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短歌note/生まれる言葉

君のこともう記憶から消せなくて
砂時計から落ちる星々


プロットをたてた物語を、
少しずつ書き始めている。

物語のプロットというのは、
本当に「土台」みたいな感じ。
そこに何を置くかある程度決めておいて、
あとは書き始めないと分からない。

でも、土台があることで
(最後の場面まで見えているから)
見通しがたつ、ということがすごく必要な気がしてる。

小さい頃から自分なりに物語を書いてきて、
そのなかには冒頭だけ書いたものの、続きを思いつかなくて挫折したのも色々ある。
(それは中学生とか、高校生くらいのときだ)

それは全部ノープロットで書こうとしていたからだって、今ならなんとなく分かる。


そして、
数年前に自分のなかで「よく書けた」と思ったものの、今ではちょっと物足りなく感じたりもして、それが成長の印だったらいいなぁ、なんて思ったりとか。

物語を書き始めるとき、
特に最初の一文を決めるのは難しいなと思うけど、たいてい一番に浮かんだ文章を採用することにしてる。

とにかく書き始めたら、
書き続けることが大事だ。

仕事の日もあるから、なかなか毎日は書けないけど、遅番と休日はワンシーンずつ書いていけたらいいな、と思う。


書いていると、
日記やnoteを綴るときとは全然違う楽しさがあって、書き始めてその感覚を久しぶりに思いだした。


物語でしか生まれない言葉や情景があるから、
これからも何度も書きたくなるんだろうな。


書いてるときは、
ただ書いてる時間が楽しい、という感じ。
(それが創作の醍醐味だと思う)


プロットを組み立てて、
場面ごとに何を書くかを決めて、
「あとは書くだけ」という状態に持っていくのが一番時間がかかるけど、そこまでいけば、
あとは進むだけ。


書いてるなかで、
最適な言葉を見つけられると嬉しい。


その一方で、言葉では表せないものもたくさんあって、それなのに言葉でしか表せない矛盾を小説はいつも抱えているなと思う。


だから音楽とか映画とか漫画とか、
そちらの方が有利に感じてしまうこともあるけど、言葉でしか届かない場所も確かにあって、
それがつまり「心の琴線に触れる」とか、そういうことなんだろうな。


SNSの短文はあふれかえっているけれど、
そんなに簡単に何かを表すことなんてできないし、いつもこぼれてしまう言葉を掬いとれたらいいと思う。




芥川賞と直木賞も決まって、
本を予約する人も増えそう。


いつだって知らない言葉に触れたいし、
その言葉から見える景色が世界を拡げるのだと思う。



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