっても素敵)

絵本って、ときどきすごく素敵なものがある。
(改めて図書館で借りてみようかな……)


空を眺めていると、
雲はゆっくりゆっくり移ろっていって、
何も急がなくていいという気持ちになる。

今は今として緩やかに過ぎていって、
その一瞬を味わって過ごせばいいんだと。

スマホの膨大な情報に日々さらされていると、目の前のことも遠くかすんでしまう。
そして自分の感情も鈍くなってしまう。


そんなことをあらためて思って、
やっぱり時間を区切って必要なときだけ開くようにしたいな、と思った。


最近とても良かったのは、
銀色夏生さんのエッセイ。



(タイトルも好き)

銀色夏生さんは詩がとても有名で、
エッセイを手に取るのは初めてだった。


人生のこと、仕事のこと、生活のこと、
恋愛のこと……
素敵な言葉がたくさん載っていた。


例えば職業について。


他の職業の人と関わるたびに、私は分業ということを思う。
私が自分の仕事だけに邁進できるのは、他の人々がそれぞれの仕事(役割)をしてくれているからだ。

職業は分業


他の人が色んな役割を果たしてくれるから、
便利で快適な生活が送れるということも、普段全然意識しないで過ごしているな、と思う。


私が自分の好きなこと(司書の仕事、書き物)ができるのも、他の仕事を請け負ってくれる誰かがいるからなのだ。


「すべての恋愛は片思いである」という見解にもハッとさせられた。
誰かが誰かを好きになるのは、
相手に自分を見るから魅力的に感じるのだと。


人の心は永遠にわからない。言葉の示すところもわからない。人は自分の中の世界に生きている。
ひとりひとりという星が広大な宇宙に浮かんでいる。そういう、遥か遠くに離れた星同士で愛し合っている、と思い合っている。それは美しい誤解だが、誤解できるからこそ愛し合えるのだ。

すべての恋愛は片思いである


恋愛自体が壮大な誤解みたいなもので、
でもそれも許容しながら一緒にいるのかもしれない。


あとは、こんなメッセージも。



余計なことを考えず、ただ目の前のやるべきことを、ひとつひとつやっていこう。
それが自分をどこへ連れて行くか、なんてことも今は考えずに。
目の前のやるべきことは、いつもひとつしかないのだ。
ひとつ、ひとつ、順番に、やっていこう。
ひとつずつ、やっていこう。

ひとつずつ



なかなか意識できないことが優しく綴られていて、たくさん書き留めたくなるエッセイだった。


ふと立ちどまって空を見あげるとき、
ひとりで過ごすときに、散歩している途中に、鞄にしのばせたい一冊だなと思う。





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